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心が疲れていませんか? 感情労働の現場を生き延びる
心が疲れていませんか? 感情労働の現場を生き延びる
自分の感情を押し殺し、問い合わせやクレームに応対する。本来の自分らしさを失ったり、破壊衝動に走ったりと、「副作用」もある(写真部・植田真紗美) いまや職場こそ「感情労働化」している。外の顧客ではなく、社内の継続した関係性の中で、逃げ場がなく悩む人は多い(写真部・植田真紗美) 体を使う「肉体労働」、頭を働かせる「頭脳労働」に続く第3の労働形態が感情を商品として提供する「感情労働」だ。一番の価値である「感情」を守りながら働くにはどうしたらいいのか。(編集部・深澤友紀/ライター・今井明子)  左手で受話器を握りしめる。声は努めて落ち着いたトーンで。「今日ご連絡いただいた件ですが……」  外資系IT企業でサポートエンジニアとして勤務する女性(35)は、ユーザーからの問い合わせに電話やメールで対応することが業務だ。 「パソコンの反応が遅く感じるんだよね」  と言われても、一体何秒だったら速いのか。ゴールが見えない。でも、むげにもできない。顧客からの評価が恐ろしいからだ。自分の応対は全て点数化され、待遇や給与の評価に直結する。  イライラが募って、右手で机をたたきながら応対することも。そんなときにも声のトーンは変えない。午前9時から午後5時半の就業時間外も、顧客への回答を用意するため急遽、残業することもある。そんな日はプライベートな予定をドタキャンだ。相手に振り回されてばかり。「顧客満足」という目に見えないものとの戦いに、ほとほと疲れた。 ●技術職さえ「顧客満足」  数年前から、感情を切り売りする「感情労働」が注目されるようになった。感情労働に詳しい日本赤十字看護大学の武井麻子教授によると、感情労働とは「会社などから管理・指導され、自分の感情を加工することによって相手の感情に働きかける職務」。簡単に言えば、本来の感情を押し殺して業務を遂行することを求められる仕事だ。  その代表的な職種は「看護師」や「客室乗務員(CA)」と言われるが、いまやあらゆる職種に「コミュニケーション能力」が求められ、冒頭のようにITエンジニア職でさえ「顧客満足」が徹底される。  最近はどの職場にも感情に絡む悩みが増え、社会全体が感情労働的になってきた。この現象を「感情労働シンドローム」と名付けたエッセイストの岸本裕紀子さんはその背景として、正規・非正規の社員の格差、ブラック企業、成果主義の導入などでメンタルヘルスの問題が深刻化していることを指摘する。 「職場に余裕がなくなり、同僚にも弱みを見せられなくなった。自分の感情をコントロールしながら仕事をするという意味では、社内も外の顧客へも変わらない。しかも、接遇マニュアルなどがない社内のほうが、より疲弊しやすくなっています」  私たちはこの「総感情労働社会」をどう生きていけばいいのだろう。  看護師でエッセイストとしても活躍する宮子あずささん(50)は言う。 「自分の感情を隠蔽しないことが大事です」  看護師は「白衣の天使」のイメージを押し付けられ、本人たちもその像に縛り付けられている。患者を嫌ったり、嘔吐物を処理するときに嫌だと感じたりすると、「私は看護師失格じゃないか」と自身を責める看護師が多い。 「もちろん患者さんに『嫌いだ』と伝えはしませんよ。でも自分の気持ちを認めたとき、楽になれました。嫌いというのは所詮私の好き嫌いであって、その人自身の評価ではない。私が嫌いでもいいんじゃないかって」  武井教授もこう強調する。 「看護師も人間です。腹が立ったりつらかったりすることもある。その気持ちを認めて『だけど仕事だからやらなきゃ』と割り切るようにしなければ、感情が破綻することもあります」 ●実力の8割出せばOK  感情労働には「副作用」がある。自分の感情を欺いているうちに、本来の自分らしさが失われたり、買い物やギャンブル依存に陥ったり、破壊衝動に襲われ、暴力をふるう人もいる。  しかも、同じ感情労働なのに来場者を楽しませようとするディズニーランドのキャスト(従業員)と違って、死や病気の恐怖に直面する患者の負の感情を相手にする。怒鳴ったり、暴力を振るったりする患者を相手に、治療に向けて前向きになってもらうのはより難しい。  元全日空のCAで、『いつもうまくいく人の感情の整理術』の著者、里岡美津奈さんは、各国の国家元首などのVIP特別機の担当乗務員を15年間務めた経験から、自分の感情を相手の感情に合わせて変えるのではなく、いつも一定に保つことが重要だと言う。 「お客様からクレームを受ける人は毎回同じで、感情が乱れている人でした。感情が乱れるとミスを連発しますし、人間は弱い者には攻撃したくなるんです」  だが、女性はもともと月経の前にイライラしやすいなど、ホルモンの変化で体調や感情が乱れやすい。さらにCAは時差やシフト勤務などで生活リズムが狂いがちだ。また、国際線のフライトでは、最短でも4日間日本を離れる。病気の家族やケンカ中の恋人などがいれば精神的に不安定になることもある。  里岡さんも20代の頃は失恋のショックからミスをしたこともあった。そこで、親戚の医師からアドバイスを受け、睡眠や食事、身だしなみを整えるようにすると、感情も安定するようになった。  意識も変えた。日頃から「実力の8割を出せれば大丈夫」と考え、好調・不調の波がない一定の品質のサービスを心掛け、どんな相手でも気後れせず、余裕を持って応対するようにした。 「ポイントは穏やかに『弱』のアプローチでお声掛けし、相手の様子をうかがうことです」  過剰なサービスは相手の心を乱し、トラブルにつながる。「安定感」にこそ価値があるのだ。 ●相談時間と場所を限定  自分の感情だけでなく相手の感情ともうまく付き合わないといけないのが感情労働の現場だ。保護者や児童生徒、教員、さまざまな立場の人の心が交差する学校も例外ではない。特に臨床心理士の資格を持つスクールカウンセラーは、プロとして感情と向き合う。  都立武蔵高等学校・附属中学校に勤務する柴田恵津子さんは、カウンセリングの際、相手を脅かさないように心がけ、自分なら悩んだときどのように接してほしいのかを常に考えるという。  カウンセリングで留意しているのは、「急いで話を聞き出そうとしないこと」「すぐにわかったつもりにならないこと」だ。 「たとえ子どもであっても、悩みに関しては相手のほうが先輩だと思って話を聞きます」  カウンセリングは1件につき約1時間。あくまで学校内だけで行う。でも、限られた時間と空間で、十分なケアができるのだろうか。複数の私立学校でスクールカウンセラーを務める滝口のぞみさんは言う。 「不安になれば何時間でも話を聞いてほしいと思うのが人間の自然な感情でしょう。もちろんカウンセリング時には相談者の話をとことん伺いますが、時間外まで相談に応じることはありません。カウンセラーに依存してしまい、逆効果だからです」  依存関係に陥れば、相談者はますます社会に適応しにくくなる。そのためにも、カウンセリングの時間と場所を限定することが大切なのだという。  モンスターペアレントに対しては、「子どもを守りたいという熱い思いがあるのに、どうしたらよいか分からず困っているのです」と滝口さん。柴田さんも、保護者に激しい感情をぶつけられたり、問い詰められたりすることもあるが、 「子どものことを心から心配してのことです。そのようなときは、私はこの局面でどのように協力できるかを考えます」  人々の感情と常に向き合いながら、感情に引きずられないように冷静に仕事を行う。高い専門知識を身につけた心理職だからこその仕事だ。 ●行動タイプを把握  札幌市内のハウスメーカーに勤める藤原卓丈さん(37)も常に顧客の感情研究を忘れない。モデルハウスに来場した人々へ住宅をすすめる営業職をしているが、集客力もブランド力もない会社で、中途入社した当時は年間2棟を売るのが精いっぱいだった。その後、独自に顧客の感情をリサーチし、現在は月1棟のペースで住宅を販売するまでになった。 「全ての来場客は住宅営業マンが嫌いです。逃げ場がない中で近づいてきて、自社の商品を売り込んでくる。まずはお客さんの気持ちに寄り添い、不安を取り除くことが大切です」  母校から現在の家族構成まで細かく書き込んだ写真付きの自己紹介ハガキをつくって来場者に手渡し、向こうから共通点を探して話しかけてもらうのを待つ。大事なのは「共感」。先日契約が取れたのも「出身幼稚園が同じです」と話しかけてきた人だった。  商談、契約前後、工事中、引き渡しという流れの中で顧客の心理も変化する。例えば家を買う直前は不安で眠れない人もいる。「あなたの判断は正しかった」と不安を解消し、勇気づけるために、夜中でも見返せるよう書類と手紙を送る。 「相手の心を理解すれば、不安を取り除いて、喜びを与えることもできるんです」  ただ、感情の起伏が激しすぎる人や、どうしても合わない顧客がいたら、接客するのをやめるという。 「住宅営業は引き渡し後も長くお客さんとの関係が続きます。深刻なトラブルが起きる前に退く判断も必要です」  相手の感情に寄り添えと言われても、心の機微を理解するのは難しいし、ケースごとに変化する。コミュニケーション能力も個人差がある。  産業能率大学の横井真人教授はこう言う。 「感情は、行動を起こすスイッチ。例えば喜びや感動があれば購入や契約に結び付きます。相手と自分の性格や行動タイプを早めに把握して働き掛けることが、仕事をうまくスムーズに運ぶコツです」  自分の感情を正直に認めたうえで、相手に合わせる。ただ、心が擦り切れて最大の商品価値である「感情」を失う前に、退く勇気も忘れないように。 ※AERA  2014年5月19日号
仕事働く女性
AERA 2014/05/12 00:00
第57回 細野晴臣ライヴと大瀧詠一追悼 その1
第57回 細野晴臣ライヴと大瀧詠一追悼 その1
