大センセイが若かりし頃感じた「庶民とエリート」の違い
連載「大センセイの大魂嘆!」
外務省は新橋から歩ける距離にある。入館手続きを済ませて審議官室に向かうと、質素な応接室に通された。現れたのはスラリと背が高く、異様に鼻筋の通った白皙(はくせき)の紳士であった。
Tさんがわざと低い声で、
「えー、本日は北方領土の、あー、あれですね、いわゆる政経分離の原則というものがですね、そのー」
とわけのわからない取材趣旨の説明をしたが、審議官はほとんど聞いていないふうであった。
Tさんのシドロモドロの口上が終わると、審議官はキャビネットから英字新聞のスクラップを取り出し、それを眺めながら静かに話し始めた。審議官の言葉はそのまま活字にできるほど美しく整理されていて、微塵の無駄もなかった。
せっかく勉強してきたんだから一回ぐらい質問しようと思って、大センセイが口を挟もうとすると、Tさんに小声でたしなめられた。
「一夜漬けで張り合おうとすんじゃねぇよ、バカ」
取材を終え、霞が関からかめちゃぼエリアに戻ってくると、露店で“高級ボールペン”を売っているおじさんがいた。
何を思ったか、Tさんはスポーツカーのフェラーリのマークが入ったパチモンのボールペンを二本買うと、一本を大センセイに投げて寄こした。
「ヤマちゃんよう、俺たちゃ庶民だな」
フェラーリのボールペンはすぐに書けなくなってしまったが、大センセイ、50代も半ばになって、あの時のTさんの気持ちが、少しわかるようになった。
※週刊朝日 2018年9月28日号
山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている
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