■天井を見上げたら「急速に活力が失われ…」

 さて、スタンダールにはその名を冠した「スタンダール症候群」がある。普通、症候群はこれを最初に報告した医師の名を冠するが、この場合はスタンダールが報告された最初の患者(?)である。

 軍務・政務を離れたスタンダールは、1817年に母方の故郷であるイタリアへ旅行したが、同年1月22日フィレンツェにあるサンタ・クローチェ聖堂にあるジオットのフレスコ画を見上げていた時に、突然、めまいと激しい精神の動揺に襲われて動けなった。このことは、彼の「イタリア紀行―1817年のローマ、ナポリ、フィレンツェ」に記載されている。「私は天井をよく見られるように説教壇を上って座った。どの絵も最大の喜びを私に与えた。が、とくにVolterranoのSibylsに私は、芸術の美しさと情熱のみが提供できる天国のような感情を経験することができた。サンタ・クローチェを離れた後も、私の心臓は不規則に波打ち、急速に私の中から活力が失われたのを感じた。そして、私は恍惚感を恐れながら前に進んだ」

 このエピソードから170年が経った1989年、イタリアの心理学者グラツィエラ・マゲリーニは同じような症状を呈して、過去20年間にサンタマリアノヴェッラ病院に搬送された106人の外国人患者から、新たな疾患概念を提唱した。マゲリーニは強い感動による心因反応と考えたが、他にもエルサレム症候群やパリ症候群(聖地や憧れの都に来た興奮のあまり体調を崩す)が報告されている。

■中年男女に多い症状

 しかし、不思議なことにスタンダール症候群は、もともと一番多いはずのイタリア人の症例報告は無く、アメリカ人や日本人にも見られない。一番多いのがフランス人、次はドイツ人である。マルゲリーニは、「イタリア人はもともと同様の宗教画を見慣れているから、アメリカ人と日本人は文化的背景が違うからだ」などと説明しているが、ちょっと無理がある。また、この症状を呈するのは中年男女で、本来、感受性が最も高いはずの青少年には極めて稀である。

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美容院脳卒中症候群とは?