『1971年全日本フォーク・ジャンボリー』 『風街ろまん』はっぴいえんど  わたしが「はっぴいえんど」を人生ではじめて聴いたのは、高校生のときだ。 『1971年全日本フォーク・ジャンボリー』2枚組実況盤レコードで聴いたのが出会いだ。  情報というのは知っている人にとっては当たり前だが、知らない人にとっては、ちんぷんかんぷんだったりするものだ。と、前置きしてから、一応「はっぴいえんど」を紹介するが、「はっぴいえんど」は細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂、松本隆の4人で結成されたバンドだ。  4人とも日本の音楽史上に大きな足跡を残す活躍をしたことで、「はっぴいえんど」は日本の音楽史上、忘れられないバンドとなった。  彼らの功績は、ひとことでは言い切れないほど大きくて多いのだが、誤解をおそれずにその代表的な活動を紹介すると、細野は坂本龍一や高橋幸宏とYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)をつくり、大瀧は『A LONG VACATION』を大ヒットさせ、松本は作詞家として、太田裕美の《木綿のハンカチーフ》からはじまり、松田聖子の黄金時代を飾る。鈴木もミュージシャンのほかに、プロデュースなども手がけ、活躍した。  何度か書いているが、当時のレコードは高かった。高校生のとき、わたしの1カ月の小遣いは1000円だった。多くはなかったが、少ないというわけでもないだろう。そしてレコード、LPは2000円~2500円が相場だったから、節約しても小遣いだけでは、3カ月に1枚しか買うことができない。バイトは学校で禁止だったが、家の手伝いをした。わたしの家は町の鉄工所だったが、ドリルで穴を開けたりする仕事は、あまりさせてもらえず、伝票に社判を押す程度の仕事だった。1冊押し切ると、100円もらえた。ただし、さほどたくさんある仕事ではなかった。  あとは昼食代といって、もらった金を立ち食い蕎麦などで節約して浮かしたりして貯めた。そのせいか、当時はやせていた。  そうやって貯めた小遣いなので、購入するレコードの選定には悩んだ。結果、いくつかの傾向が出てくる。  その中のひとつに、たくさんのアーティストが参加している、今で言えばフェスティバルのライヴ・レコードというのがあった。当時は、実況盤ともいった。たとえば、『ウッドストック』や『バングラデシュ・コンサート』のサントラであった。そして日本のものでは、『1971年全日本フォーク・ジャンボリー』を購入した。  なぜなら、このレコードには、はっぴいえんどが2曲、吉田拓郎の《人間なんて》、遠藤賢司の《カレーライス》、そして、岡林信康の《それで自由になったのかい》などが入っていたからだ。  高校時代、わたしは吉田拓郎も泉谷しげるも、はしだのりひこも、生で見ている。しかも、ただだ。無料コンサートだった。今思えば、レコードの販促の一環だったのだろう。  拓郎は、ディズニーの101匹ワンちゃんのノートを見ながら演奏していた。歌詞やコードが覚えられないのだといっていた。前日、酒を飲んで、いっしょにいた仲間が、田んぼを歩いていて肥溜めに落ちた話を愉快そうに話していた。  泉谷は、そのころから客とけんかしていたが、愉しそうに歌いっきった。はしだのりひこも客とけんかしていたが、最後まで歌わず、途中で怒って帰ってしまった。  どちらかというと、アコースティック・ギターを中心としたフォークが多かった時代だが、その中ではっぴいえんどは、ロック・バンドとして売り出していた。  今になってしまえば笑い話だが、当時は内田裕也などを代表として、ロックは英語で歌うものだという意見が大勢を占めていた。日本語は、ロックのリズムに乗らないという意見だ。そういう歴史をみても、はっぴいえんどは、日本の音楽を変えてきたのかもしれない。 『1971年全日本フォーク・ジャンボリー』には、はっぴいえんどの《かくれんぼ》と《春よ来い》が入っていた。この2曲はフォークではないな、とわたしでも感じた。 当時、フォークとロックを区別する基準のようなものがあって、これはボブ・ディランがコンサートで、エレキ・ギターをバックに歌ったところからの影響がおおきいと思うが、エレキ・ギターとドラムが入っているのが、ロックなのだといった感じだった。  このレコードでは、拓郎の《人間なんて》にも、はっぴいえんどがバックで演奏をしていたこともある岡林信康の《それで自由になったのかい》にもエレキやドラムは入っているのだが、一番ロックを感じたのが、はっぴいえんどだった。  その理由は、ドラムとエレキ・ギターがかっこよかったのはもちろんだが、ベースのノリとねばっこいボーカルに、他とはちがうなにかを感じたのではないかと思う。  そう、細野晴臣のベースと大瀧詠一のボーカルだ。  話は外れるが、このレコードの2曲の間で観客の歓声が入っているのだが、そのなかに「ええど、ええど」と叫んでいる人が佐野史郎だと、テレビで本人が話しているのを見た。佐野史郎は昭和30年生まれとのことなので、高校生になったころということだろうか。わたしも、いっしょに見たかった。  はっぴいえんどがカッコいいことはわかったが、なかなかレコードを買うまでには、いかなかった。2枚目の『風街ろまん』がいいらしいとは聞いていたが、そのころピンク・フロイドやキング・クリムゾンに夢中になっていたわたしは、優先順位として、はっぴいえんどにまでは届かなかった。  こんなときに重要なのは、付き合いというやつだ。  高校を卒業して、浪人生活を1年して、その間に仲良くなって、別々の大学に入っても付き合っていたのが、Y島弘美だ。  弘美といっても、男である。わたしの名も、カズミだ。小学校や中学校のとき、たとえば全校生徒の前で表彰されたりするとき(そんなこともあるのです)、「カズミだって、男? 女?」などという話し声が聞こえて、とてもいやだった。しかも、コグマですから。自分の名前が嫌いだった。今では、それなりに気にいっているが。  弘美の下宿は、西武池袋線の椎名町にあって、よく遊びにいった。終電を逃すと、泊めてもらった。近所に彼の従兄弟がいて、合流したことがあった。泊めてもらったある夜、電気を消して、布団の中で、名前の話になった。その従兄弟の名は、正美だった。  弘美がいった。 「そろばん、やったか?」  今の小学校のことを、わたしは知らないが、わたしたちの小学校時代には、そろばんの授業があった。 「学校で、まとめてそろばんを買うじゃないか。おれの名前は、Yだから、あいうえお順で、男の最後なんだよ。そのせいだと思うんだけど、赤いそろばんケースがきちゃったんだよ。そのとき、おれは、不覚にも泣いてしまったんだ。あのときのことは、今思っても不覚だった。」 「その気持ち、よくわかるよ」と、正美と一実は起き上がり、また飲み始めてしまった。  そのとき、弘美がかけたレコードが、はっぴいえんどの『風街ろまん』で、わたしは《抱きしめたい》をはじめて聞いたのだった。《抱きしめたい》は、今でもカラオケで歌っている。  その後、「女みたいな名前だけれど負けないぞ」というチームを作り、千春と千秋がはいってきたが、いつのまにか、そのチームの活動は、たいしたことをすることもなく消えてしまった。しかし、弘美との付き合いは続き、細野晴臣の『泰安洋行』や大瀧詠一の『NIAGARA MOON』 などを聴かせてもらった。  今回はこの2人を取り上げようと思っていたのだが、いつも同様、導入が長くなってしまった。続きは、次回に持ち越すとして、細野晴臣は、いまでも旺盛なライヴ活動をしている。ひとつのライヴではなく、ライヴ・スケジュールを紹介しておこう。[次回4/30(水)更新予定] ■細野晴臣ライヴ情報 http://www.hosonoharuomi.com/live/
2014/04/23 00:00
中田英寿 つなぐ 秋田、楢岡焼
中田英寿 つなぐ 秋田、楢岡焼
(C)nakata.net (C)nakata.net (C)nakata.net (C)nakata.net (C)nakata.net  これまで全国各地の窯元を訪ねてきた。いろいろなロクロやその他の手法で器や皿を作ったりもした。しかしどうしてもこれまで見られなかったことがある。それが実際に薪を使った、登り窯や穴窯での「焼成」だ。最近は、温度管理がしやすく、仕上がりも安定する電気やガスの窯を使う陶芸家も多いが、やはり陶芸の醍醐味は、数日間かけて薪で焼き上げる焼成だ。ただ登り窯などの火入れは、多いところでも年に1、2回。なかなか僕が訪ねるタイミングと合わなかったのだが、「Revalue NIPPON」の旅、5年目にしてようやくそのチャンスが訪れた。 「登り窯はとにかく大変ですし、製品の歩留まりも悪い。薪の炎の動きは調整できませんから、焼きすぎたり、温度不足だったり、灰をかぶったり。思ったように仕上がるのは、多くても6割程度です。それでも登り窯で焼くのは、その思いがけない炎の動きならではの個性や表情のある作品が出来上がるから。釉薬(ゆうやく)の色も電気やガスの窯より、深みのあるものに仕上がります」  秋田県大仙市の「楢岡陶苑」は、江戸時代末から伝わる楢岡焼の伝統を守る窯元。6代目の小松潮さんは、京都でコンピューター関連の仕事をした後、陶芸の勉強をし、父の跡を継ぐために地元に戻ってきたそうだ。 「うちの登り窯は、1992年に島根の石見の職人さんが作ったもので、もう20年以上使っています。窯焼きは、薪をくべつづけて温度を維持することが重要ですが、実は作品の仕上がりに影響するのは、どの作品をどこに置くかという“窯入れ”の作業。窯の室内は、炎の通り道があり、場所によって温度差もあります。作品をどう仕上げたいかというイメージによって、置き場を変えなければならない。この辺りは、経験でしか学べないし、何度やっても完璧に把握するのは難しいですね」  僕が訪ねたときは、火入れの序盤。窯の温度を上げる「焙り(あぶり)」の作業中。隣室で5代目の父・哲郎さんが薪を割り、それを2人のアシスタントとともに潮さんが窯の正面から投入する。温度計や内部の温度を測るための「ゼーゲルコーン」という道具もあるが、一番頼りになるのは、過去のデータと経験からくる勘だ。 「温度の上がり具合を見ながら、20分に1回くらいのタイミングで薪をくべます。今ちょうど丸1日くらい続けて、ちょうど1000℃くらい。1100℃くらいまで上がったら、今度は薪を各室の横から投入して、室の温度を1200℃くらいまで上げていきます」  薪として使うには、脂を多く含む松がいいそうだ。 「松は温度が上がりやすく長持ちするのですが、なかなか手に入らず、値段も高い。そこで最初は杉などを燃やして温度を上げ、松は後半に投入するようにしています」  薪の投入を手伝わせてもらったが、とにかく大変なのが窯の口から噴き出してくる熱気。長さ1メートル強、重さ4?5キロの薪を下手投げで投入するのだが、温度が上がりづらい隅の方など、狙った場所に的確に薪を投げ入れようとすると、窯の近くまで寄らなければならない。思い切って踏み込む必要があるのだが、まるでそこに熱の壁があるように感じられる。  窯焼きで使われる薪の量は、なんと約5トン。それだけの量を運び、熱さをこらえて窯に投げ入れる。丸2日間以上、この作業を続けるのは、体力的にも相当にキツいだろう。  階段状に作られている登り窯は、一番下が燃焼室で、その上が「一番窯」、次が「二番窯」と続く。楢岡陶苑の登り窯は、四番窯まであり、最大3000点近くを一度に焼くことができるそうだ。 「今回焼いているのは1800点ほどなので、焼く時間はいつもより少し短めの50時間くらいになりそうです。その間は、みんなで交代しながら寝ずの番。火を落としてから3日間冷まして、ようやく窯から出すことができます」  僕が滞在したのは、約2時間。しかしこのあとも、徹夜での窯焼きが続いた。潮さんから「無事、窯焼きが終了しました」というメールが届いたのは、約1日半後。僕が見たあの炎がどんな焼き物を作り上げたのか、また見に行きたい。そして次はできればゆっくりと滞在して、窯入れから窯出しまで、窯焼きのすべてを体験したくなった。
2014/04/14 00:00
過酷な体験が自信を生む! いまこそ肉食社員になろう
過酷な体験が自信を生む! いまこそ肉食社員になろう
