鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中
鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中
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(本人提供)
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 放送作家・鈴木おさむ氏の『週刊朝日』連載、『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は「人の死との距離感のつくり方」について。

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*  *  *

 父が亡くなり、あっという間に四十九日の法要を迎えた。

 医者から「あと2カ月」と余命宣告を受けたとき、母はそのことを父には言いませんでした。亡くなる1カ月ほど前。僕は妻と息子と父の病室に行った。病室に入ると、父はかなり体がむくんで、痛いと言っていた。父は「もうちょっとしたら家に帰れるよ」と言っていた。本気で言っていたと思う。

 そもそも、余命宣告の話は母が僕らに「絶対に言うな」と言ったはずだった。だが、母が小声で妻に「このフロアはね、重篤患者ばっかり」と言っていた。絶対、父に聞こえていたと思う。その状況に思わず笑いそうになる。しかも、父の死んだ後のことを考えなきゃならない母は、葬儀屋さんに電話していた。予約……という言葉はふさわしくはないと思うが、準備しなくてはならない。それはいいのだが、母は忘れていた。実家の電話にかかってきた電話が、父の携帯に転送されてしまうことを。母はそれに気づき、「まずい!」と思って、葬儀屋さんに連絡を入れたのだとか。母は、父のいないところで、僕にそれを話す。明るく。

 父とともに3年近く病と闘い、時には、父の病状が悪化したと泣いて電話してきたこともあった母だったが、死が近づくにつれ、自分の中で受け止めていったのだろう。そのころの母と父の死への距離感には、悲しみを超えた部分での明るさもまじっていて、僕はそこに安心したりもした。

 亡くなる1週間ほど前。家族で父のお見舞い。その数日前、父は、家に帰る、とかわがままを言いだしたらしい。母はもう限界だと思い、担当医の先生に頼んで、父に本当の状況を伝えてもらった。「自分の限界」を知った父。おそらく薄々気づいていたはずだが、それを聞いた父は、静かになり、病院にいる、と母に伝えたという。死を受け止めたのだ。

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