実際、スタンダールの場合、決して生来の宗教美術フアンではなく、むしろイタリア絵画には批判的であった。さらに、ナポレオン軍の士官時代に何度か遠征でイタリアには赴いている。前掲書に「音楽はイタリアで今以て盛んな唯一の芸術である。音楽だけがイタリアでは生きている。そしてこの美しい国では恋愛だけしていればよい。ほかの魂の楽しみはここでは邪悪である。(中略)画家や彫刻家は、パリやロンドンにいるのと変わりない。絵画は死んで葬り去られてしまった。」と記している。崇高な宗教絵画に接した感動のあまり……というのは後世の誤解、あるいは買い被りであろう。

美容院脳卒中症候群

 2017年、コロンビア・ボゴタにあるロザリオ大学の神経内科医Palacios-Sancesらは過去の報告例の文献的考察を行い、世界中のどこでも美術館などで芸術作品を鑑賞中に一定の頻度で、頻脈や脱力、方向感覚や時間感覚の喪失、幻覚、多幸感あるいは不安感、耳鳴り、人格変化、そして強い消耗感を生じる患者があることを報告した。胸痛や頻脈、不安感、発汗、脱力などの症状は2日から8日の間持続し、後遺症を残すことは稀であるが、反復して発症する傾向のあること。リスク因子として高学歴、精神・神経疾患の既往歴、疲労、脱水、直射日光曝露、睡眠不足などがあげられた。

 気をつけなければならないのは、器質的な病変が隠されている可能性である。仰臥位(ぎょうがい。上を向いて寝た姿)で頭部を後屈すると、圧迫によって椎骨動脈からの脳血流が減少するが、特に長時間この姿勢をとることによって小脳や脳幹に微小血栓を生じた事例「美容院脳卒中症候群」(Beauty salon stroke syndrome)が指摘されている。

 血栓傾向のある方や脱水があると特にリスクが高まるので、空気の乾燥したイタリアで長時間天井画を見続けることはやめておいた方が良いだいだろう。

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