ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。初回のテーマは「正しい日本語」。
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某日、電話がかかってきた。わたしは電話が嫌いだから、コール音が鳴っても、いちいち立ってまで受話器をとることはしないが、そのときは原稿を書いていた。電話は机のそばにおいている。
──はい。
──あっ、黒川さんのお宅でよろしかったでしょうか。
──そうです。
──あっ、わたし、○○証券の△△と申しますが、このたび担当が代わりまして、新任のご挨拶にお伺いしたいと、上司のほうと相談いたしまして、お時間のほう、いただけませんでしょうか。
──わざわざ、挨拶してもらわんでもいいです。
──あっ、前任の××もしばらくセンセイとはお会いしてないようなので、ぜひ、お時間のほうをいただきたいと申しております。
──△△さんと××さんが来られるんですか。
──あっ、いえ、わたしひとりになります。
もうこのあたりで、わたしはイラッとしていた。この男が“あっ”というたびに気分がわるくなる。まともな日本語でものをいえない人間とは会いたくない。
──お断りします。
──あっ、ご都合がわるいのでしょうか。
──あのね、その“あっ”というのをやめてくれんですか。ぼくはいちいち、あなたをびっくりさせてるわけやないんです。
──あっ、失礼しました。
──それと“ほう・ほう”というのは、ファミレスやコンビニのビジネス言語であって、一部上場企業の社員が使うべきではないと思います。
“よろしかった”と“~になります”もやめろ、とまではいわなかった。それらがいかに下品でまちがった言葉であるかを、本人は理解していないだろうし、上司からそういう言葉遣い(とりあえず“ほう”をつけといたらええんや)をしろと教唆されている可能性もなくはない。
わたしは以前から思っているのだが、営業を伴う企業において、社員教育の一カリキュラムとして『正しい日本語』をなぜ教えないのだろうか──。