引き分け試合となった徳島商―魚津戦で試合後に両エースが握手。左が坂東英二 (C)朝日新聞社
引き分け試合となった徳島商―魚津戦で試合後に両エースが握手。左が坂東英二 (C)朝日新聞社
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金属バットが解禁された第56回大会 (C)朝日新聞社
金属バットが解禁された第56回大会 (C)朝日新聞社
早稲田実業の王貞治 (C)朝日新聞社
早稲田実業の王貞治 (C)朝日新聞社

 99回を迎える選手権大会は、数々のエピソードを刻んできた。激闘、感動を呼ぶ名場面、はたまた珍記録。みなさんはどれだけご存じ?えりすぐりの14選を紹介する。

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<ルール編>
Q:甲子園では選手は何人までベンチ入りできるの?
A:1校18人以内がベンチ入り(登録)できる。草創期は無制限だった。制限が設けられたのは第14回大会(1928年)で、14人以内だった。第60回記念大会(78年)から1人増えて15人に。第76回大会(94年)から16人となり、現在の18人は第85回大会(2003年)から。ちなみに地方大会は、各大会運営委員会が協議して、ある程度の増員ができるが、20人以内を採用する大会が多い。

Q:木製バットは使ってもいい?
A:高校野球の代名詞ともいえる金属バットだが、実は使用は任意であり、木製バットで打席に立っても構わない。金属バットの採用は第56回大会(1974年)から。その理由は、木製バットは折れたり、ひび割れたりするなど消耗が激しく、部費が少ない野球部のハンディを補うため、丈夫で長持ちする金属バットが採用された。ただし、金属バットをツートンカラーに着色するのはNG。

Q:2種類のユニホームを使い分けてもいいの?
A:使用するユニホームは1大会1種類。地方大会で優勝し、全国大会用にデザインを新調するのはOK。ツートンカラーはNGだが、生地の色の規制は特になく、戦前は真っ黒のユニホームのチームが全国大会に出場したこともある。

Q:延長戦の制限は何回まで?
A:第82回大会(2000年)から15回となり、決着がつかなければ再試合となる。規定ができたのは第40回大会(1958年)で、18回となった。きっかけとなったのがタレントの板東英二。当時、徳島商のエースだった板東が同年春の四国大会で高知商に16回、翌日の高松商(香川)に25回を投げ抜いたことが問題視された。板東は第40回大会に出場し、準々決勝の魚津(富山)戦で18回引き分け再試合となり、規定の適用第1号になった。

Q:女子選手は出場できないの?
A:その学校に在学する男子生徒のみが出場できる。また、男子部員についても規定があり、その学校の「当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、学校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの」とされている。

Q:伝令って無制限で送れるの?

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