西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、甲子園で導入が検討されている球数制限について語る。
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夏の甲子園大会も終わった。球児たちはみな、戦い抜けたであろうか。猛暑の中で死力を尽くした選手にまず、ありがとうと言いたい。有力選手たちは、すぐにU18ワールドカップの代表としての戦いが待つ。甲子園に出場した選手は疲労をしっかり抜いて大会に向かってほしい。
今大会は日本高野連が検討に入っている球数制限について、将来的に導入することが決定的とあって、各校ともに継投をしっかり行った大会となった。奥川を擁した星稜であっても、延長14回、165球を投げた智弁和歌山戦翌日の準々決勝は登板させなかった。もはや、複数投手をそろえられなければ、甲子園では勝ち抜けない時代といえる。
今は地方大会であっても映像が手に入る。エース依存が強ければ強いほど、相手チームは「その投手を倒せれば」と研究が進む。しかも酷暑の甲子園である。一人で全試合を投げ切れる状況ではない。とくに力の拮抗(きっこう)するチーム同士の対戦であれば、試合の重要な局面にエースをフレッシュな状態で残しておきたいという戦術的な思惑も出てくるだろう。様々な意味において、複数投手制は不可欠となっている。
球数制限についての是非を論じるつもりはない。ただ、世界大会でも導入されてきているし、時代がそれを要求するのであれば、流れに逆らう必要はないだろう。そして、各校の監督にとってもあいまいなままよりも、導入したほうが良いとの考えもある。選手の意向をくんで、連投させて故障でもさせたら、必ず世論の反発を買う。逆に「投げさせてください」と涙ながらに訴えたエースを、試合に使わず負けたら、今度は選手から「僕たちの思いを聞いてくれなかった」となるかもしれない。球数制限は「選手を守る」だけでなく「監督の起用責任を軽減する」ものにもなろう。