中井監督は続けた。
「一時的に勝った負けたということよりも、子どもたちがこの学校に来てよかったと思えることが大切。選手たちは大好きな野球で夢を見て育つんです。私は本気でやってます、と伝えました」
背中を押されて北海道に戻った平川監督。08年夏に甲子園への切符を手に入れると、その後、春夏計4回の出場を果たした。
今大会の準優勝について、「いつもどおりのプレーができたからこその結果だと思います。大事なときだけ力を発揮しようとしても無理ですから。普通のことを普通にするのって難しいと思うんです。練習や学校生活の中で、常に平常心を意識づけてきました」
北海のプレーには、もうひとつ目を見張ることがある。たとえば緊迫した場面で、三振を奪ってピンチを脱しても、タイムリーヒットを打っても、ガッツポーズをしたり、雄たけびをあげたりすることはない。
二塁手の菅野伸樹選手に聞いてみると、どうやら北海の“作法”には、責任教師の坪岡英明部長(47)の影響もあるようだ。
「ひとつのプレーに一喜一憂しないことが大事だと教わってきました。部長は、喜んだり悔しがったりしても、それはもう過去のことなので『先を見ろ』と言います」
北海の部長に就いて10年目だが、グラウンドで指導するのが平川監督であれば、ミーティングを任されて心構えを説くのが坪岡部長だ。
21日の決勝で作新学院に敗れた後、甲子園の控室で荷物を整理していた坪岡部長に尋ねてみた。坪岡部長は帽子を取り、「よろしくお願いします」と頭を下げた。柔和な表情を見せるが、かつては「おっかない」と評判だったという。
過去には小樽水産の野球部の監督を務めていた。当時は、若さも手伝ってかなり厳しく接する場面が多かったらしい。だが、薄々気づいていた。
「上から目線で言っても、生徒は楽しくないはず」
10年間指導にあたった後、留萌に異動し、剣道部の顧問となった。そこで学んだのが「礼節」だった。剣道は一本取った後に喜びのあまりガッツポーズをすると、その一本が取り消しとなる。敬うべき相手や審判への非礼な態度と見なされるからだ。