昔はワインに鉛を混ぜていた。防腐剤として有用で、ワインもより甘くなり(当時は甘口ワインが定番)、鉛の混ぜていないワインは舌触りがよくなったからだそうだ。
ローマ時代の博覧強記の学者、プリニウス(西暦22年ごろ~79年、ヤマザキマリさんの漫画で有名)の『博物誌』には、ワインに関する記載が多い。プリニウスはブドウを煮詰めてシロップを作る時に、青銅ではなく鉛の器を使うことを勧めていた。ローマ帝国が滅びたのも、鉛の水道管を用いていたために人々が慢性鉛中毒になったせいだった、という説があるという。
4世紀にゲルマン民族が大移動し、ローマ人とゲルマン人との戦いの中でドイツの地にもローマの影響が移乗してくる。モーゼル川沿いにブドウが植えられ、ワインが造られるようになった。ドイツといえば、リースリングというブドウの種類の白ワインが有名だ。リースリングといえばドイツであり、そのリースリングはドイツで自生していたブドウが由来だといわれている。
ローマ帝国は西暦395年に東西に分裂した。486年、西ローマ帝国はメロヴィング朝フランク王国に、東ローマ帝国も15世紀にはオスマン帝国などに滅ぼされ、イスラム世界(イスラム帝国)が勃興するようになる。
■人間にとってワインは、罪深いところもあるし役に立つこともある
イスラム教といえばアルコール厳禁なので有名だ。しかし、驚くことにマホメット(ムハンマド)はワインなどアルコール飲料を決して禁止はしていなかったそうだ。
コーランはマホメットが書いたものではなく、彼の言葉を口述筆記した弟子たちによって作られ、注釈を重ねられて完成したものだ。そこには「人々はお前たちにワインや賭博について尋ねるであろう。そのときはどちらも、人間にとって罪深いところもあるし、役に立つところもあるが、役に立つより罪になることのほうが多いと答えよ」と書かれている(ヒュー・ジョンソン『ワイン物語』から)。「酔っているときはお祈りをしてはいけない」とも。てことは、飲酒は禁じられてなかったってことだ。しかし、マホメットの弟子が酔ってけんかをしたことをきっかけに、マホメットは飲酒を禁じ、酒を飲んだものには鞭打ちの刑が科せられるようになった。