中村紀洋も巨人を“振った”選手の一人だった (C)朝日新聞社
中村紀洋も巨人を“振った”選手の一人だった (C)朝日新聞社
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 今オフのFA戦線で、巨人楽天・美馬学、ロッテ・鈴木大地の両獲りに動いたが、美馬はロッテ、鈴木は楽天を選び、まさかの惨敗。美馬の交渉に際しては、原辰徳監督自ら出馬し、ラブコールを送ったにもかかわらず、功を奏さなかった。この事態を「歴史的異変」と報じた媒体もあったが、実は、過去のFA戦線でも“巨人を振った”男たちは存在した。彼らはどのようないきさつと理由から巨人を袖にしたのだろうか?

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 FA制導入後、最初に巨人を振った男は、1997年、3年連続二桁勝利となる13勝6敗、防御率2.99の好成績で“野村ヤクルト”3度目の日本一に貢献した吉井理人である。

 近鉄時代の同僚・野茂英雄の活躍に刺激され、メジャー挑戦を決意した吉井は、同年オフ、球界初の国外移籍を前提とするFA宣言を行う。国内でも巨人、阪神中日、横浜、西武の5球団が獲得に乗り出し、熾烈な争奪戦となった。

 そんななか、巨人は11月11日の第1回交渉で長嶋茂雄監督自ら出馬した。吉井の自著「投手論」(徳間文庫)によれば、巨人の条件は3年総額12億円。当時年俸9500万円の吉井は「正直心がぐらついた」という。巨人は野球を始めたころから憧れの球団だったが、やはりメジャーへの夢も捨て切れない。

 吉井が迷っていると、長嶋監督は「わかった。それなら私のポケットマネーで1億を払おう」と条件をアップした。計13億円である。憧れの人にそこまで言われたら、心変わりしても不思議はない。内心日本よりレベルが高いメジャーではたして通用するのか?と不安を感じていれば、なおさらだ。

 交渉直後、吉井は「以前は8割方、気持ちはメジャーでしたが、今は半々です」と揺れる胸中を吐露。長嶋監督も「時間はかかるだろうが、最後まで粘り強くいきます」と獲得に自信を深めた様子だった。

 だが、年末に野茂と酒席で語り合ったことが、運命の転機となる。吉井の内心の“ビビり”を見抜いていた野茂は言った。「思いどおりにやったほうが後悔しませんよ」。

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野茂の“助言”でメジャーへの思いが再燃