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「光る君へ」に関する記事一覧

【大河ドラマ「光る君へ」本日第7話】平安貴族が入浴や洗濯のかわりにしていた「におい隠し」とは 
【大河ドラマ「光る君へ」本日第7話】平安貴族が入浴や洗濯のかわりにしていた「におい隠し」とは  平安時代と聞いて多くの人が思い浮かべるものの一つが、きらびやかな装束。大河ドラマ「光る君へ」でも、貴族たちが色とりどりの装束を身に着けて集う姿が描かれている。だが、実際はこの装束が「使い捨て」だったというから驚く。
酒豪、潔癖症、陽キャ…大河で花山天皇を好演中「本郷奏多」の意外すぎる素顔
酒豪、潔癖症、陽キャ…大河で花山天皇を好演中「本郷奏多」の意外すぎる素顔 NHK大河ドラマ「光る君へ」で、奇抜なキャラを演じて注目を集めているのは、俳優の本郷奏多(33)だ。変わり者の花山天皇を好演しているが、1月28日放送の第4回では、入内した藤原よし子(井上咲楽)の手首を帯で縛るという官能的なシーンもあり、SNSでも「ぎりぎりまで攻めたな」「NHKで雅な緊縛プレイが流れた」などと盛り上がり、放送中に「緊縛プレイ」がトレンド入りするほど。エキセントリックな役をリアルに落とし込んで演じる本郷の演技力を絶賛する声も多くあった。
〈NHK大河「光る君へ」第7話18日放送〉第7話「おかしきことこそ」 虚構の『源氏物語』が伝える真実
〈NHK大河「光る君へ」第7話18日放送〉第7話「おかしきことこそ」 虚構の『源氏物語』が伝える真実 五十四巻にわたる長編の大河小説『源氏物語』は、平安時代の大ベストセラーである。さらに後世にも絶大なる影響を与え続け、紫式部は男女の秘事を広めたため成仏できなかったという伝承まで広まった。『源氏供養』は式部の霊を供養することに力点がおかれた異色の作品である。歴史学者・関幸彦氏は、小説とはいえ、『源氏物語』がある種の実在性を以て、王朝貴族たちに迎えられていたことは間違いないと指摘する。関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する(2024年1月7日に配信した記事の再配信です)。
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉「紫式部」の名前の由来となった父 曽祖父や伯父が『源氏物語』に与えた影響とは
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉「紫式部」の名前の由来となった父 曽祖父や伯父が『源氏物語』に与えた影響とは 大河ドラマに、紫式部の永遠のライバル清少納言が登場。漢詩での対決となったが、そもそも紫式部がなぜ漢詩に造詣が深かったのか。紫式部の一家は、典型的な文人貴族だ。曽祖父の兼輔は公卿で、歌才も豊かだった。父為時の兄為頼は、摂関家の藤原頼忠家の歌会に出席していた。永観二年(九八四)には、父為時が“式部丞”となり、この父の官職に由来し「紫式部」の名は付けられた。翌々年には“蔵人・式部大丞”に任ぜられ、為時は歌人としても有名となった。「式部の成長する環境のなかで少なからず影響を与えたはずだ。」と歴史学者の関幸彦氏は言う。同氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、三人の人物が紫式部にどのように影響を与えたか紹介する(「AERA dot. 2024年1月29日に配信した記事の再配信です)。
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉紫式部と藤原道長に「禁断の恋」はあったのか 晩年の『紫式部集』で明かされた「真実」
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉紫式部と藤原道長に「禁断の恋」はあったのか 晩年の『紫式部集』で明かされた「真実」 紫式部と彼女の時代の最も影響力のある男性、藤原道長との間に秘められた恋愛はあったのか。『紫式部日記』と彼女が晩年に編集した『紫式部集』の間で描かれる二人の関係性の違いを通じて、紫式部が道長に対して抱いていた感情の複雑さを垣間見ることができる。紫式部と道長、この二人の間には一体何があったのか、平安文学と紫式部に詳しい京都先端科学大学の山本淳子教授の新著『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか』(朝日新聞出版)から抜粋・再編集して解説する(「Aera dot.」2024年1月8日に公開された記事の再掲載です)。
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉紫式部の部屋を訪れたのは藤原道長? 『紫式部日記』に描かれた「やり取り」とは
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉紫式部の部屋を訪れたのは藤原道長? 『紫式部日記』に描かれた「やり取り」とは 『源氏物語』の作者として知られる紫式部は、当時の権力者である藤原道長と恋仲にあったという噂が根強くある。その根拠となるのは、彼女が残した実録『紫式部日記』に記された、ある夜の出来事だ。この日記には、道長への想いがほのめかされる他の箇所もある。ここでは、『紫式部日記』から、彼女と道長の関係を平安文学と紫式部に詳しい京都先端科学大学の山本淳子教授の新著『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか――』から抜粋・再編集して探ってみる(2024年1月7日に配信された記事の再掲載です)。

