本当の尊厳死とは何なのか。深く考えさせられました。暴れるからといって老人をベッドに縛り付ける、管だらけにして生かす、ということがいいのかどうか。死に方の選択肢については、これから大きな課題になってくると思います。

――認知症の場合、本人の意思がわからないので、尊厳ある死をどう考えるか、余計に難しいですね。認知症のお母さんは映画の中で「ある日ぽっくり死にたい」と言っていますが、なかなかぽっくり死ねないのが現実です。

 私はゆるーい介護をしてあげるのが、一番いいんじゃないかと思っています。いまの一般的な介護の考え方というのは、歩けなくならないように筋トレをさせたり、ボケないように漢字や計算のドリルをさせたりという発想ですよね。医者に「朝食後にこの薬を飲ませて下さい」と言われれば、無理やり起こしてご飯を食べさせ、薬を飲ませる。

 ゆるーい介護というのは、そういうガチガチの管理型の介護はやめて、本人がゆっくりと自然に死に向かっていけるように寄り添う介護のことです。

 今の日本社会を支配しているのはできることを良しとする価値観。だから、できなくなることに対して、みんな恐怖がある。それは老いを受け入れていないということです。現実にはみんな年をとるのに、年をとっていろいろできなくなることがダメだと考えれば、その延長にある死はもっとダメになってしまう。そういう価値観自体を、変えていかないといけない。それが、私がこの映画の製作を通して強く感じたことです。

――介護する側も、される側も老いを受け入れていく必要があると。

 よく「介護には終わりがない」といいますが、私は「終わりからの介護」を提唱したいです。

「終わりからの介護」という考え方に立って、朝食後に飲む薬を処方した医師にこう聞いてみる。「これは絶対に朝食後に飲まないといけないんでしょうか。うちの母は午前中は起きられないことが多いんです」と。すると、医師も「これは循環器系の薬だから、お母さんが一番元気な夕食後に飲んでも大丈夫ですよ」と言ってくれるかもしれない。これで母を無理に起こさなくて済むわけです。

 常に介護される側の立場で考え、疑問を持ち、その人が自分らしい死を迎えられるように、どのくらいゆるく介護してあげられるか。

 それには、ケアをする側が自分の頭で考える力が必要です。日本の介護のあり方と教育のあり方を同時に考え直す時期に来ていると思います。
(構成/編集部・石臥薫子)

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