お正月休みは自宅でのんびり、という人にとって、ごろ寝の友といえば、やはりテレビだろう。大晦日の紅白歌合戦に始まり、年明けは、となると、毎年1月2、3の両日に開かれる箱根駅伝を楽しみにしている人も多いに違いない。
 2011年はその箱根に、クジラから抽出したサプリメントを"秘密兵器"にした大学が出場する。このチームでは練習段階から選手たちに摂取させ、鍛えてきた。
 原料がクジラというと驚かれるかもしれない。だが、現存する最大の動物シロナガスクジラなど、ヒゲクジラの仲間の肉に、これまでほとんど知られてこなかった「力」が秘められていることが、最近になってわかってきた。
 その力の源は、クジラの筋肉中に含まれる遊離アミノ酸の一種、イミダゾールジペプチドの「バレニン」である。
 クジラの多くは、一年の半分は餌のある冷たい海で食いだめ、繁殖期になると暖かい海へ移動して絶食状態のまま出産・子育てを行い、再び数千キロも離れた餌場の海へ戻る。
 そんな一生涯続く地球規模の壮大な回遊を支えているのがバレニンなのではないか、と考えられるようになったのだ。
 クジラなど海産哺乳類の研究や調査をしている財団法人日本鯨類研究所(鯨研)の前理事長で顧問の畑中寛氏は、バレニンに着目した一人だ。
「04年に、私たちが調査捕鯨の対象にしているミンククジラの肉を分析してもらったところ、バレニンという有用な物質が含まれていることがわかりました」

 ◆疲労回復の早さ実感して商品化◆
 食品の機能性評価や医薬品の薬効薬理試験を行う新薬開発研究所が、鯨研の依頼でマウスによる実験を行ったところ、バレニンに抗疲労作用が認められた。
 そこにいち早く目を付けたのが、スポーツ・健康用品製造販売会社「ファイテン」だった。
 同社営業本部の藤田和宏氏は09年の暮れに、新商品開発会議がきっかけでバレニンの存在を知った。
「袋詰めされた顆粒状のものを、まず自分で飲んでみたところ、運動による疲労が軽くなるのを実感できました。そこで社長に、ぜひ商品化したいと提案したんです」
 その結果、同社は、鯨肉を缶詰などに加工する際に出る煮汁をフリーズドライ製法でサプリメント化し、10年夏から販売している。
 ただし、このサプリメントは一般販売はされていない。ファイテンには、顧客の症状や悩みを聞いて個別に商品を提案する会員制のシステムがあり、そこだけで販売されているのだ。
 表だった宣伝などしていないため、当初は月に200箱程度の販売を予想していたが、発売から2カ月で1400箱を売り上げた。
 ファイテンがサポートしているアスリートにも、バレニンは好評だ。
 09年まで東洋大学のエースとして箱根駅伝で活躍し、大学初優勝に貢献。現在は旭化成陸上部に所属する大西智也選手(23)は、10年4月から飲み始めた。
「きつめの練習や試合の前に飲んでいますが、飲んだ日は、レースの後半になっても、足が普段より楽に動く感じがするんです」
 最初は気のせいかと思ったそうだが、バレニンを飲んで出場した10年9月の全日本実業団対抗陸上競技選手権と10月の世界ハーフマラソンで、自己最高の成績を収めた。
 駒沢大学陸上競技部主将を務めた日清食品グループ陸上競技部の安西秀幸選手(25)も、バレニンを飲んだときの調子の良さを実感している。
「この2年ほど記録が低迷していましたが、10年は5千メートルと1万メートルで立て続けに自己ベストの記録を出せました。特に4月の5千メートルのときは、本番の10日前に風邪をひいて調子が悪かったのに、崩れませんでした。疲労がたまった状態で試合に出たときも、回復が早かったですね」
 他にも有名プロ野球選手が愛飲するなど、信頼は着実に高まっている。
「疲労回復が早くて筋肉痛の軽減を実感できるので、アスリートの方たちから、『これ、すごくいいけど、ドーピング検査にはひっかからないですよね?』と心配されることがよくあります」(前出の藤田氏)
 原料は100%鯨肉なので、もちろんドーピングの心配はない。
 ただ、バレニンのメカニズムそのものは、まだ解明されていない。
 日本のジペプチド研究の第一人者である阿部宏喜・東大名誉教授(水圏生命科学)はこう説明する。
「バレニンには抗疲労効果だけでなく、細胞を保護したり、傷を治したりするなど多彩な効用があることがわかっています。ところが、あまりにも効用が多すぎて、どの作用がどの症状を軽減するかが、まだ特定できていないのです」
 調査捕鯨によって、鯨肉は年間5千トンの安定供給が見込める。
 また、缶詰加工などで余った煮汁は、これまで捨てるしかなかったが、今後はバレニンの原料としてリユースできそうだ。
「クジラ食文化を守る会」会長で、『鯨は国を助く』(小学館)の著書もある小泉武夫・東京農大名誉教授はこう指摘する。
「日本で食料自給率が100%なのはコメとクジラだけです。クジラは年間に人類が食べる4倍くらいの魚類をエサにするから、増え続ければ、我々の食料資源が減っていく。口蹄疫や鳥インフルエンザ、豚コレラなどが猛威を振るうので、人類が必要とする食料を陸上の動物の肉だけで賄うのは、将来的には難しくなるでしょう。だからこそ、人類はもっとクジラを食べるべきなのです。その際に出る大量の廃棄物が有用なサプリメントになるなら、そんなに素晴らしいことはありませんよ」
 世界の海を回遊するクジラには及ぶべくもないが、進化する機械に囲まれて生きる現代人も、実は自然の恵みに支えられて、日々走り続けている。
 箱根駅伝でバレニンのパワーが発揮されるのかどうか。そこに着目しながら観戦するのも一興だろう。
 また、11年2月27日の東京マラソンには、3万2千人の市民ランナーが参加する予定だ。読者諸賢のなかにも、エントリーした方がいるに違いない。
 バレニンを飲んだことがある人のなかにも、
 「効いたかどうかよくわからなかった」
 と首をかしげる人もいる。
 だが、せっかくの晴れ舞台。マラソン慣れした方も、そうでない方も、クジラのパワーが効くのかどうか、自分自身で試してみるのも、また一興ではないか。
(石井信子)

【魚類と哺乳類のバレニン含有量】
(mg/100g) +痕跡あり
カツオ                 +
マサバ                +
マアジ                 +
ナガスクジラ(ヒゲクジラ)   1466
ミンククジラ(ヒゲクジラ)   1874
マッコウクジラ(ハクジラ)      3
マゴンドウクジラ(ハクジラ)  553
ブタ                 48
シカ                 94
ヒト                  +
 <『魚の科学事典』(朝倉書店)から>
週刊朝日