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〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉道長は年上女子の“お眼鏡にかなった”好男子 女性たちのサポートで押し上げられた「運命」
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉道長は年上女子の“お眼鏡にかなった”好男子 女性たちのサポートで押し上げられた「運命」 永延元年(九八七)、藤原道長は二十二歳で宇多天皇の孫にあたる源雅信の娘倫子と結婚をしたが、この婚姻の成立には倫子の母の強い後押しがあった。またその翌年には、源高明の娘明子を第二夫人として迎え入れる。この仲立ちを積極的になしたのは道長の姉詮子だった。姉詮子は道長の関白(内覧)就任にも大きく関わっている。関幸彦の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、年上女性に応援される道長の人間性を紹介する(「AERA dot.」2024年1月15日に配信された記事の再掲載です)。
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉永遠のライバル「清少納言」にあって「紫式部」になかったものは何だったのか
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉永遠のライバル「清少納言」にあって「紫式部」になかったものは何だったのか 大河ドラマ『光る君へ』に、ついに紫式部の永遠のライバル清少納言が登場する。北条政子や、豊臣秀吉の妻・おね、室町期の日野富子など、日本の歴史を動かした魅力的な女性を題材に、数々の傑作歴史小説を描いてきた永井路子さん。古代から幕末まで、日本史上で知られた女性33人の激動の生涯と知られざる素顔とは? 朝日文庫『歴史をさわがせた女たち 日本篇』から一部を抜粋・再編集して公開します。(2022年12月26日に配信されたものの再掲載です)  清少納言は、紫式部と肩を並べる王朝の才女といわれている。しかも、紫式部が、彼女について痛烈なワルクチを言っていることは先にご紹介したとおりである。
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉紫式部が「嘘っぱち!」と酷評した『枕草子』、清少納言はなぜキラキラした生活だけを描いたか
〈NHK大河「光る君へ」第6話二人の才女〉紫式部が「嘘っぱち!」と酷評した『枕草子』、清少納言はなぜキラキラした生活だけを描いたか NHK大河ドラマ「光る君へ」も第6話。紫式部の永遠のライバル清少納言が登場する。清少納言は、感覚鋭い毒舌ブロガーか、あるいはおシャレな生活を切り取ったインスタグラマーか。そんな印象のある清少納言の『枕草子』だが、今も昔も表に見えている世界が真実とは限らない。清少納言が綴った華やかで明るい生活は、何を意味するのだろうか。『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』(朝日新聞出版)著者で京都先端科学大学人文学部教授の山本淳子さんが、『枕草子』が描かれた背景について語る。(2017年9月23日に配信した記事の再掲です)
【大河ドラマ「光る君へ」】藤原道長は日本最古の糖尿病患者 医師が解説「望月の歌」を詠める状態だった?
【大河ドラマ「光る君へ」】藤原道長は日本最古の糖尿病患者 医師が解説「望月の歌」を詠める状態だった? 日本の歴史に残る最古の糖尿病患者と言われている藤原道長。病気の進行具合は文献に克明に記されており、有名な「望月の歌」を詠んだときには合併症により目が見えなかった可能性がある、と医師は指摘する。糖尿病により伯父や兄、おいが相次いで亡くなった遺伝的素因や、当時の生活習慣に迫る。
紫式部が「夫の死」を契機に書き始めた『源氏物語』 道長との間にロマンスはあったのか
紫式部が「夫の死」を契機に書き始めた『源氏物語』 道長との間にロマンスはあったのか 藤原道長と紫式部は“権門”と“寒門”と身分は異なれど、四歳ほどの年齢差で同じ世代を生きた。道長は、光源氏のモデルとも目されているほど「貴族道」を体現した人物だ。そして光源氏を生み出した紫式部も、宮廷という小宇宙にあって「女房」世界を象徴した。彼らの接点は「貴族道」と「女房」という王朝時代に特化されるべき局面での出会いにあった。紫式部が道長の娘彰子のもとに出仕したのは、寛弘二年(一〇〇五)の三十代も半ばの頃とされている。「かりに道長と式部に色恋沙汰があったとすれば、権門と寒門の化学変化の表れともいえなくもない。」と歴史学者の関幸彦氏は言う。同氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、関氏の考える藤原道長と紫式部の関係性について紹介する。

特集special feature

    醜聞と疫病で都から離れた紫式部 「結婚」前後に見え隠れする“男”の影
    醜聞と疫病で都から離れた紫式部 「結婚」前後に見え隠れする“男”の影 王朝文学は色恋沙汰を抜きにしては語れない。それはその担い手たる女房たちがその場に身を置くことでの経験が大きいからである。「恋は曲者」(謡曲『花月』)の語があるように、自身がその虜になることもあった。紫式部は、色恋に酩酊できないタイプで、その自覚が彼女を散文へと走らせた。しかし、同時に彼女はそれなりに愛欲の世界も心得ていたので“仮想現実”を伝えることもできた。関幸彦氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、紫式部自身の色恋について紹介する。
    【大河ドラマ「光る君へ」本日第5話】権力の階段を駆け上った藤原道長が苦しんだ「持病」とは?
