パソコンの前で自分がフリーズ…(※イメージ)
パソコンの前で自分がフリーズ…(※イメージ)

 残りの人生を自分らしく生きるために、新天地に向かう人がいる。50代でその決断をした女性を取材した。

 伊藤加奈子さん(52)は50歳のとき、30年近く住んだ東京から沖縄本島中西部の読谷村(よみたんそん)に移住した。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、生活情報サイト「All About」でマネーガイドも務める。

 沖縄との付き合いが始まったのは、34歳で始めたダイビングがきっかけだった。仕事もプライベートも充実していた30代。パートナーと別れ、勤めていたリクルートから独立してマンションも買い、一人で生きていく覚悟ができた40代。山あり谷ありの人生の中でも、沖縄には通い続けた。

「息苦しかったんです。東京にいると“自分を主張しなきゃ”“効率を追求しなきゃ”という呪縛にとらわれてしまう」

 沖縄では、海も、流れる時間も、人々の表情も話す方言も、「あなたはあなたでいいんだ」と言ってくれているようだった。

「50歳までの移住」を考えたのは、60歳を過ぎてからでは体力・気力に自信がなかったし、ここに根を張って生きていくために早く基盤を作っておきたかったから。まずアパートを借り、東京と行ったり来たりの生活。家を建てる土地も見つかった。

 そこに一本の電話がかかってきた。静岡県に住む母が脳梗塞(こうそく)で倒れたという知らせだった。実家に戻り、仕事をこなしながら介護を始めた。移住なんてもう無理だ──。

 ある日、パソコンの前で自分がフリーズした。あと1ページ書けば納品できる原稿なのに、一文字も書けない。うつと診断され、薬を処方されたが、頭がぼんやりするだけで、ネガティブ思考は深まる一方だった。

 沖縄に飛んだ。足を踏み入れた瞬間から、鉛のように感じていた体が不思議と動き出した。

「やっぱり、私が私でいられるのはここしかない」

 移住を決めた。親を見捨てるわけじゃない。毎月数日通って、適度な距離を保てばいい。 生活はぐっとダウンサイズした。これまで月40万円近くを支出していたが、沖縄では15万~16万円あれば十分。近所の人が旬の野菜や海の幸をお裾分けしてくれる。

 最近では「からたがふぅ読谷」という地域コミュニティーに参加する。自分も何かできることはないかと、一人親のマネー相談も始めた。移住をあきらめなくてよかった。今、心からそう思う。

AERA 2015年12月7日号より抜粋