「夏の甲子園 名勝負・名選手」写真展(朝日新聞社・朝日新聞出版主催、日本高等学校野球連盟など後援、特別協力・富士フイルム)は16日まで。24~30日には大阪市中央区本町2丁目の富士フイルムフォトサロン大阪で開かれる。いずれも入場無料。『全国高等学校野球選手権大会100回史』は12月15日までの完全予約販売で来年3月に刊行される。
「夏の甲子園 名勝負・名選手」写真展(朝日新聞社・朝日新聞出版主催、日本高等学校野球連盟など後援、特別協力・富士フイルム)は16日まで。24~30日には大阪市中央区本町2丁目の富士フイルムフォトサロン大阪で開かれる。いずれも入場無料。『全国高等学校野球選手権大会100回史』は12月15日までの完全予約販売で来年3月に刊行される。
『全国高等学校野球選手権大会100回史』の刊行を記念した「夏の甲子園 名勝負・名選手」写真展が3日、港区赤坂9丁目のフジフイルムスクエアで始まり、元巨人監督の原辰徳さん(60)が、小中校生向けに「夏の甲子園が教えてくれたこと」と題してスペシャルトークを行った。司会はテレビ朝日の寺川俊平アナウンサーが務めた。
神奈川・東海大相模高時代に3年連続で夏の甲子園に出場した原さんは、1974年の56回大会に出場した1年生の夏の思い出を、こう振り返った。
「甲子園には幼いころからずっと憧れていました。すごいところなんだ、と。そう思い続けたせいでしょうか、実際に甲子園で練習したときに『小さな球場だな。これならなんとかなる。自分でもホームランが打てる』と思いました」
とはいえ、開会式では、独特の雰囲気に気おされたらしい。
「入場行進のとき、なぜか帽子がふわふわと動くような気がして、何回もかぶり直しました。緊張していたんでしょうね」
東海大相模は順当に勝ち上がったが、準々決勝で定岡正二投手の鹿児島実に延長15回の熱戦の末、敗れた。写真展ではこの試合の延長12回、鹿児島実の二塁手・中村孝選手がダイビングキャッチをする写真が展示されている。原さんはそのときのシーンを鮮明に覚えていた。「ライトに抜けたかと思った当たりを、中村さんは羽が生えたように跳んでキャッチした」
父・貢さんが監督を務めていた東海大相模に進学を決めたとき「親子の縁を切る」と言われ、厳しい指導を受けた。
「(他の選手と比べ)実力が五分五分なら試合に出さない。6対4でもダメだ」
その厳しさは、野球部の先輩や後輩が同情するほどだった。最後の夏の甲子園が終わった後、初めて親子に戻って、貢さんはこう話したという。
「3年間、よく頑張った。しかし、おれもきつかったぞ。チームの和を作るために、辰徳に厳しく接する。その信念を持ってやってきた」
プロに進んだ原さんは、巨人の4番として思うような結果が出せずに批判されたときも、「高校野球の3年間を思えば、ぜんぜんつらくなかった」と語った。
会場に来ていた子どもたちには、目標を持つことの大切さを訴えた。そして、「目標が達成できなくても、恥じることはない。失敗に向き合って、どうやって次に進むか、ということが大事」と強調した。
最後に「甲子園とはどういう場所だったか」と問われると、「強い目標であり、腕試しの場所。エネルギーを何倍にもしてくれる場所」と答えて、甲子園を目指して戦った高校生たちにエールを送った。
「途上の子どもたちであり、途上の選手である高校生は、結果よりも目標を持って戦ったことに対して、胸を張ってほしい」(本誌・堀井正明)
※週刊朝日オンライン限定記事