働きながら介護をする人が増えつつある中、企業も介護と仕事の両立支援に乗り出した。だが「制度はあっても使えなかった」という離職者の声もある。

 3年前、両親の老老介護に限界を感じ10年間勤めた運輸会社を辞めたのは愛子さん(仮名、46)。2004年にがんで夫を亡くした後、フルタイムで働きながら娘(16)を育ててきたが、退職と同時に両親が住む東京都下の実家に娘を連れて同居を始めた。がんを患う83歳の父と、精神的不安からくる体の不調であらゆる医療機関をはしごする78歳の母とを見守る。

 父を支えていた母の方が、精神的に参ってしまった。料理も何もかもする気力をなくしていた。1カ月くらい会社を休んで母のもとにいようかとも考えた。

 けれども、会社でペアを組む女性は30代で未婚。娘がインフルエンザで1週間休まなければならなかった時でさえ、自分ばかりが休むのは気が引けた。子育てで残業はできない立場だけに、さらに介護も、とは言い出しにくかった。だが辞めてみると、将来の子どもの学費など、別の心配も頭をもたげる。

「介護で休む制度はあっても、カバーする人が疲弊するようでは、とても休めない」(愛子さん)

 介護のために3度の離職を経験した人もいる。教員の武田卓也さん(39)は、23歳の時に母(当時50)がくも膜下出血で倒れ、以来、母が他界した一昨年まで14年間介護した。幼い頃に父を亡くし、母子家庭だった。

 最初に大手企業を辞めたのは、母が何度も危機的な状況になり、その度に有休を取って母の入院先まで片道1時間半かけて駆けつけていたからだ。同僚に迷惑では、というジレンマがあった。

 その後、母をみながら専門学校で学び直し、教職の資格を取って定職につくまで6年かかった。仕事を辞めてまる1年介護に専念した時期は、社会から取り残され、自分の人生が深い闇に包まれていく錯覚に陥った。

 その後、母が誤嚥(ごえん)性肺炎で病院に運ばれ、気管を切開し、胃ろうをつけてからは、特養を出された。つきっきりで看護せざるを得ず、有休を使い切って再び離職した。けれど、母がひとたび危機的状況を脱したときには、「すぐさま再就職すること」にこだわった。県をまたいだ求人に飛びつき、教職に就けた。

 だが、次に母がいよいよ、となった時には、遠方に就職したがゆえに病院に通いきれなくなり、3度目の離職。母が持ち直すと、間髪いれず働こうと、今度は現在の職場である関西の学校に再就職した。

「最初の会社を離れたときには、周囲に気兼ねして、つい、辞める選択をしてしまった。もう少し立ち止まる心の余裕があってもよかったかもしれない」

 武田さんは、振り返った。

AERA 2014年8月4日号より抜粋