いえ、愛じゃないんです。愛だと考えると「相手を思って私はこんなにやってるのに」となって、かえってややこしくなる。ウェットな愛じゃダメなんです。母が心穏やかに過ごしてくれれば、私がハッピーな入院生活を送れる。回り回って私が得をするというドライな考え方。動機は「Me(自分)センタード」でいいんです。「人のため」なんていう綺麗ごとではケアはできません。

――介護に必要なのは「愛」じゃないと?

 介護に必要なのは愛じゃなくて理性です。もっと言えば科学、サイエンスですね。パーソン・センタード・ケアは究極のサイエンスですから。動機は「Me」だけれど、ケアは介護される側が一番心地よく過ごせるパーソン・センタード・ケア。それが理想の介護だと思います。

――映画では、老いと尊厳ある死についても考察を重ねています。

 死ぬことを忘れてしまった母を、どうやって看取るのか。さらに、私自身が手術や入院をしたことで、死に方の選択肢について考えるようになりました。今回、日本ではまだ馴染みのない「自死幇助(ほうじょ)」についても取り上げています。医師が薬を使って絶命させる「安楽死」とは違い、医師が薬の準備はするものの、その薬を使って命を終わらせるのは自分自身、という方法です。

 ちょうど5月初めに、オーストラリア人の104歳の植物学者が、私が映画で撮影したスイスのクリニックで、幇助を受けて自死したというニュースが世界中で報じられました。彼は90歳くらいまでは元気で学者としてフィールドワークもできて幸せだった。でもそこからの14年間は、頭ははっきりしているのに、体の自由がきかなくなって車椅子での生活。毎日身体の痛みもひどい。目も見えなくなってきた。こんな人生に何の意味があるのかと悩み、自殺も試みたんですね。それでも死ねなくて、入院させられて精神科医にかかり、なかなか退院が出来なかった。

 今回のケースは、世界で初めてターミナルな病気を持たずに人生の最期を自分で決めることが許されての、自死幇助になりました。

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