もし、認知症の人が暴れたとしたら、それはその介護者を拒否しているのではないでしょうか。言葉で言えなければなおさら、行動で表すしかない。認知症で人が変わったわけではない。介護する側は、きょうだいで順番にとか、長男の嫁だからとか、自分たちの勝手な都合で介護する人を決めてしまいますが、たとえそれが自分の子どもであっても「介護されたくない」ということがあると思います。「認知症は嘘発見器だ」というのはそういうことです。

 認知症になると、その人の本音が見えてくる。だからよく人間観察をして、その人が本当に欲していることを理解し、それに沿ったケアをすることが大事です。

――それが2作目のテーマとなっている「パーソン・センタード・ケア」の考え方ですね。

 そうですね。その人の心を探り、心の不安があればそれをどう取り除くのかを考えるケアです。「パーソン・センタード・ケアなんて簡単だ」とよく言われますが、とんでもない。実は一番難しい。なぜなら認知症になっても十人十色で、私の母のケアと隣のおばあちゃんのケアは全く違いますから。生き様も、性格も食べ物の嗜好も全部違うので、まったくマニュアルが通用しない。非常に高度なスキルなんですね。だから家族にケアができないのは当然ですよ。

――「毎アル」シリーズではそれを関口さんが明るく、サラッとやっているので、自分もできるような気になってしまいますが、実際には難しいと。

 私はドキュメンタリー映画の監督で、人間観察をするのが商売だし、母とは性格も真逆なので、被写体として面白い。そういう特殊事情があるからというのもあるでしょう。対談した認知症の専門医も「僕は冷たくてドライだ」と言っていましたが、私もまったくそう。そのくらい距離がないと認知症の介護はできないと思います。

 結論を言えば、家族に認知症の介護はできない。それを無理してやろうとすると、家族の負担が大きくなって介護殺人が起きたりする。厚生労働省が「住み慣れた自宅で最期まで介護」なんて旗を振るのは罪です。自宅にいることが重要なのではなくて、どこであっても安心できる場所にしてあげるスキルこそが必要なんです。

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