大澤本家酒造社長の大澤一雅さん(右)と、息子の一慶さん。築約60年の蔵で、今年も変わらず酒を仕込む(撮影/熊谷武二)
大澤本家酒造社長の大澤一雅さん(右)と、息子の一慶さん。築約60年の蔵で、今年も変わらず酒を仕込む(撮影/熊谷武二)
この記事の写真をすべて見る

 1995年1月17日午前5時46分、未曾有(みぞう)の揺れが多くのものを奪い去っていった。この地で発展した地場産業も、大打撃を受けた。あれから20年、ものづくりへの想いは今も息づいている。

【被災地の地場産業、その他の写真はこちら】

 42歳で瓦の世界に飛び込んだ山田脩二さん(75)。和風の淡路瓦は、需要が減りつつあった上に、「瓦は重くて危険」という震災報道で大打撃を受けた。

「業界も震災前から大量生産による効率化や、安価で均一的な瓦作りを優先してきました。それを否定はしないが、製造者全部がそうなるのは違うと思う」

 2008年、山田さんは地元の有志と「ダルマ窯」を再窯。薪による焼きムラや経年で味わいが出る淡路瓦の魅力を、後世に伝えたいと考える。

地震は怖いし、命も大事。でも、日本が培ってきた建築文化や、瓦が連なる集落といった人の暮らしがなくなるのも嫌なんです」

「当時のことは思い出したくもない。嫌な思い出ばかりだ」という、ケミカルシューズメーカー・エレーヌの専務、時見弘さん(57)の言葉がずしりと響く。

 工場は倒壊を免れ、今も靴作りを続けているが、隣の自社ビルは全壊。1年後には工場の火災にも見舞われた。

 震災で業界全体が打撃を受け、今も厳しい状況は続く。一方、同社は外反母趾(ぼし)の人向けのセミオーダーブランドを作るなど、強みを増やしていった。

「次世代にどう引き継ぐかを考えるが、むしろ世代交代を早めて、震災当時を知らない人が切り開いていくほうがいいのかもしれないとも思う」

 多くの酒蔵が被災した灘五郷。その中で、奇跡的に倒壊を免れた木造の酒蔵がある。大澤本家酒造では震災当時、酒の仕込みが一段落したところだった。

 同社取締役の大澤一慶さん(34)は当時中学2年生。9代目社長の父・一雅さん(66)と自宅から車で蔵に向かった。途中、寸断された高速道路でバスが宙吊りになった姿が目に飛び込んできた。なのに同社の蔵は持ちこたえ、酒も無事だった。

「先祖が守ってくれたとしかいいようがない」(一慶さん)

 昭和20年代に建てられた灘五郷唯一の木造蔵では、今年も昔と同じ手作業での酒造りを行っている。割水しない原酒のうまさにこだわり、直販しかしない。

「震災直後も今も、その時々に一生懸命やってきてこその現在。継続することこそ、難しいと痛感しています」(同)

週刊朝日  2015年1月23日号