無人島でサバイバル 新任管理職向け研修日清食品グループ水道やガス、宿泊施設などがない無人島で2泊3日。過酷な状況で忍耐力や発想力を鍛える。火を起こすだけも一苦労で、食のありがたみを再認識できる機会にも(写真:日清食品ホールディングス提供) 資本金1000円で学生にビジネス指導ウィルグループインターンシップ「ビジネク」を開催し、資本金1000円を10日間で増やすビジネスを実際にやってもらう。参加者の中から「肉食」を見抜き、内定も出す(写真:ウィルグループ提供) 山手線一周を10時間歩くドリーム・アーツ心身ともに鍛える目的で8月の炎天下に10時間におよぶ山手線一周ウオーク。制限時間(11時間半)内にゴールできずに、後日再チャレンジしたガッツある新入社員も(写真:ドリーム・アーツ提供) 芸人のスキル学んで仕事に生かすセキスイ保険サービス関根勤の「笑い方」、サバンナ・高橋茂雄の「あいづち『ほんまですか?』」、千原ジュニアの「共感力」など芸人のスキルを学ぶ。自ら心を開くコツをつかめる(撮影/編集部・深澤友紀) 対話の機会増やして意欲アップスーパーホテルリンクアンドモチベーション主催「ベストモチベーションカンパニーアワード」で、3度も1位に輝いた。上司と部下の対話を多く持ち、各従業員の長所を伸ばしている(撮影/編集部・深澤友紀) 海外留学を希望する学生は減り、企業では管理職を目指さない「草食社員」が増えている。 一方、企業側は「肉食社員」を求め、暗中模索している。 どんなふうに見つけ、育てているのか。(編集部・深澤友紀)  漁船に揺られ、着いたのは無人島。携帯電話や腕時計、財布がいったん没収され、チキンラーメン3袋、米2合、小麦粉300グラム、水を渡される。これで2泊3日をしのぐ。  日清食品グループの「無人島サバイバル研修」。40歳前後の新任管理職約20人が毎年、夏の終わりにこの“洗礼”を受ける。  島に到着すると3~4人のグループに分かれ、すぐに昼食の準備に取りかかる。食料のほかに支給されたのは、ビニールシート、糸、つり針、のこぎり、火起こし棒。枝や落ち葉などを拾ってきて、火を起こそうとするが、コツがつかめずに悪戦苦闘。中には2時間以上かかっても火がつかず、チキンラーメンをそのままポリポリと食べるグループもある。  参加者は限られた条件のもと、頭や体を使い、いかにおいしく食べ、いかに快適に過ごせるか工夫を凝らす。鍋や器、はしは、島に自生する竹を割ってつくる。貝をえさに魚を釣ったり、小麦粉をこねてうどんを作ったりするツワモノもいる。夜は各自ビニールシートを使って寝る。テントを張るもよし、そのまま体に巻くもよし。  このサバイバル研修は日清食品ホールディングスの安藤宏基社長(66)が「骨太の管理職を育てたい」と発案した。田所一弘人事部長(56)は、 「管理職になって課題に直面したとき、逃げることなく、自ら打開策を見つけ出す力がつく」  広報部の松尾知直課長(43)は4年前に研修を受け、愛媛県内の無人島で生活した。チキンラーメンの炊き込みご飯を作るなどして、炎天下で体力を維持するため必死に食べたが、結局、体重が2キロ減った。 「食のありがたみに気づきました。無人島で3日間過ごして自信がつき、同じ経験をした同僚とは仲間意識が芽生えたので、部署を横断するプロジェクトがうまく進むようになりました」 ●モテモテ海外協力隊員  企業はいま、“肉食系”の社員を育てようと躍起になっている。そこでニーズが高まっているのが、青年海外協力隊の経験者だ。国際協力機構(JICA)によると、経験者を採用したいという求人が増え、この5年で8倍になった。毎年1200人前後が帰国するが、2013年度の求人は2506人で、2倍以上の求人倍率だ。人気の理由について、青年海外協力隊事務局参加促進・進路支援課の松舘文子さんは、 「語学ができるだけでなく、まったく知らない土地でゼロから信頼関係を築き、困難に立ち向かうタフな人材として評価していただいているようです」  JICAは、12年度から企業の若手社員や管理職を青年海外協力隊に派遣する「民間連携ボランティア制度」を始めた。これまで45社と合意を締結し、約100社が興味を示しているという。 ●身の丈超えない若者  企業が“肉食社員”を求めるのは、少子高齢化で国内市場が頭打ちになるなか、新ビジネスを始めたり、急成長する新興国に進出したりする際、突破力ある人材が必要だからだ。ところが見回すと、多いのは“草食系”の社員。理不尽な経験をせずに育ち、少子化で希望すればだれでも大学に進学できる時代の中で、おとなしくて従順な“草食社員”が増えているのだ。  人材ビジネスを手がけるウィルグループの人事担当部長、吉田博明さんは言う。 「いまの若い世代はやる気があって、成績も良く、非常にまじめ。だけど、身の丈を超える行動をしようとする子が少ない。昔は『上司を抜くことが恩返し』だったのに、いまは『上司を男にすることが恩返し』だという。変わったなぁと感じます」  ウィルグループは、11年から「チャレンジ公募制度」を始めた。困難だけどやりがいのある仕事の責任者を公募する制度で、社歴やポジションに関係なく応募できる。 「自分でポジションを勝ちとった社員は、圧倒的に前向き。勢いのある組織を作り上げます」(吉田さん)  名古屋のコールセンターを立ち上げる責任者には、入社3年目、25歳の男性社員が“当選”した。初年度の売り上げは目標の361%、2年目も前年の2倍を超える実績を残した。 「同期の中でも目立つタイプではなかった社員が自分で手を挙げ、肉食に変化した。公募制度で人材育成の速度が上がったのは確かです」(吉田さん)  ウィルグループは新卒社員の採用でも、肉食を求めている。インターンシップでは、学生たちに千円を渡し、10日間でどう増やすか競わせる。クーポンを発行するビジネスや、フェイスブックの「いいね!」を1回につき200円で売る事業など、さまざまなアイデアが出て、実際にアプリのプロモーション代行で100万円の利益を得た学生もいた。吉田さんは、 「キャベツをめくると中は肉というロールキャベツ学生や、肉食系を装った草食系のアスパラベーコン学生など、その人物の本質が見えてきます」 ●ひたすらエレベーター  ITで課題解決を支援するドリーム・アーツは、意欲的な外国人スタッフに対して「日本の学生は草食系に見える」との危機感から、新入社員に対して独自の研修を始めた。  昨年4月に入社した6人は2カ月半後、2チームに分けられ、会社から課題を与えられた。 「(本社が入る)ビルのエレベーターのアルゴリズムを解明し、改善策を考えよ」  実は、これは答えのない課題で、牧山公彦取締役は研修のねらいについて、 「ビジネスでは、まず自分で何が課題かを把握し、解決策を提示していく。その体験をしてもらいたかった」  と話す。6人はまず、ストップウオッチを手にそれぞれエレベーターに乗り込み、何時何分にどの位置にいて、ボタンを押したらどう動くのか、何日間もひたすら計測した。データが集まってきたところで分析し、改善策を考える。参加した綿貫雄一さん(24)は振り返る。 「何も手掛かりがない中でも、アウトプットを出さないといけない。最初から無理だと逃げ出さず、とりあえずやってみる大切さを学びました」 「お笑い研修」で肉食社員を育てるのは、積水化学グループのセキスイ保険サービスだ。全社員を対象にしている。 「笑い方ひとつで相手との距離が縮まります。関根勤さんのように口を縦に大きく開けて10秒間笑ってみてください」  講師がこう促すと、参加者は恥ずかしそうに「ハハハ」と笑うだけ。講師が、 「これ、一人でやるから怪しくて怖いんですよ」  と言うと、大きな笑いが起き、部屋の空気は一変した。 ●ひな壇トークの実習  講師は、放送作家の中山真さん(35)と中原誠さん(32)だ。元は吉本興業所属のお笑い芸人で、吉本お笑い総合研究所とともに芸人のスキルを元にした研修プログラムを開発し、昨年2月、「WM commons(コモンズ)」を設立した。これまでに企業や医療機関で約150件の研修を引き受けた。 「ひな壇トーク番組をやってみよう」の“実習”は、テレビ朝日の「アメトーーク!」を参考にしたもの。4~5人のグループに分かれ、共通点を見つけてテーマにし、「○○あるある」「○○のここが好き」などと発表する。共通点がなかなか見つからないグループも、話し合ううちに「豚肉大好き社員」とテーマを固め、行きつけのとんかつ屋話でボケとツッコミを展開。いつのまにか信頼できるチームワークができていた。中原さんは言う。 「自分をさらけ出すことで草食から肉食に近づく。社内で上司ともコミュニケーションを取れるようになれば、『あんな上司になりたいな』と、上のポジションを目指そうという思いも生まれやすくなります」  セキスイ保険サービスの今井千恵子・総務人事グループ長は、この研修で手応えを感じているという。 「積水化学グループは『際立つ人材』の育成を目指しています。もともと高いコミュニケーション能力を持っていても、忙しさに追われて発揮できないことがある。この研修で、そんな社員の力を引き出してあげたい」  ホテルチェーンのスーパーホテルは、調査会社J.D.パワーによる11年のホテル宿泊客満足度調査(宿泊費9千円未満の部門)で、1位に輝いた。1泊朝食付き4980円からとリーズナブルなのに、好みに応じて選べる枕や防音設計の部屋など、「眠り」にこだわるサービスが好評で、国内104店舗の平均稼働率は89%、リピート率は71%だ。  この好調な業績を支えるのは、従業員の高いモチベーションだと、山本梁介会長は言う。 「お客様の不満を取るには従業員の教育や訓練、マニュアル作成で対応できますが、また泊まってもらうには満足ではなく感動していただかなければなりません。従業員が自分で考えて行動する『自律型感動人間』になることを目指しています」 ●組織全体の改革が大事  肉食社員は定義があるわけではないが、高いモチベーションは要件の一つだろう。同社では、会社での組織目標と個人的な人生目標を、「チャレンジシート」に書き込み、週に1度、上司と部下がシートをもとに話す。上司と部下のコミュニケーションをはかると同時に、つねに目標を意識して意欲を高める効果がある。年に2回は社員から改善点などの提案を受け、社員260人から年間600通の応募があるという。もっとも、 「提案しても放っておかれるとモチベーションが下がる。できるだけ実行するようにしています」(山本会長)  確かに、肉食社員がいても、組織が生かさなければ意味がない。とくにガツガツと働く肉食社員は、草食社員にとっては煙たい存在になりがちだ。人事ポータルサイトを運営するHRプロの寺澤康介社長は、 「肉食社員を育てるためには、組織全体の意識を変えることが大切です」  と強調する。いくら研修で肉食社員に生まれ変わったとしても、配属先の職場が新たな価値観を持った社員を受け入れられなければ、その社員は元に戻ってしまう。  個人だけでなく組織が変わる必要がある。 ※AERA  2014年4月14日号
仕事働く女性就活
AERA 2014/04/07 00:00
伊達家18代当主 40年前、地下の柩に納められた政宗公の頭蓋骨と対面
伊達家18代当主 40年前、地下の柩に納められた政宗公の頭蓋骨と対面
