ムード歌謡グループ「純烈」のリーダー兼プロデューサーとして活躍中の酒井一圭さん。子役、戦隊ヒーローを経て、元ヒーロー俳優を中心にした純烈を2007年に結成。しかし、ムード歌謡はゼロからのスタートで、ヒット曲に恵まれるまでには長い下積み時代がありました。暗中模索のなか、酒井さんを支え続けてくれたのは妻、美紀さんの存在でした。夫婦円満の秘訣や、ご自身が両親から学んだことなどをお聞きしました。※前編<純烈リーダー・酒井一圭 4人の子どもに身をもって伝えてきた「絶対チャンスに恵まれる」秘訣とは?>から続く

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子どもたちに苦労を見せず「演じ切った」妻

――純烈が軌道に乗るまでは、いろんな苦労があったと思います。山あり谷ありの人生のなかで4人の子どもに恵まれ、奥様と仲良くやってこられた夫婦円満の秘訣は?

 これはもうね、本当に奥さんが辛抱してくれただけだと思います。1人目が生まれて、2人目が生まれて、そのタイミングで僕は純烈を結成するんですけど、デビューはしたものの形になるまでは何年もかかった。その間、家にろくにお金を入れられなくて、普通は「ええ加減にせえよ」となりますよね。

 たとえばうちの母だったら、俺そっくりのタイプやから「何年くすぶっとんねん!」「遊んでる場合か!」と罵ると思う。物にあたったりね(笑)。でもうちの奥さんは、子どもたちにそんな苦労はまったく見せず、俺の悪口も言わんと演じ切ってくれました。純烈がテレビに出るようになって、番組のなかで紹介される当時の苦労エピソードを見て初めて「え、うち、お金なかったの?」と子どもたちは気づくわけです。

「ってことはさ、ママがすごく頑張ってくれたってことだよね。パパ……むちゃくちゃじゃん!!」って(笑)。奥さんへのねぎらいと、とんでもないやつだという私の評価と(笑)それは上の3人……いや4人とも分かってて、ゲラゲラ笑ってる感じですね。

 だから自分も運はいいほうだと思うけど、純烈が成功した7割は奥さんの運だと思う。この人の運や人間力でバックアップしてもらえたから、純烈として成功して馬主になりたいという夢も、たくさん子どもが欲しいという夢も叶えられた。俺が投げるむちゃくちゃな球を全部受け止めてくれた名キャッチャーなんです。

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大道絵里子
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