A:緊迫した場面にベンチからマウンドに伝令を送るのは高校野球ならではのシーン。この伝令には制限がある。守備側の伝令は、マウンドに行ける回数が1試合に3回まで。延長に入った場合は、それ以前の回数に関係なく1イニングにつき1回可能だ。また、攻撃側が打者や走者に伝令を送るケースもある。この場合も1試合につき3回を限度としている。

Q:優勝チームから転校し、もう一度優勝できる可能性は?
A:可能だが、「転入学生は、転入学した日より満1カ年を経過したもの」が出場可とされており、転校して1年間は公式戦に出場できないリスクがある。ただし例外も認められている。学区制の変更や学校の統廃合、一家転住などのやむを得ない事情で転校し、高野連から承認を得られた者、前の学校で野球部でなかった者は、転校した日から参加資格が認められる。こうした規制が決められる以前には、別の学校で2年続けて全国優勝を経験した選手がいる。第6回大会(1920年)に優勝した関西学院(兵庫)の9番右翼手の堀竜三は、翌年、和歌山中に転校。5番左翼手として再び全国大会に出場し、同校の初優勝に貢献。こんな幸運な選手はもう現れないかも

Q:両耳ヘルメットはいつから義務化されたの?
A:第77回大会(1995年)から義務化されている。打者の安全を考慮してヘルメットが義務化されたのは第42回大会(60年)。当時は耳当てが付いておらず、帽子の形をした奇妙なヘルメットも存在した。第54回大会(72年)になると片耳ヘルメットが義務化され、打者によって右打者用と左打者用を使い分けていた。

Q:入場行進のプラカードを持っているのは誰?
A:兵庫県の市立西宮高校の女子生徒。プラカード嬢による先導が始まったのは第31回大会(1949年)から。以降、同校の生徒から選ばれるのが慣例となっている。過去には、祖母、母、娘の3代にわたって参加した生徒もいる。ちなみに選抜大会は、2007年までボーイスカウトの高校生が先導役を務め、08年以降は各出場校の生徒が務めている。

<記録編>
Q:4アウトでチェンジという珍事が起きた試合は?
A:第64回大会(1982年)の益田(島根)と帯広農(北北海道)の試合。9回、益田の攻撃で2死後、二飛で3アウトチェンジ……となるはずが、次打者が打席に入ってしまう。そして投手も投げてしまった。結果は三塁ゴロでアウトとなったが、審判員が異変に気づいて4アウト目の記録は抹消された。2死の時点でスコアボードにアウトのランプが一つしか点灯していなかったのが原因だったとか。

Q:大会の通算奪三振記録保持者はタレントの板東英二?

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