毎晩の「飲みニケーション」はないが、コミュニケーションを図る術は強烈だった。マーカスがある日私を呼び、「(英国人の)ウィリアムは、日本人からの評判がいま一つよくない。なぜか? フジマキの思うことを書いて持ってこい」というのだ。
私はすぐに問題点を書いてマーカスに渡した。マーカスがそれを参考に、ウィリアムと話し合うと思ったのだ。ところが、マーカスはメモをそのままウィリアムに手渡した。そして、私に「彼と十分に話し合ってこい」と命じた。
これにはまいった。まさかウィリアムにそのまま渡すと思わず、相当強烈なパンチを直接的な表現で書いていた。話し合いが始まると、体の大きなウィリアムがポロポロと泣き出した。
しかし、私たちは徹底的に話し合った。包み隠そうにも、すべてを書いてしまったから、徹底的に話し合うほかない。マーカスが東京を離れた後、私は彼の後任で東京支店の資金為替部長になった。ただ、この話し合いのおかげで、ウィリアムは私に献身的に仕えてくれた。そして彼がモルガンを離れた後も、私たちの仲は変わらなかった。
※週刊朝日 2018年3月30日号