2018年シーズンが終了し、早くも来シーズンへ向けた各チームの動きも気になるが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「伝説に残る男・江夏豊編」だ。
* * *
江夏豊が稲尾和久(西鉄)の持つシーズン353奪三振の日本記録に挑戦したのが、阪神入団2年目、1968年9月17日の巨人戦(甲子園)だった。
この日まで346奪三振を記録していた江夏は3回までに5三振を奪い、セ・リーグ新記録の351を達成。そして、4回1死から土井正三、王貞治を連続三振に切って取り、ついに稲尾と肩を並べた。
だが、「新記録も王さんから」と狙っていた江夏は、このあと打者一巡するまで8人の打者からひとつも三振を取らなかった。巨人の各打者が「三振だけはすまい」と早いカウントから軽くバットを合わせるように打ってきたのにも助けられた。
6回、投手の高橋一三をカウント1-2に追い込んだときが“最大のピンチ”だったが、「そっと真ん中に投げて」二ゴロに打ち取る。
そして、7回1死、この日3度目の対決(2打席連続三振)となった王に対し、1-2から「打つなら打て!」と外角高めにありったけの力を振り絞って速球を投げると、「力対力」の勝負で思い切り打ちにいった王のバットは空を切った。この瞬間、シーズン最多の354奪三振が達成された。
ここまでの話はよく知られているが、それでは、肝心の試合はその後どうなったのか?“伝説”の部分だけがクローズアップされた結果、意外に知らない人もいるはずだ。
実は、ゼロ行進を続ける巨人に対し、阪神打線も左腕・高橋一から決定打を奪えず、0対0のまま延長戦にもつれ込んだのである。
時間切れ引き分け寸前の12回裏1死一、二塁で江夏に打順が回ってきた。「いちかばちか思い切って振ってやれ」と初球を一振すると、打球は右前に抜け、劇的なサヨナラ安打になった。
投打のヒーローになった江夏は「あそこで僕にお鉢が回ってきたことといい、この夜は僕のためにあったようだ。本当に僕は幸せもんやと思います」とコメントしている。
同年は現在でも歴代1位の「401」まで記録を伸ばした。
江夏がオールスター史上初の9人連続奪三振の快挙を成し遂げたのが、71年7月17日の第1戦(西宮)。
初回に有藤通世(ロッテ)、基満男(西鉄)、長池徳二(阪急)を3者連続三振に打ち取った江夏は、2回も江藤慎一(ロッテ)、土井正博(近鉄)を空振り、東田正義(西鉄)を見送りと6連続奪三振。
そして、3回にも阪本敏三、岡村浩二(いずれも阪急)を連続空振り三振に打ち取ったあと、代打・加藤秀司(阪急)を1-2から空振り三振に仕留め、前人未到の9連続三振を達成した。加藤が1-1からの3球目にキャッチャーフライを打ち上げた際に、江夏が「ブチさん(田淵幸一)、追うな!」と叫んだ話もよく知られている。
だが、これまた前出のシーズン奪三振記録同様、“伝説”以外にも「スゴイ!」エピソードがめじろ押しだ。