 伊達家18代目当主、伊達泰宗(やすむね)氏。先祖でありながら、歴史上の人物としてしか知らなかった藩祖、政宗公に“出会った”ときの感動を語ってもらった。 *  *  *  東京で生まれ育った私ですが、今は仙台に住んでおります。きっかけは、政宗公との対面でした。  終戦間際の1945年7月、仙台大空襲で仙台の城下町7割とともに、政宗公の御霊屋(おたまや)である瑞鳳殿(ずいほうでん)も焼けてしまいました。ちょうど40年前、瑞鳳殿を再建する話が持ち上がり、地下の状況を確認する必要が出てまいりました。政宗公のお墓を発掘調査することになったのです。  まだ父は健在でしたけれども、15歳の私も遺族として立ち会わせていただきました。地下の石室が開かれると、中に石灰の小山がありました。元々は、木でできた風呂桶のような柩(ひつぎ)があり、それをかごに載せた状態で埋葬されていたようです。330年以上の時間がたち、木や布でできた部分が腐食し、防腐剤として柩に詰めてあった石灰だけが残ったのです。  石灰の小山のほぼ中心に遺骨の一部が見えました。それを調査員が掲げるように持ち上げた。頭蓋骨でした。歴史上のお話として伺っていた政宗公が目の前に現れた瞬間です。そのときの感動は、言葉では言い表せません。ごく自然に、私は心の中でお誓い申し上げておりました。 「成人したならば、必ず仙台に戻って参ります。近くで政宗公をお守りさせていただきます」  願いがかないまして、今、仙台の瑞鳳殿や伊達家伯(かはく)記念會(かい)で伊達家の仕事ができています。子孫として本当にありがたいことです。  政宗公の時代から約250年後、明治維新で伊達家は危機を迎えます。戊辰戦争で敗れ、62万石から半分以下の28万石に減らされたのです。約2万人もいた家臣の方々は大変だったでしょう。領地を失ったということは、生活の糧を失ったということです。流浪するか農民になるしか選択肢はありませんでした。  ちょうどそのころ、明治政府から北海道開拓の打診がありました。それに対し、伊達の分家、仙台藩士たちは、士族でいられるなら、という条件を出します。彼らはとても誇り高かった。農民ではなく伊達家の元藩士という身分である、というだけのことで、彼らは次々と海を渡ってゆきました。  未開の北海道は、木の根一つ掘り出すのに1年かかるような大変な場所だったそうです。道具が足りないので、日夜交代での作業。冬は地面が凍ってしまう。雪が吹き込む小屋に住みながら開墾を進めました。  食器も満足に揃いません。分家のお姫様が、貝殻をお皿代わりに食事していたとき、唇を切ってしまった。お仕えしていた者たちは、「なんとおいたわしいことか」と涙を流したそうです。  94歳で亡くなりました大伯母から、こんな話を聞いたことがあります。子どものときに、冬の朝、思わず「寒い」と口に出したら、父親(15代邦宗)から厳しく叱られたというのです。 「東京の屋敷にいながら、寒いとはなんたることか!北海道で苦労をしている家臣たちのことを思えば、そんなことは言えないはずだ!」  私も父から、「疲れた」「つらい」といった泣き言を口に出してはいけない、と育てられました。明治以降の伊達家の家訓と言えるかもしれません。 ※週刊朝日  2014年4月4日号
週刊朝日 2014/03/29 07:00
悪質ネットシッターからわが子を守る 第二の“モッチー”出現の恐怖 それでも「規制は困る」
悪質ネットシッターからわが子を守る 第二の“モッチー”出現の恐怖 それでも「規制は困る」
<平日夜間・土日祝日・お泊まりもOKです>  氾濫するこんなネット上の募集に、わが子を預けるリスクがひそむことをみせつけた埼玉のベビーシッター死体遺棄事件。 「離婚はしたけど、勤務中、子どもは同居しているおじいちゃんに預けているから大丈夫と聞いていたので、シッターを使っているとは知らなかった。相談してくれていれば、力になれたかもしれない……」  被害男児の母親(22)が勤めていた、横浜市磯子区のJR新杉田駅前繁華街にある飲食店の女性オーナーは、こう肩を落とした。  凶事が明るみに出たのは3月17日。埼玉県富士見市のマンションの一室で、口をふさがれ窒息死したとみられる山田龍琥(りく)君(2)の遺体が発見された。同じ部屋で保護された生後8カ月の弟、龍琥君とも衣服を着けていなかったという。  死体遺棄容疑で逮捕されたのは、この部屋に住む物袋(もって)勇治容疑者(26)だ。物袋容疑者はネット上の仲介サイトを使ったシッターとして活動。「モッチー」の愛称を名乗り、自身のサイトでは、<子どもたちとたくさん遊んでたくさん笑ってたくさん仲良くなりたいです>と自己紹介していたが、過去に龍琥君を預かり、トラブルを起こしていたという。  そのため、今回は母親に対し、偽名を名乗り、わざわざ代役の男性を待ち合わせ場所の新杉田駅に派遣。14日夜、龍琥君と弟を2泊3日の予定で預かった。だが、15日の午前以降、音信不通になり、息子2人を心配した母親が警察に通報し、事件が発覚した。  前出のオーナーによれば、母親は子どもを預けた14日と15日の20~24時まで、飲食店に出勤していたという。勤務を週3日に増やした矢先の悲劇だった。  実は物袋容疑者が育ったのは、龍琥君の自宅に近い磯子区内の公営団地だ。両親、妹との4人暮らしだった。同棟の女性の証言。 「保育士だった母親のしつけが厳しかったようで、小さい頃は叱責の声が家の外まで聞こえていた。妹とは仲が良くていつも一緒にいたけど、同年代の友達と遊んでいる姿は、あまり見た記憶がない」  地元の小中学校を卒業後は、調理師免許を取得。運送会社に勤めたこともあったというが、数年前には、子どもを抱いて家に帰る姿が目撃されていた。 「車の座席にチャイルドシートがついていたので、お母さんに『お子さんができたんですか?』と聞いたら、『ベビーシッターをしているんです』と言っていたのを覚えています」(同じ棟に住む別の女性)  ちなみに、この実家の部屋は物袋容疑者のサイト上でシッター会社の「本部」と紹介されていたが、看板などは出ておらず、同棟の住民の多くも、物袋容疑者の職業を知らなかった。  謎の多い事件だが、現代的なのは、ネット上のシッター仲介サイトが舞台となった点だ。シッター仲介サイトは多くの場合、登録に特別な資格や身元確認は必要なく、プロフィルとメールアドレスの入力だけで済む。とある仲介サイトを覗くと、匿名シッターの書き込みが無数に並んでいた。 <◯◯(片仮名2文字のニックネーム)、19才、料金:話をしてから、資格:なし、自己紹介:唯一の長所は笑顔です。◯◯県内なら大丈夫です。……>  代金は1時間あたり500~千円程度が主流。派遣会社にプロのシッターを頼んだ場合と比べ、相場は約半額以下だ。事件を受け、仲介サイトの“野放し”の実態を問題視する声もあがり始めたが、シングルマザーの貧困問題に詳しいライターの鈴木大介氏は語る。 「仲介サイトは公的な福祉を受けづらい親のセフティーネットになっている面がある。リスクもあるが、急な用事ができた時、他に安く預かってくれる所がどれだけあるのか。もし規制されたら、夜の仕事に就くシングルマザーなど、困る人が大勢いる」  だとすれば、利用者が危険を防ぐためにはどうすればいいのか。シッター仲介サイト「アイシッター」の由利哲平代表はこう語る。 「私どものサイトは実名が原則のフェイスブックを通して登録してもらっています。ただ、誰に子どもを預けるかは最終的には自己責任。事前に一度会ってみて、不安を感じたらやめたほうがいいですし、身分証のコピーなどをもらっておくという手もあります」  悪質シッターに遭遇しないためには、自己防衛が欠かせない。 (本誌・小泉耕平、福田雄一) ※週刊朝日  2014年4月4日号
出産と子育て
週刊朝日 2014/03/26 11:30
「子どもの預け先がない」追い詰められる前の安心シッター確保7カ条
「子どもの預け先がない」追い詰められる前の安心シッター確保7カ条
物袋勇治容疑者はホームページでシッター業をPR。所在地や料金表なども明記していた。サイト情報だけで信頼できる業者やシッターを見抜くのは難しい(撮影/写真部・大嶋千尋) それでもベビーシッターに頼らざるを得ない家庭はたくさんある。 事件に巻き込まれないためには、どうしたらいいのか。(編集部・鈴木 毅、深澤友紀、金城珠代)  母親(22)は何度も男にメールをした。しかし、返信はない。  子どもたちを引き取る時間は「連絡を取りながら決める」ことになっていた──。母親が警察署に駆け込んだのは、最後の連絡から1日あまり経った、引き取り予定日の夕方だった。  埼玉県富士見市のマンションの一室で3月17日、山田龍琥(りく)君(2)=横浜市磯子区=の遺体が見つかった。死因は窒息死。衣服は脱がされ、あざのような痕が数カ所あった。保護された弟(8カ月)は低体温症で衰弱していたものの、命に別状はなかった。神奈川県警は翌18日、ベビーシッターとして部屋で子どもたちを預かっていた物袋(もって)勇治容疑者(26)を死体遺棄の疑いで逮捕した。  この事件で世間に注目されたのは、母親が、インターネットのベビーシッター紹介サイトを通じて物袋容疑者に依頼していたことである。  今回の事件からは、ワーキングマザーがベビーシッターに頼らざるを得ない事情も浮かび上がる。彼女がかつて働いていた飲食店関係者は、 「託児所に毎夜、子どもを預けると、フルで店に入っても手取りからだいぶ引かれてしまう。結局、1カ月程度で来なくなった」 ●頼る隣人いない、公的支援頼れぬ 綱渡りの子育て  事件まで母親は、2人の息子と重病の父と4人で暮らしていた。働かなければ生活が苦しい。でも、託児所は使えない。  店の出番を増やそうと考えた母親は、3月5日、サイトで<大至急お願いします>とシッターの募集をかけた。 <保護支給とバイトで生活しています やっぱり(子どもが)ふたりとなると苦しく>  これに応じたのが物袋容疑者だった。そして14、15日の2日連続で店に出るために、14~16日のお泊まり保育を頼んだのだ。  保育に詳しいジャーナリストの猪熊弘子さんはこう指摘する。 「保育事故が起きる背景には、預ける側と預かる側の両方とも貧困を抱えていることが増えてきました。本当に必要な人に支援が届かず、そのしわ寄せが子どもたちにきているのです」  今回の事件は、決して“他人事”ではない。アエラネット会員(※注)への緊急アンケートで切実な声が集まった。  小1と2歳の娘を育てる都内在住の女性(32)は、夫は毎日、深夜帰宅の激務で子育ての「戦力外」。実家の両親は離れているし、共働きだから頼れない。正社員だけど残業を断って保育園へお迎えに行き、子どもが病気のときはベビーシッターや自治体のファミリー・サポート・センターなどを使い、「綱渡りのように」子育てをしてきたという。  次女の出産で入院したときは、長女を児童養護施設に「ショートステイ」させた。長女の親子遠足では0歳児だった次女をベビーシッターに預け、2万円かかった。必死にやりくりしてきたが、長女が学童保育になじめず、昨夏、会社を辞めた。 「公的サービスは安いけど、例えばショートステイは原則1週間前までに申請、など使い勝手が悪く、いざというときに助けになってくれない。最終手段としてシッターに頼ってきました」 ●「欠勤ならクビ」無理解上司の罪 結局、早期退職  都内で2児を育てる49歳女性も子育てに介護が重なり、会社を辞めた。