メタボ、ロコモ、サルコペニア……。まるで洒落た外国のお菓子のような新しい病名がいつのまにやら増えている。耳慣れない病名を付けられて、心配になるのは患者のほうだ。次々に生まれる新語のウラには、旗振り役の業界のこんな事情があった――。
医療界でヒットした代表的な新語として挙げられるのがメタボリックシンドローム、略して「メタボ」だ。2005年あたりから使われだすと、一気に流行語となり、翌06年の「新語・流行語大賞」でトップテン入りを果たす(ちなみに同年の大賞は「イナバウアー」と「品格」)。
突然湧いて出たような「メタボ」だったが、この言葉が指す疾患群は以前から存在した。内臓肥満に糖尿病、高血圧、脂質異常症を合併した状態に、医療界は「死の四重奏」などと格調高い名称を与えたこともあったが、“死”という文字が忌み嫌われたのか、一般に浸透することはなかった。
それが「メタボ」に変えた途端の大ヒット。国民医療費の高騰にあえぐ国は「メタボ健診」の受診を呼びかけ、周囲から「メタボ腹」とか「メタボ親父」などの派生語で虐げられるようになった中年男性たちが、競うようにしてダイエットに取り組み始めたのはご承知のとおり。
「メタボの成功」が医療界にもたらした影響は大きく、診療科ごとに新語の作成に力を入れるようになる。
07年には整形外科とリハビリテーションの分野から、変形性膝関節症や骨粗しょう症などの運動器障害により“要介護”となるリスクの高い状態を指して「ロコモティブシンドローム」(略称「ロコモ」)という新語が誕生した。しかしこのロコモ、そこそこ話題にはなったものの、大ヒットとまでは言えないようだ。
グーグルで検索したときのヒット件数で見ると、メタボリックシンドロームの約174万件に対して、ロコモティブシンドロームは約19万1千件に過ぎない。
「医療系の新語では、グーグルでのヒット件数が100万台に乗ると、一般的な言葉として認知された感じがしますが、その意味で“ロコモ”はまだ弱い」と語るのは、新語ウォッチャーのもり・ひろし氏だ。
同様の意見は臨床の場からも聞こえてくる。筑波メディカルセンター病院リハビリテーション科の上杉雅文医師は、ロコモが一般に定着しない理由を二つ挙げる。一つはこの言葉が欧米の論文で使われていないこと、二つ目は整形外科やリハビリテーション科以外の診療科の医師がこの言葉を使っていないことだ。
「前者は日本が“高齢化”において世界のトップを走っていることを考えると仕方ないことと言えます。しかし、後者については考えなければならないことがあると思う。高齢者の運動機能低下は、内科を含む多くの医師が気にし始めています。その表れとして最近では、老年内科の領域で『フレイル』という新語が使われ始めていますが、その中身が『ロコモ』とよく似ています」
医科から歯科の世界に目を転じてみると、こちらにも新語の動きがあるようだ。
加齢によって咀嚼機能や摂食・嚥下機能が低下することで、栄養補給がうまくいかなくなったり、誤嚥性肺炎を引き起こしたりするリスクが高まることは知られている。しかし、この状態を明確に指し示す用語がないのだ。現在、関連する学会がここに当てはまる新病名作成に向けて動き出しているという。
かつては「歯槽膿漏」という呼び方が定着していた疾患名を「歯周病」へと変換させることに成功した経験のある歯科領域だけに、新病名誕生への動きから目が離せない。
医療界の「新語ブーム」について、前出のもり氏はこう分析する。
「たしかに、病態を表す新語ができれば、国民は病気の存在を知り、予防に役立てることができます。ただ、過去の経緯を見ると、医療界の新語には一般の産業界と異なる側面もある。それは患者のコンプレックスを外す––という働きです」
たとえば「勃起不全」を「ED」に、「男性型脱毛症」を「AGA」に、「痴呆症」を「認知症」に、といった動きがそれだ。そのものズバリの名称によって苦しんでいた患者を救い出した新語の功績は大きい。「メタボ」や「ロコモ」にしても、その役割は多少なりともありそうだ。
しかし、もり氏は言う。
「真相をぼやかすことはあってもいいが、わかりづらすぎると浸透しない。『COPD』(慢性閉塞性肺疾患)などは、一般には難しいでしょう」
新語を作り、普及させるには多額の費用と労力を要する。旗を振ったわりに定着せず、しかも「そんな新語があったな……」という記憶だけはいつまでも残るような恥ずかしい結末だけは避けてほしい。
※ 週刊朝日 2014年10月10日号より抜粋