「あんただけやない。がんばるときは誰でもがんばるんや。たまたま運がよかっただけですと、なんで素直によういわんのや」
──口には出さない。よめはんにいじわる爺さんと思われるから。
話が逸れまくった。三次文庫だ。
編集者に装画を依頼されたから、わたしは日本画家のよめはんに相談した。「どんな絵にしたらええかな」「船の絵は」「海に船では芸がない」「ほな、海のもんを描こか。サザエとかハマグリとか」「そういや、サザエの絵があったな」「あれは売れた」「ほな、魚にしよ」「なんの魚や」「メザシとかグジの一夜干は」「どうやろな。魚屋に行ってみよ」
ふたりで市場の魚屋に行った。立派な真鯛が鎮座ましましていた。
「これにしよ」「あかんわ、こんなん。鱗だらけやんか」「魚には鱗、鳥には羽根、哺乳類には毛がつきもんや」「そんなん無理やわ。この鱗、二千枚はある」
よめはんは渋ったが、鯛に決めて買って帰った。
それから二十日、よめはんは鯛と格闘した。写真ではリアリティーがないから、本物の鯛を描く。魚は腐るから下に氷を敷きつめ、一日八時間はアルミニウム顔料と岩絵具を膠に溶き、極細の面相筆で描きつづける。二十日のあいだに七匹の鯛を腐らせたが、完成した絵は、わがよめはんながらみごとな出来ばえだった。よめはんの絵と麻雀における集中力、持続力に、わたしは逆立ちしてもかなわない──と、末尾の数行にてゴマをすってみた。
※週刊朝日 2019年8月16日‐23日合併号