    【大河ドラマ「光る君へ」本日第5話】権力の階段を駆け上った藤原道長が苦しんだ「持病」とは? 2月4日の放送で5回目を迎える大河ドラマ「光る君へ」。第4話は、藤原道長(柄本佑)が、母を殺害した人物の弟だと知ってしまったまひろ(吉高由里子)がその場で倒れる場面で終わった。道長とまひろの関係は、第5話ではどう描かれるのか。
    「孫が裸に……」と祖母が大反対 元トレンディー女優「財前直見」が芸能界入りした意外なきっかけ
    「孫が裸に……」と祖母が大反対 元トレンディー女優「財前直見」が芸能界入りした意外なきっかけ 女優の財前直見さん(58)は1980年代後半から30年以上にわたり、ドラマ、映画で活躍し続けている。役に合わせてさまざまな表情を見せる多彩な演技力は折り紙つきだ。「お金がない!」「お水の花道」(ともにフジテレビ系)、「ごちそうさん」(NHK)など、名演技で視聴者を魅了した作品は数知れない。【前編】では2007年に大分に移住した理由やそこで得られた精神的な幸福、子育てや終活への向き合い方について語ってもらった。【後編】では女優になった意外な経緯、若さを保つ秘訣(ひけつ)について話を聞いた。
    90年代トレンディー女優「財前直見」が大分移住を決めたワケ 「女優扱いされる姿を息子に見せたくなかった」
    90年代トレンディー女優「財前直見」が大分移住を決めたワケ 「女優扱いされる姿を息子に見せたくなかった」 1990年代を代表する女優としてドラマ、映画に引っ張りだこだった財前直見さん(58)。2007年に実家のある大分県に移住し、大自然の中で農作業に精を出して子育てするかたわら、東京でも女優として活動する「2拠点生活」を続けてきた。移住から17年を迎えた今、大分移住を決断した理由や、モノ作りで精神的な幸福度が上がった田舎生活について語ってくれた。
    〈きょう放送クイズ!丸をつけるだけ〉平安貴族は3時起床で7時出勤 日記で愚痴るほど過酷だった働き方
    〈きょう放送クイズ!丸をつけるだけ〉平安貴族は3時起床で7時出勤 日記で愚痴るほど過酷だった働き方 29日に放送される、丸をつけるだけで “誰でも解答できる” 新感覚クイズ番組「クイズ!丸をつけるだけ」(NHK総合・午後7時57分)は、平安時代の魅惑の食文化から出題される。「枕草子」に登場する平安の高級スイーツは、さてなんでしょう!? 番組の今回のテーマ「平安時代」の生活様式は興味深い(「AERA dot.」2024年1月8日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)。
    「紫式部」の名前の由来となった父 曽祖父や伯父が『源氏物語』に与えた影響とは
    「紫式部」の名前の由来となった父 曽祖父や伯父が『源氏物語』に与えた影響とは 紫式部の一家は、典型的な文人貴族だ。曽祖父の兼輔は公卿で、歌才も豊かだった。父為時の兄為頼は、摂関家の藤原頼忠家の歌会に出席していた。永観二年(九八四)には、父為時が“式部丞”となり、この父の官職に由来し「紫式部」の名は付けられた。翌々年には“蔵人・式部大丞”に任ぜられ、為時は歌人としても有名となった。「式部の成長する環境のなかで少なからず影響を与えたはずだ。」と歴史学者の関幸彦氏は言う。同氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、三人の人物が紫式部にどのように影響を与えたか紹介する。
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