20年前、大都市を襲った激しい揺れ。町はどう復興してきたのか。空から追う。
■阪神高速道路倒壊現場[神戸市東灘区]
1995年1月17日の震災発生時、東灘区の深江地区では、阪神高速の高架が635メートルにわたり倒壊。都市型災害の恐ろしさを象徴する衝撃的映像は世界中に配信された。高速道路の倒壊や落橋では16人が死亡。復旧まで3年かかると言われたが、24時間態勢の急ピッチの工事で、約1年半後の96年9月に全面復旧。97年には、高速を走行中、落橋に巻き込まれ亡くなったドライバーの遺族が「欠陥構造」を理由に阪神高速道路公団(当時)を相手どり、国家賠償を求める訴訟を起こしたが、2004年、和解が成立
■鷹取東第二地区周辺[神戸市須磨区・長田区]
JR鷹取駅北東部に位置する鷹取東第二地区は約9割の建物が倒壊、焼失するなど大きな被害を受けた。避難所として機能した神戸市立千歳小学校は2002年に統廃合で閉校となり、跡地には防災公園として千歳公園が整備された。公園には100トンの耐震性防火水槽や防災資材倉庫が設置され、日常の公園の維持管理は住民が中心になって行っている。公園周辺の道路は緊急時の避難路として約14メートルに拡幅された
■阪神電鉄石屋川車庫[神戸市東灘区]
1968年に国内初の高架式車庫として造られた石屋川車庫は阪神電鉄本線石屋川駅と新在家駅の間にある。線路は車両もろとも地面に落下して車庫は全壊し、58両が被災、24両が廃車処分となった。「地震の発生が早朝だったので死者は出なかった。当時、高架下は倉庫だったので、もし誰かがいたら死者が出たかもしれない」(阪神電鉄担当者)。石屋川車庫を含む御影駅西から西灘駅東間の高架橋約2キロの被害は特にひどく、全線復旧までに約5カ月かかった(6月26日に全線復旧)。全壊した車庫はいったん更地にされ、96年に再建された。現在、高架下はスーパーや駐車場などになっている
■JR鷹取駅北方面[神戸市須磨区・長田区]
長田区と須磨区の区境に位置するJR鷹取駅。千歳公園から右方向が長田区、左が須磨区。倒壊に加え、火災も発生し、駅周辺の家屋は甚大な被害を受けた。山陽電鉄板宿駅周辺や高取山周辺など、焼失を免れた地域でも被災した家屋を覆ったブルーシートが連なっている。JR鷹取駅の駅舎は旧耐震基準ながら全壊を免れた。神戸市は1995年3月からJR鷹取駅周辺(鷹取東第一地区、第二地区など)を含む11地区で震災復興土地区画整理事業を進め、2011年3月、新長田駅北地区を最後に全ての事業が完了した
■阪急・神戸三宮駅周辺[神戸市中央区]
神戸新聞会館は全壊しすぐに取り壊された。その後、2006年10月に商業・オフィス複合ビルのミント神戸が建てられた。駅ビルの神戸阪急ビル東館も上層階が損壊して解体され、現在も地上3階建ての仮設建物で営業が続いている
■ポートアイランド[神戸市中央区]
液状化により最大約0.5メートルの地盤沈下が発生し、岸壁は崩れ、荷揚げ用のクレーンは大きく傾いた。震災発生後、約3100戸の仮設住宅が建てられた。現在は理化学研究所や神戸学院大学など286の医療関連企業・団体が進出し(2014年12月時点)、先端医療都市へと変貌した
■西代蓮池公園[神戸市長田区]
1932年に建設された神戸市民球場。震災発生後、被災者の仮設住宅の建設用地として、30棟、248戸の仮設住宅が建てられた。災害復興公営住宅の整備が完了したことを受け、2000年8月に閉鎖された。仮設住宅が撤去された後、07年に西代蓮池公園として生まれ変わった
※週刊朝日 2015年1月23日号