妊娠中はつわりがひどかったが、上司から遠回しに「欠勤したらクビ」と言われた。育休復帰後は1時間時短勤務し、週2回ファミサポを利用。実母が倒れて入院したとき、会社の制度にある2時間の時短を申請したが、上司に「ありえない」と一蹴され、仕方なく介護休暇をとった。再入院した際に再度申請したら「職場に戻れなくなるかもしれないぞ」と言われ、早期退職募集に手を挙げた。  行政の保育サービスは親たちの働き方とかけ離れている。基本的に早朝や深夜、病気にかかったなど保育施設でカバーできない保育を個別型サービスが補うが、子どもの年齢や人数、急な要望に応えられないなどの制限が多い。(文末の「子育て支援サービスの比較」参照) 「預かってほしいのは、子どもが病気の時なので、いつも緊急なんです。区のファミサポに登録したんですが、1週間前に予約しておかなければいけないので使ったことがありません」  都内に住む母親(35)はそう話す。  都内でファミサポの預かり会員をする女性も制度の使いにくさを指摘する。 「事務体制が硬直的で、急な病気の時、おなじみの人に直接頼むことも原則的には許されず、事前にセンターを通さねばならない。もちろん土日休業です」  未就学児2人を抱えながら出版社に勤める40歳の女性は、子どもが病気になって保育園に行けないときや残業が必要なとき、入会しているベビーシッター企業に派遣を頼む。 「預け先がどうしても見つからないときに頼むから、来てくださるだけでありがたいです。でも費用は入会金に年会費、利用料に深夜や当日割り増しなどが積み重なって非現実的な『セレブ価格』になる。利用するかどうかはおカネとの天秤。追い詰められたママは弱者だと思います」  共働きで収入の安定した夫婦でさえも高いと感じるベビーシッター企業の利用料金。病児保育の認定NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さん(34)はこう解説する。 「行政の補助は施設型の保育所に向けたものばかり。ベビーシッターをほとんど支援してこなかったため高額になり、ネットの紹介サイトなどの安価な個人シッターに流れる構造を生んだ」 「保育園を考える親の会」代表の普光院亜紀さんも追い詰められた親たちを危惧する。 「子育てしている親、というだけで弱い存在。経済的、時間的ゆとりがないと、もっと弱くなり、危ないサービスにすがってしまう」  そんな中で、質の高いベビーシッターを見つけるにはどうしたらいいのか。  横浜市に住む営業職の女性(37)は夫婦とも地方出身の共働きで、急な仕事が入ったり子どもが病気になった時はベビーシッターしか頼れない。先日、6歳の子がインフルエンザに感染して5日間頼み、1日1万9千円、計10万円ほどの出費は痛かった。だが、いつも来てもらっているシッターの都合が悪かったことが不安だった。名前と携帯電話の番号、50代で子育て経験ありという会社からの情報だけで、初対面のシッターに大事な子どもと自宅のカギを預けた。 「顔見知りの管理人がいて、防犯カメラがあるから連れ去られても気づくはず。でも、ウソをつかれればどうしようもない。結局、会社がやっているという研修や身分証明を信頼するしかないんです」  都内で保育施設を営む女性(45)は自分で見極める。会社員時代、子どもを産んで3カ月で職場復帰。保育園は入るのが難しく、最初からシッターのみで子育てをしてきた。人が集まるスーパーマーケットやネット上の掲示板に募集を出し、面接をして「子どもが楽しく過ごせる人」を確保してきた。 「お小遣い稼ぎなのか、本業なのかは大事。切羽詰まっている状態だと危険なので、月15万~20万円は払えるように仕事を固めてあげました。シッターにとっても“失いたくない大事な顧客”にならなきゃいけない」  驚くことに、1年前、会社の求人で面接に来た5、6人中に物袋容疑者もいたという。ダボダボのジーンズと、背中に大きな刺繍が入った長いスタジャン。逮捕時と同じ服だった。面接の時、玄関先で「どうぞ」と家に入るように促すと、あいさつもなく、先に部屋の奥まで入っていった。脱ぎっぱなしの靴を揃えることもなかった。 「自分のことは一生懸命に説明していましたが、あいさつもしないし、会話もかみ合わない。この人は仕事を探すのにとても苦労するだろうなと、印象に残っていたので、ニュースを見てすぐに彼だとわかりました」 ●子連れで面接 子どもが好きか相手を見極める  ネットシッター肯定派もいる。今回の事件で当事者がやりとりした紹介サイト「シッターズネット」を、2年ほど前から利用する40代の男性はこう語る。 「会社派遣のシッターは料金が高いし、子どもが好きで働いている人かどうかわからない。それなら安くて、自分の目で人柄を見極められるほうがいい」  複数の掲示板に書き込んで20人前後と連絡を取り、条件が合えば夫婦と下の子2人を同席させて面談。その場で「子どもに話しかけるかどうか」を見る。必ず運転免許証や健康保険証などの公的な身分証明書と履歴書を出してもらうようにした。  週6日、4~5時間を3人のベビーシッターが交代で子どもたちと過ごしている。時給は800~1千円。派遣会社を通した場合の半額以下で、子ども好きで信頼できる人を雇うことができたと話す。  今回の事件は、決して母親に子どもへの愛情がなかったから起きたわけではない。 「おカネのこともあって、すぐに預けられる場所もなかった。あの時、助けられなかった。ごめんねってしか言えない」  母親は事件後、報道陣に涙ながらにこう語った。  緊急時に頼るベビーシッターだからこそ、余裕のあるときに情報を集め、自らの目で見極める。働く親たちが愛する子どもを守る方法は、それしかない。 ※注:アエラでは、「アエラネット会員」を募集しております。アンケートにお答えいただくと、あなたの「声」をアエラ誌面に反映できます。登録手続きは(http://bit.ly/AERA-TOUROKU)で(登録無料) ■経験者に聞く いいベビーシッターを見つけるための7カ条 (1)前々から調べておく 子どもがいると急にシッターさんをお願いすることがある。前々から調べておけば納得して預けられる(女性・東京都) (2)料金体系がわかりやすい業者を ベビーシッター会社を探す場合は、インターネットやパンフレットのサービス内容や料金体系がわかりやすい業者を選ぶ(女性・東京都) (3)身分証明書を出してもらう 個人シッターの場合、必ず事前に面談して、子どもに話しかけるかどうかを見る。公的な身分証明書と履歴書を出してもらう(40代・男性・自営業・大阪府) (4)最初の面談は相手の家で 相手の生活環境を知るためにも、最初の面談は相手の家で。夫も連れて行く。管理人の目や監視カメラのあるマンションの自宅で預かってもらう(37歳・女性・神奈川県) (5)最初の30分は一緒に過ごす 初めてのシッターさんに来てもらう場合は、最初の30分は一緒に過ごして信頼関係を築くようにする(57歳・女性・東京都) (6)外出先から電話を入れる 外出先から一度は電話を入れて様子を確認。保育記録も丁寧に書かれているかチェックする。子どもの反応も大事(40歳・女性・東京都) (7)時給を聞く (ベビーシッター会社の場合)時給を聞いてみる。支払っている額より安すぎる時は、待遇の悪い会社かシッターさんの経験が浅いか(37歳・女性・神奈川県) ■子育て支援サービスの比較 【保育施設】 <認可保育所> 広さや設備、職員の数や資格など、国の設置基準をクリアし、都道府県知事に認可された施設。国や自治体から運営費が補助されている。保育料は所得に応じて決められる。市区町村が運営する公立と、私立がある メリット:保育料が比較的安い。基準をクリアしていて安心。施設も充実している デメリット:人気が高いため、人口が多く保育所が少ない都市部では「待機児童」が多い <認可外保育施設> [自治体独自助成施設] 自治体が基準を決め、独自に補助金を出して運営されている施設。東京都では「認証保育所」の名称 メリット:サービスが充実しているところもある デメリット:認可に比べて基準が低く、料金が高い [事業所内保育施設] 事業所や病院内など、職場の中に設けられた保育施設。地域に開放して、一般の人が利用できる場合もある メリット:その職場に勤めている人には便利。急な延長等にも対応してもらえることが多い デメリット:子どもを連れて通勤するのが大変なことも [ベビーホテルなど]補助金を受けずに運営。中でも夜8時以降開所、宿泊できる、一時預かりが利用の半数以上のいずれかで常時運営していればベビーホテルと呼ぶ。個人経営、企業フランチャイズ、受験塾が経営しているものなどがあり、質も料金もさまざま メリット:お金次第でさまざまなサービスが受けられる デメリット:立ち入り検査が入るが、改善されない施設も <幼稚園> 3歳児以上を対象に日中4時間程度の保育を行う。保育ニーズが高まり、午後7時ごろまでの「預かり保育」を実施するところも増えてきている メリット:比較的、希望の園に預けられる デメリット:働く母親が少ないので、条件が合わないことも <認定こども園> 就学前の教育、保育を一体化しようと2006年に始まった制度。都道府県知事から認定を受ける メリット:仕事の有無にかかわらず預けられる デメリット:施設が少ない 【個別型サービス】 <市区町村の保育ママ> 東京都では「家庭福祉員(保育ママ)」と呼ばれる制度。認定された保育者(主に保育士、幼稚園教諭、教員、看護師など有資格者)が自宅で保育する。対象は未就学児で、保育者1人で子ども3人まで。市区町村が助成 メリット:信頼できる人に出会えれば、便利で、料金が安い デメリット:保育ママと相性があう、あわないがある。給食がない場合も <ファミリー・サポート・センター> 自治体に設置されたセンターが、地域住民に募って、子どもを預かりたい会員と預けたい会員を登録し、マッチングする地域の相互援助活動。原則として保育者の自宅で保育する。利用料は1時間700~900円程度 メリット:利用料金が安い。預け先が同じ地域の住民 デメリット:預かりたい会員が少なく、必要なときに見つからない。事故が起きても自治体は関与しない <ベビーシッター> [会社などを通して契約] 登録されたシッターが依頼者の自宅へ派遣される。シッターの質や料金はさまざまだが、全国保育サービス協会に加盟している会社の平均的な利用料は1時間2000円程度 メリット:首都圏はベビーシッター会社も多く、いつでも頼める デメリット:料金が高い [個人で契約] 保育者に直接依頼し、頻度や期間、料金などを交渉する。保育場所は主に子どもの居宅だが、「保育ママ」と呼ばれる子育て中の母親が自宅で保育することも。知人やその紹介のほか、インターネット上のマッチングサイトや新聞、掲示板の求人広告で探す。利用料はさまざまだがだいたい1時間1000円 メリット:料金が安く、自由度が高い デメリット:保育の質が保証できないことも <行政の短期支援施設> 仕事の都合などで養育できない場合、母子生活支援施設、児童養護施設などに一時預けるトワイライトステイ(夜間一時保育)とショートステイ(宿泊型一時保育)がある。利用料はトワイライトステイは1回1500~2000円程度、ショートステイは5500~7000円程度。住民税非課税家庭は半額、生活保護世帯は免除される メリット:料金が安い。学校や保育所からの送り迎えもしてもらえるので安全 デメリット:定員がある。自宅から遠いと、利用しにくい ※「保育園を考える親の会」の資料と編集部の取材をもとに作成 ※AERA  2014年3月31日号
