準決勝で秀岳館に勝ち、校歌を歌い終わった後、大西主将(写真左から3番目奥)は三塁側の秀岳館ベンチに向かって一礼した (c)朝日新聞社
準決勝で秀岳館に勝ち、校歌を歌い終わった後、大西主将(写真左から3番目奥)は三塁側の秀岳館ベンチに向かって一礼した (c)朝日新聞社
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 8月20日、夏の甲子園の準決勝第2試合で、北海が秀岳館(本)に4-3で競り勝ち、初の決勝進出を決めた。北海の選手がホームベース付近に整列して校歌を歌い終わると、エース・大西健斗主将は、秀岳館が陣取った三塁側ベンチのほうに向き直り、深々と一礼してアルプススタンドへと駆けていった。

 試合終了後、大西主将に尋ねると、粋な答えが返ってきた。

「こうやって野球をやれているのは、相手あってのこと。相手がいなくては、試合はできない。敬意をもってプレーすることを心がけています。それは平川先生に教わったことで、チーム全体に浸透していると思います」

 大西主将の一礼は、今年の甲子園大会から始まり、誰に言われることなく、自然とするようになったという。

「平川先生」こと、北海の平川敦(おさむ)監督(45)は、相手チームに敬意を払い、感謝をしながら野球をすることを説いている。

 平川監督は北海で投手として活躍し、1989年に夏の甲子園大会に出場。98年に同校の監督に就任した。夏は全国最多の37回の出場を誇る北海だが、2000年代前半は遠ざかっていた。

「全国の指導方法を自分の目で見なければいけないと感じた」(平川監督)

 当時、平川監督が教えを請うたひとりが、広島の名門・広陵の中井哲之監督(54)だった。中井監督の教え子は現阪神監督の金本知憲氏など多くがプロ野球に進んでいる。中井監督が当時を振り返る。

「『広陵までうかがって指導を仰ぎたい』と連絡がありました。距離も遠いし、一度はお断りしたんです。でも何度も『なんとかお願いします』と強く要望されまして、お受けしました。きっと、長い間、甲子園に出場できず、悩まれていたのでしょう」

 中井監督は平川監督を監督室に招き入れ、指導者としての心構えを話した。

「技術に走ると技術に泣くんです。技術的な練習なんて、その効果は短期間しか持続しない。人を育てるんです。たとえ人に走って人に泣いたとしても、教育者にとっては中身のあることなんです」

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