現在の起点・御陵を過ぎるとまもなく、単線シールドの“真ん丸”なトンネルを抜け、800系電車は地上区間に出る。次の京阪山科(やましな)はJR琵琶湖線(東海道本線)との接続駅で、京都市営地下鉄の山科とは離れている。地下鉄各駅から山科周辺へ向かう場合、びわ湖浜大津行き直通列車に乗って京阪山科で降りると、地下鉄分プラス京阪分の運賃を支払わなければならない。地下鉄六地蔵(ろくじぞう)行きの列車で地下鉄山科下車なら、もちろん京阪分はいらない。そのため、車内アナウンスや掲示で乗客への注意が随時、呼び掛けられている。京阪山科のホームは2面2線で、それぞれのホームのびわ湖浜大津寄りに改札が設けられている。

 四宮(しのみや)駅の北側には、留置線が広がっている。1997年までは四宮車庫と呼ばれていたが、検修機能が石山坂本線沿線の近江神宮駅に隣接する錦織(にしごおり)車庫に統合、車両庫も解体された。

 京津線の線路は旧東海道にあたる国道1号に沿って、難所の逢坂越えにかかる。上り坂の途中の追分との間に京都・滋賀の府県境があり、逢坂山のサミットよりも京都市側に大津市が張り出した形だ。民家が連なる何気ない風景のなかに、不思議な府県境を示すプレートが車窓からも確認できる。

 大谷のホームは1996年の線路移設以降、40パーミルの勾配の途中に設けられた。そのため、ベンチの脚の長さが車窓からもわかるほどに左右で異なっている。豪雨のときなどは雨水がホーム上を追分方面に向かって、ものすごい勢いで流れ下っている光景も見られる。近くには「小倉百人一首」の代表的な歌人として知られる蝉丸(せみまる)法師を祀(まつ)る蝉丸神社や、老舗のウナギ料理店が数軒ある。逢坂越えのサミットの直下にあたることから、近くには官設鉄道(現・東海道本線)にも逢坂山隧道(ずいどう)貫通以前の1879年から貫通後の1921年まで、同名の大谷駅が設けられていた。駅跡はいま、名神高速道路の路盤に埋まっている。

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“山岳鉄道”区間のハイライト・逢坂越え