働く女性出産と子育て待機児童
AERA 2014/03/24 00:00
中本賢さん 生態系豊かな多摩川の自然
中本賢さん 生態系豊かな多摩川の自然
前列右からニコンCOOLPIX P5100、現在メーンとして多摩川の自然を記録しているニコンD7000、フィルムの質感と感触がお気に入りのニコンFM2。後列は父親の遺品で思い出のつまったローライコードに、多摩川で水没させたというニコンD70とニコンFX90 1996年、ニコンFM2にレリーズをつけて、夜、自宅近くの土手で撮影。タヌキとのツーショットには観察も含めて3年かかったという 多摩川の河原で交尾中のヒキガエル。撮影はどのレンズを使えば撮れるかではなく、まず生き物たちの生態を覚え、標準レンズでいかに近づいて撮るかが基本だという ――多摩川を撮り続けられていますが、最初のカメラは?  キヤノンのオートボーイ。カメラに興味をもつようになったのは息子と川遊びをはじめて、息子を撮ろうと思ったからです。けっこう奮発して買ったのを覚えてます。ザ・ハンダースを解散して、もっとも食えない時期。バラエティーが苦手で、俳優になろうと下積みしてる状況だったんで仕事がなくて、1985年に東京・世田谷から川崎に引っ越したんです。で、引っ越したところが多摩川の真横だった。当時はまだゴミと洗剤の泡だらけの川で、泳げば結膜炎になるし、はいた長靴を置いておくだけで家じゅうくさくなっちゃうし、ひどかったですよ(笑)。川に人なんてだれもいなかったし。でもバッタをとったり、モグラの穴を見つけたり、ヘドロの中でザリガニをとったり。希少な魚はいないけど、雑魚たちが体を奇形させながら生きてるのを見て、B級俳優としてはブルブルッときた。「画面は真ん中だけじゃない、俳優は四隅だぞ!」ってね。  そのうち多摩川から奇形の魚がいなくなってきて、90年代後半には洗剤の泡の中からアユが飛びだすようになった。興奮して、「アユがいた、アユがいた!」と言ってもだれも信じてくれない。これは撮らなきゃダメだと思って、一眼レフを買いました。コンパクトカメラじゃ撮れないんですよ。発表するあてはないけど、とりあえず記録してたんです。 ――そのカメラは?  ニコンFM2。なぜかというと、電池がなくても撮れるから。首からカメラをぶらさげて川で魚を撮ってると夢中になって、いつの間にか水没させてるんです。で、ぶっこわれるから決定的なときに使えない(笑)。FM2は水没させてもよみがえりましたね。  ある日、子どもたちが環境学習で多摩川に来たんですよ。水質調査してゴミ拾いして、「この川には問題がある。環境は守らなきゃいけない」なんて学習してる。それを見て、「ちょっと待て、この川がどんだけよくなったかわかってるのか」と(笑)。この川のゴミには魚卵がいっぱいついてるんです。水草がないから、魚がゴミに卵を産むんですよ。ゴミと思うと未来がないけど、これは卵のついた未来なんです。汚いと思われたままじゃ川のやつらがかわいそうだと思って、アユの産卵をビデオに撮ってダビングして、子どもたちに配ったりしたんです。それを親たちが知って、テレビのニュース番組で取り上げられるようになった。以来、大都市の川がどうやってよくなっていったのか、再生のプロセスを残しておくべきだと思って、おれ一人で記録し続けてるんです。いまは基本的に全部デジカメで撮ってますね。ニコンD7000です。 ――多摩川の魅力は。  人が増えるとゴミが増えて環境に悪いとみんな思ってるけど、多摩川は人が積極的にかかわることで、河原から粗大ゴミが消えてどんどんきれいになったんです。いま、休日の土手は銀座みたいな人通りですよ。土手に咲く花をおれの造語で「土手菜」って呼んでるんですけど、土手菜と青空と散歩してる人を一緒に撮るために土手に寝っ転がるんです。するとね、たいがいの人が「なにしてんだろ、この人?」って目で見てくるわけですよ。人がやってないことをやると快感ですね(笑)。  カメラを持つだけで、四季折々の草花が発芽して、茎をのばして、花をつけるっていうのが楽しみになって、自分の家の近所がすごく魅力的になります。散歩が100倍楽しくなりますよ。春は1年に1回しか来ないから、タンポポを撮るのに失敗したら来年を待たなきゃいけなくてじらされるわけです(笑)。これが楽しくていいんですよ。 ※このインタビューは「アサヒカメラ 2012年1月号」に掲載されたものです
2014/02/20 00:00
西ゆうじさん 物語を紡ぎ、膨らませる写真の力
西ゆうじさん 物語を紡ぎ、膨らませる写真の力
レンズにもこだわりがあり、右からスーパーアンギュロン65ミリF5.6をつけたリンホフ テクノラマ612PC。ポンティアック スーパー・リンクスIにはベルチオ・フロール50ミリF3.5、ライカM9は専用アダプターのビゾフレックスでエルマー65ミリF3.5を装着。ほかに800台近いカメラを所有している ポンティアック スーパー・リンクスIで撮影。雑踏の中、親子の後ろ姿にドラマを感じてパートカラーで表現した 和菓子職人をめざす女性を主人公にした人気漫画「あんどーなつ」(画・テリー山本)を雑誌に連載中の西さん。その資料としてライカM9で接写 リンホフ テクノラマ612PCで撮られた都会のスナップ。ビル街の窓ガラスに反射した光が地面に映り込み、光と影が織りなすモノクロの模様が美しい。1対2のパノラマサイズが縦長の画面に存分に生かされている ――カメラにめざめたのは?  10歳の夏休みです。海水浴におやじが仕事で急に行けなくなって、「おれはいっしょに行けないから、これで撮ってきなさい」と前夜にカメラを渡され、撮り方を教わりました。でも当日は遊びに夢中でカメラのことを思い出したのは、着替えて荷物をまとめていた帰りぎわ。あわてて弟や友人を撮ったけど、現像に出したらよく写っていて、それで興味を持ったんですね。ビューティー35という安いカメラでした。本格的にやるようになったのは、大学に入って上京してから。8ミリムービーに夢中だったぼくは、フィルムを安く手に入れるためにカメラ店でアルバイトをはじめたんです(笑)。そこで働いて、自分で初めて買ったのがコニカT3。作品を撮るというよりは、映画の勉強のために使っていました。23歳で放送作家になったあとは、自分で書いたドラマの番組宣伝用の写真も撮りました。今の仕事でもカメラが役立っています。 ――どんな使い方ですか。  映画と同じで、漫画の脚本もせりふとト書きがあるんですが、文章だけでは伝わらない場面には資料として写真を添えるんです。といっても、カタチを伝えるためだけじゃない。写真に力があると、漫画家がそれを感じ取って、作家が思い描いている微妙なニュアンスまで画で表現してくれるんです。つまり、いい写真が作品の質を高めてくれる。それでカメラを次々と買うようになり、昨秋ついに700台を超えてしまった(笑)。カメラ店の多い銀座で打ち合わせをするから、どうしても誘惑に勝てないんです。買ったカメラは全部リストにしていますが、トータルでいくら使ったかはこわいから計算していません。(笑) ――リンホフ テクノラマ612PCは特殊なカメラですね。  10年くらい前、銀座松屋の中古カメラ市で見つけました。編集者に原稿を渡すために銀座の喫茶店に行って、ついでに寄って目に留まった。「面白そうだけど、使う場面がないだろうなぁ」と一度はその場を離れたんだけど、どうしても気になって戻ってきた。そこをカメラ店員に囲まれて、「これは西さんが買うしかないよ」「いま手に入れないと二度と手に入らない」と暴力バーのように迫られたんです(笑)。でも、晴海埠頭で撮ったお台場の風景があがってきたときは驚きました。フジテレビの社屋の小さな窓を16倍ルーペで拡大したら、中まできっちり写っている。すごい解像力です。いまはもっぱら街角の風景を撮っています。そんな使い方をするなんてと仲間からはひんしゅくを買ったけど、この再現力が仕事に役立つ。道端に落ちているもの、隅に写りこんだお母さんと子どものしぐさ、表情。そんなささいなものから物語が浮かんできます。創作のヒントをくれるんです。ぼくは、1枚の写真から物語3話分ぐらいつくれなくてはいけないと思っています。 ――ポンティアック スーパー・リンクスIは。  フランスのカメラが好きなんです。このベスト判はよく見かけるけど、35ミリ判は数が少ない。たまたま委託で出ていて、値段が他の中古店の3分の2くらい。即買いしました。メタルがくすんでいたので、磨いてピカピカにしました。1950年代のものには見えないでしょう。ぼくはカメラを修理したり、磨いたりするのも好きなんです。仕事で煮詰まったとき、カメラをいじっていると、頭のスイッチが切り替わっていいんです。 ――そしてライカM9。  最短のピントが甘いのがM9の欠点ですが、ビゾフレックスをつけると、きちっとピントがくる。開放での柔らかい味やボケがすばらしい。これで漫画に登場する和菓子を撮影して、単行本のカバーに使用しています。ライカで、これだけ寄って撮れるのはうれしいですね。「趣味と仕事は分けたほうがいい」と言われる方もいるけど、作家って、趣味を含めた生活の全てが仕事と結びついている。ぼくにとって、写真は作品づくりに必要な資料であり、モチベーションを高めるものでもある。だけど、もっと大きいのはカメラを通じて知り合った友人。政治家、俳優、会社経営者など、じつにいろんな人がいる。カメラは、自分の世界を広げてくれるコミュニケーションアイテムでもあるんです。 ※このインタビューは「アサヒカメラ 2011年11月号」に掲載されたものです
2014/02/20 00:00
専業主婦は「良妻」か「毒妻」か 妻に働いてほしくない夫の本音
専業主婦は「良妻」か「毒妻」か 妻に働いてほしくない夫の本音
(photo 写真部・関口達朗) これだけ共働きが増えても、夫は妻が家事をすることで満足する。 「良妻賢母」の幻想と現実。どんな妻なら重荷にならないのか。(編集部 小林明子) * * *  約束が違う。  昨年1月に結婚したPR会社員(26)は、同い年の妻と共働きを続けようと話し合っていた。なのに結婚半年で妊娠がわかった途端、妻は派遣の仕事を辞めて専業主婦になりたいと言い始めたのだ。  家計は分担し、料理は妻、洗濯は夫、掃除はルンバが担当。男性の年収は400万円だが、たとえ1千万円あったとしても、妻にはずっと働いていてほしい。 「働かない理由がわからない。江戸時代じゃあるまいし、家事は機械化されて誰にでもできる単純作業。家にいることにどれだけの価値があるのか」  妻は子どもと過ごす時間の大切さを強調する。 ●夕食4品以上で満足 「じゃあ僕が育児休業を取って子育てに専念するから、君が働いて」  と言い返すと、それは許さないと言う。 「家政婦を雇うために結婚したわけじゃない。一緒にいたいから結婚したんだ」  精いっぱいの愛をこめたメッセージのつもりだ。だが、葛藤もある。 「同じ年収でも、男は妻子を養うべきだという同期もいる。自分は甲斐性のない情けない男なのか。夫婦は同じくらい頑張らないとダメだと思うのですが……」  だから、もしも妻が専業主婦になるなら完全に役割分業し、家事も育児も丸投げだ。自分は年収を上げなければならない。子どもの授業参観に行けなくても文句ひとつ言わない「良妻」になってもらわなければ、「対等」ではないと思う。  2012年の内閣府の世論調査では「夫は外で働き、妻は家庭を守る」という考え方を支持する人が増えて過半数となった。20代を中心に、性別役割分業に賛同する人は増えている。  35~54歳を対象としたアエラの調査でも、妻が働くことを「本音では応援していない」と答えた夫が2割。専業主婦の夫の9割が「妻を愛している」と答え、共働きや「ちょこキャリ」の夫を上回った。  日本女子大学の永井暁子准教授(家族社会学)はこう話す。 「家事・育児・家計においてすべての夫と妻が50%ずつの対等になることはありえない。それぞれの夫婦のやりやすい分担の形があっていいが、結局、妻が家事をするほど夫は満足するのが現実です」  永井准教授が関わった12年のパナソニックの調査によると、夕食に4品以上あると夫の満足度が高かった。STAP細胞を発見した研究者の小保方晴子さんでさえ、研究内容にも増して割烹着が話題になったほど、「良妻賢母」の偶像は相変わらず強固な支持を集めている。 ●毎朝おにぎり持参  マスコミ勤務の男性(31)が深夜にほろ酔いで帰宅すると、冷蔵庫にはラップで覆われたホッケの塩焼きとサラダが用意されていた。仕事柄、急な残業や接待が多く、専業主婦の妻(31)には夕食が必要かどうかの連絡をしたことがない。それでも必ず自分のおかずも作ってある。 「子どもの夕食を作るから手間は同じでしょう。僕が食べなくても翌日に妻か子どもが食べているみたいだし」  家事をしたことのない夫には、魚焼きグリルをもう1回転させる手間や、冷蔵庫の野菜を余らせない苦労はピンとこない。夫にその労力を感じさせないのが「良妻」なら、「食べるなら連絡してよね」と文句を言う多くの専業主婦は「毒妻」なのか。  男性の年収は800万円。結婚前までメガバンクに勤めていた妻は倹約家で、男性の給与口座の残高を隔週で記帳し、カード明細にも隅々まで目を通す。外食を嫌い、毎朝おにぎりを握って持たせてくれる。 「今日は牛乳が3円安かった」 「特売のインスタントコーヒーを5本買っておいた」  そう目を輝かせながら話す。はっきり言ってどーでもいいが、飲み会で数万円を散財するのが後ろめたくなり、妻への感謝と愛情がふつふつと湧いてくる。  一方、妻の家事能力が低いと、夫の不満はたまる。  公認会計士の男性(33)は学生結婚で、妻(33)は社会経験がないまま専業主婦になった。男児2人の育児で手いっぱいなのか、週1回ヘルパーに来てもらっても家事が回っていない。男性は帰宅するとまず家族が食べた昼食と夕食の皿を洗い、掃除機をかける。ゴミも自分がまとめなければ、ずっと捨てられないままだ。 ●家事という「贖罪」 「妻なりに子育てに必死なのはわかるが、できる人は家事も育児もできている。専業主婦で家にいるんだからもう少し頑張ってほしいと思ってしまう」  前述のように「大黒柱」の夫の多くは、 「働かなくてもいいけど、キミが働きたければどうぞ」  と「理解ある」スタンス。家族を養うために働く選択肢しかない夫にとって、社会的地位や「やりがい」にこだわる妻はややこしく、専業主婦に役割分業してもらって仕事に集中できたほうが楽なのだ。  広告会社に勤める男性(42)は、子どもがほしい。41歳の妻は妊娠・出産のリミットが迫っている。だが、念願の介護の仕事に就けてやりがいを見いだした妻にその話題はタブー。家庭の事情から、出産は妻のキャリアと引き換えになるからだ。いっそ妻と離婚して若い女性と、と考えたこともある。  帰宅すると、夕食が必ず用意されている。午後8時に帰宅して座る暇もなく台所に立つ妻の姿が目に浮かぶ。仕事をしながら家事も完璧にこなすのは、子どもを持たないことに対する妻なりの「贖罪」なのではないかとさえ思う。 「もういいから、僕のために専業主婦になってくれ」  そう言えない苦しさの奥から愛おしさがこみ上げてきて、たまらなくなるのだった。 (調査は「NTTコム オンライン・マーケティング・ソリューション」を通じて、1月中旬に実施。首都圏1都3県に住む世帯年収500万円以上、35~54歳の既婚男女520人が回答した) ※AERA  2014年2月24日号
男と女結婚
AERA 2014/02/17 00:00
声優の“深夜割増”料金も…知られざる波平役・永井一郎さんの功績
声優の“深夜割増”料金も…知られざる波平役・永井一郎さんの功績
アニメ「サザエさん」は2月9日放送分まで永井さんの声で収録済み。フジテレビによると、1月31日現在で後継者は未定だ (c)朝日新聞社 @@写禁  国民的アニメ「サザエさん」の磯野波平など数多くの人気キャラクターの声を担った声優・永井一郎さんが1月27日、虚血性心疾患のため急逝した。82歳だった。突然の訃報に、多くの声優たちがコメントを出し、ブログやツイッターでも別れを惜しんだ。永井さんは、声優たちを支えて活動するという、お茶の間には見えない顔を持っていたのだ。  永井さんは波平以外にも、多くのなじみ深いキャラクターになっていた。「ゲゲゲの鬼太郎」の子泣き爺、「宇宙戦艦ヤマト」の佐渡酒造、「YAWARA!」の猪熊滋悟郎、「機動戦士ガンダム」のナレーション……。日本のだれもがどこかで耳にしたことのある、まさに声優界の重鎮だった。  声優の後輩たちに慕われた理由のひとつが、その人柄だ。 「いつもにこやかで、ご一緒すると、おう久しぶり! なんて声をかけてくださって。大先輩なのに腰が低く、親戚のオジサンのように気さくな方でした」  そう話すのは、「ポケットモンスター」や映画「フィフス・エレメント」などで共演した声優・歌手の松本梨香さん(45)だ。 「いつも自然体で演じられる姿に、今日は何が飛び出すかとわくわくしたし、見守られている安心感がありました」  若手が現場で叱られてシュンとしていると、永井さんが場を和ませるなど、気遣いの名人でもあったとか。  そんな永井さんの後について、松本さんはあるデモ行進に参加したことがある。 「20年以上前、自分がまだ駆け出しのころでしたが、プラカードを持って、一緒に銀座を練り歩いたことがあります」  そのころ永井さんは、声優の地位向上のために奔走していたのだ。  今でこそ、アニメ声優は「憧れの職業」になったが、テレビアニメが始まってから20年ほどは、生活もままならない時代が続いていたという。そんな状況を打破しようと立ち上がったのが、永井さんたちだった。 「彼は熱血漢でしたよ!」  一緒に闘ったという、日本俳優連合の専務理事で俳優の池水通洋さん(70)は当時を振り返る。 「1960年代から洋画やアニメの再放送が始まりましたが、放送局と声優が直接仕事をするのでなく、制作会社に発注するようになると、再放送の賃金が声優に払われなくなる事態になったんです」  賃金が払われなくても、会社に干されるのがこわくて、皆意見を言えない。そんななか、70年代に洋画やアニメを中心とした声優の組織が作られ、制作サイドとの闘争が始まった。80年代には永井さんが委員長になり大活躍する。 「永井さんは京大卒のインテリですし、理詰めで議論するから相手もたじたじでしたね」(池水さん)  この闘争の結果、86年に声優が出演するときの時間割増料金や作品の利用目的別料金などのルールが決まった。永井さんが基本的な草稿をつくったものだった。  声優は人間に生命を吹き込むのだから、人間をよくわかっていないといけない――。これが永井さんの口癖だったという。  アニメ文化がここまで普及した裏には、「お父さん」の深い愛があったのだ。 ※週刊朝日  2014年2月14日号
お悔やみ
週刊朝日 2014/02/06 16:00
第2回 「お母さん、お父さんのための絶対失敗しない子育て塾」開催
第2回 「お母さん、お父さんのための絶対失敗しない子育て塾」開催
「絶対失敗しない子育て」を講演する高濱正伸先生 出版記念講演会「お母さん、お父さんのための絶対失敗しない子育て塾」の会場 高濱正伸(たかはま・まさのぶ)花まる学習会代表。1959年、熊本県生まれ。県立熊本高校卒業後、東京大学理科二類に入学。在学中から、塾講師や幼児の野外活動の指導者などのアルバイトを経験。同大学大学院修士課程修了。93年2月、小学校低学年向けの「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を重視した学習教室「花まる学習会」を設立。同時に、ひきこもりや不登校児の教育も開始。95年には、小学4年生から中学3年生対象の進学塾「スクールFC」を設立。算数オリンピック問題作成委員や決勝大会総合解説員も務める。現在は理事。テレビ出演や著書も多数。そのほか、公教育の支援や障害児の学習支援など、幅広い活動を行っている。 花まる学習会 http://www.hanamarugroup.jp/hanamaru/ 『高濱正伸の絶対失敗しない子育て塾』(朝日新聞出版) ■「赤い箱から青い箱への切り替え」が大事  『高濱正伸の絶対失敗しない子育て塾』(朝日新聞出版)の出版を記念して、花まる学習会代表・高濱正伸先生の講演会が開催された。「お母さん、お父さんのための絶対失敗しない子育て塾」をテーマに、子どもが生きる力をつけるためにはどう育てていけばよいのか、家庭では具体的にどんな指導をすればよいのかなどが語られた。  熱血指導ぶりが話題になっている高濱先生の生の声を聞ける貴重な機会でもあり、子育てに熱心なお母さん、お父さん約400人が出席した。  講演会は「あのとき聞いておいてよかったと言われることが多い、幼児にも何年生にも通じるポイントから」という言葉で始まった。  今までの経験上、子育てには赤い箱と青い箱の時期がある。赤い箱は3、4歳から9歳くらいまでの「つ」のつくうち。そして、10歳くらいからは青い箱に入る思春期だ。親は赤い箱から青い箱へ、シフトチェンジをするだけで十分だという。ところが、たいがいのお母さんはうまくいっていない。  子どもが赤い箱の時期、母親初心者時代によくある失敗例を挙げる。年少から3年生くらいの男の子に向かって「あんた、何回言えばわかるの」と言う人がたくさんいる。これは絶対に無意味なことだ。おたまじゃくしに向かって「あんた、陸に上がって跳びなさい。お母さんもお父さんも、ちゃんと跳んでるでしょ」と言っているようなものだ。男の子をわかろうとするからいけない。相手は二重に別の生き物、男子かつおたまじゃくしなのだから。男の子は、いろいろなことをしないと友達関係もできない。男子同士の鉄則もある。男子の本質、それを全否定しないでほしい。今、なぜ世の中にこれだけ「食えない男子」がいるのか。孤立したお母さんが、母親初心者時代によかれと思ってしたことが、結果的に男の子の角をへし折ってしまったからだ。 ■お母さんが切り替えをしてたくさん話す  子どもはトラブルがあるからいい。事の本質は何か、トラブルは財産だという認識を大人たちが持たなければ育っていかない。いやな経験、苦い経験、不自由な経験、葛藤体験をどれほどさせるかで子どもの将来が決まる。これらの経験を親が除去してしまったので「食えない男子」が量産化されている。お母さんの言う通り、先生の言う通り、人とはうまく付き合い、いやがることや傷つけるようなことはしない、と育った子は戸惑うときがくる。  社会人になれば、さらに世の中は甘くない。結果を求められ、理不尽だらけの世界だ。クレーマーがいたり、使えない上司がいたり、ズルをしてくる同僚がいることなどが普通なのだ。だが普通とはとれず、ママの言う通りにと思って育ってきた男子は「ママ、ひどいよ。こんなことを言う(する)人がいるんだよ。この会社、ひどいでしょ」となり、ブラック企業などと書き込みをする。面と向かっては喧嘩をすることもできない。  一方、女の子は強い。高濱先生は総務部長、人事部長などが出席する企業研修の講師も務める。すると「男子はだめだけど、女子はいいです」と各企業から言われるという。女の子がなぜ強いかというと、ずっと意地悪合戦をしてきているからだ。耐性ができているのだ。お友達に少しだけチクッとして、相手が傷つきへこんだことを確認してから「ごめん、ごめん」と謝ってまた付き合う。女子の残酷さともいえる。6年生に聞くと、どこの学校でも一番強い子は女子だという。つまり、圧力を掛けることにも慣れているので、就職して偉そうなオヤジが出てきても心の中で「ふんっ」とできる。決して負けていない。  5、6年生の女の子がお母さんとバトル、対等な喧嘩ということはよくあるが、100%お母さんが悪い。お母さんが切り替わらなかったからだ。このころになれば、女の子はもう大人。聴く音楽もお友達も世の中観も、全部変わってくる。女の子はませているので、何を聞きたいかはたったひとつ。「ママ、幸せ? あの人(パパ)でよかったの?」ということだ。つまり、女として人生を語り始めるのが5、6年生の女の子なのだ。「ママはこれからパパにもお兄ちゃんにも言わないことを全部教えてあげる。大人の女の本音を話してあげる。まずは恋のアドバイスからいこうかな」なんて言ったら「えー、本当に?」と、やる気満々になる。体のこと、おしゃれのこと、男の子のこと、お付き合いのこと、結婚のことなど聞きたいことだらけだ。  結婚のこともお母さんが言っておかなければならない。『嵐』に「キャー」とか、それはそれでとってもいい。でも、マジックにかかっていることと同じだ。結婚というのは現実だから。「付き合いなさい。付き合う人は多いほどいいかもしれない。でも結婚は違うのよ。生活、稼ぎだよ」と言って聞かせる。「思いやりだよ。お父さんのなりはあんなだけど、病気のときとかやさしいでしょ。だからいいんだよ」。すると「そうか。そういうところか」と納得する。生活力と思いやり。この時期にお母さんがいい切り替えをして、たくさん話すことができれば母娘ともども一生幸せだ。「恋なんてどうせ冷めるものだから」と言っても、女の子は「だよね」となる。しかし、男の子はロマンチストだからガクッと衝撃を受ける。 ■子離れして外の師匠に鍛えられることが大事  3年生くらいから始まるが、男の子は「ママ、一緒に歩かないで」とひたすら離れていく。夜になると「ママ」と言ってピタッとくっついてくるくせに。6年生くらいになると「あっちに行って」になり、中学生くらいになると「何言ってるの? 微妙。普通」となる。しかし、ママがすべて。女神なのだ。女の子はお母さんに意地悪なことを言うが、男の子は言うつもりがなくてもつい言ってしまうときがある。「授業参観、行こうかな」と言うと「来ないで」と言われる。でも、行かないと「あ、来てないのか」と寂しく思うのだ。中学入試を頑張るのもママのため、部活を頑張るのもママのため、ママのために頑張っているが、つい言ってしまう自分。両方の自分がいる時期なのだ。  5年生くらいになったら、親が子離れして外の師匠に鍛えられることが大事。「つ」のつくうちは愛情たっぷりで育てる。が、その年になったらどこの先生につけるかが親の仕事と思ったほうがいい。言うことをきかないのは原則なのだ。なまじ「はーい、ママ」と言っている男の子のほうが思春期に壊れてしまうし、男子同士はママの言う通りにしている子を受け入れない。「なに、こいつ」となる。主体的で友達同士の秘密を持って、パンチがある子がもてるのだ。 ■わかった瞬間の快感、それを知ると快感で動く  勉強は「わかった!」という経験が大事だ。お母さんがみていると、答えが合っている、合っていないということに焦点を当ててしまう。どうしても忙しいときには「ちゃんとやってる? 間違ってるの? もう、言ったじゃないの」。よくできた場合には「うん、できたね」と。答えが合っていたらいい顔、間違っていたらいやな顔が繰り返される。子どもは、答えを早く正しく出すことがいいことだと思ってしまう。「あっ、そうか」とわかった瞬間の快感、それを知っていると快感で動く。自分でわかったことが一番楽しいのだ。答えを教えようとすると「やめて」と言う子が後伸びする子の特徴でもある。自分で考えるからこそ楽しい、ということをどう教えるか。テーマはお母さんの言葉であり眼差しだ。  勉強の仕方を教えるのは5年生くらいからだ。たとえば復習ノート。できなかった問題があったとする。伸びない子はやりっ放し。わかったということを経験できている子は、全部わかりたいので放っておけない。つまり、きちんと復習をする。復習とは解き直しではない。できなかった問題、解答、できなかった理由、ポイント、こういう理由でできなかった、今後の教訓を書くことだ。自分にできなかった問題をきちんとストックしてルーズリーフなどに保存する。そして何度も解いて、3回くらいできるようになったらルーズリーフから抜く。必ず克服していく方法だ。  中学受験については、3年生の2月にお父さんとお母さんがしっかりと話し合って、一枚岩で「よし、やろう」と決めたのであればいいかもしれない。しかし、降りるときはスパッと降りる。「もしだめだったらやめればいいからね」というような言い方をしたら子どもは伸びない。やる以上は覚悟を決めてやるしかない。が、片づけができない、計画表を書けない、文章を読み込めない、というような状態が続くのであればやめざるをえない。しかし、お母さんはほかのお母さんや周りの手前もあるし、なかなか降りられない。成長段階が間に合わなかったらスパっと降りたほうがよいのだ。やった分は、たいてい中学で生かせるのだから。それもメリットと思って勇気を持ちたい。  高濱先生は『脱中学受験論』という本を書こうかと思っているくらい懐疑的だという。中学受験に向いている子もいるが、彼らは大人。つまり、大人でないと中学受験などできないのだ。たとえば国語の問題は長文をたった何分かで読み、答える。しかも内容は「この愛するものを失ったそこはかとない悲しみ」のような人生の機微であったり。3月生まれのやんちゃ坊主には解けなくても仕方がない。だめなのではなく、まだ成長段階なのだ。 ■嫌い、苦手を言わせず、好きにさせることが大事  脳は体験でしか伸びない。走って、跳んで、踊って、木に登って、ボールを蹴って、喧嘩してということのほうが、将来的には圧倒的に有利だ。そして、人の話を聞くときに心の目で聞ける子。この人はなにを言いたいのかなという、一番肝心なことに焦点を当てる聞き方だ。これも後伸びする子の大きな特徴である。  一生を台なしにするのはコンプレックスだ。たった1問できなかったときのいやな気持ちで「算数が苦手。嫌い」と言ってしまう。苦手もなにも1問できなかっただけだ。花まる学習会では、授業中に子どもが「嫌い」などという言葉を言ったら厳しく指導する。ある種の洗脳かもしれないが、これが教育なのだ。「好き」と言っていれば自然と好きになるもの。子どもに嫌いとか苦手とか言わせないように、好きにさせることが大事だ。  つまり、コンプレックスと自信は裏腹なのだ。1回の失敗体験でコンプレックスに転がってしまったら縛り上げ、1回の成功体験が自信に転がったら嬉しくなる。その成功体験がいかに人生を左右するかということでもある。人間はそういうものだから、成功体験を与えなければいけない。  勉強もコンプレックスも「お母さんの孤独」ということに深くかかわりがある。実は、わざわざ講演会に来るようなお母さんこそ危ないのだ。頑張り屋母さんだから、子育ても精いっぱい頑張ってしまう。この講演を聞いているときは「あっ、そうそう、お姉ちゃんにちょっと言い過ぎたわ。家に帰ったらやさしくしてあげようかな」と思う。ところが、3日経つと「あんたー」とまたキィーとなってしまう。講演を聞いても本を読んでも3日もたないのだ。早寝早起きがいいし、兄弟(姉妹)を比較してはいけないし、なにかに打ち込むことが大事、そんなことはわかっている。いいことを全部マスターしていい母で頑張ろうとするお母さんが一番危ない。しかも専業主婦。いまや少しでも仕事をしているほうが何倍もましだ。  お母さんは閉じこもった中でぶち切れながら、お父さんたちの知らない生態がある。確かにやさしいときもある。でも、子どもの寝顔に謝っている。明くる朝、子どもがケロッとしているから救われているのだ。子どもが許してくれているだけだ。いつキィーキィー母ちゃんを卒業することができるか。子育てがうまくいくためには、お母さんはニッコニコが一番大事だが、実際にはやってられないお母さんが多いのだ。お父さんに相談してもブスッとして聞いていたり、「俺は外で働いてる」などと言う態度。しかし、お父さんには悪気はない。外では一生懸命頑張っている。子どもが生まれると男はパパという生き物に変わり、家族が幸せであるために必死に働いているのだ。  とにかくお母さんには安定してほしい。そのためには何か自分がほっとするカード、おばあちゃんカードや仕事というカードも効く。仕事を始めただけで魔物が取れたというお母さんもたくさん見てきた。昔の良妻賢母のような変にかしこまったお母さんでいたら、今の時代では壊れるのがおちだ。  大きなテーマは自信。これは心のマジックなのだ。だが「あんた、自信を持ちなさい」という言葉だけでは無理だ。「すごい!」と言われるような成功体験からしか得られない。それが土台にあること。  「やさしさ」という花は、厳しさ・たくましさの土台にしか咲かない。まずは子どもたちを強く、たくましく育てなければならないのだ。 『sesame』2013年3月号(2月7日発売)より http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=14653
2014/01/29 00:00
「考えただけで恐怖…」学生時代から婚活に走る女性
「考えただけで恐怖…」学生時代から婚活に走る女性
就活よりも結婚活動! 疲弊する雇均法第一世代に引いた若年層が飛びつく(撮影/写真部・松永卓也)  今やすっかり定着した婚活という言葉。最近では学生のうちから意識する女性もいるようだ。  結婚するにも会社選びのように努力が必要──。そんな風潮を「婚活」と最初に名づけたのは実はアエラ。2007年11月5日号「結婚したいなら“婚活”のススメ」に登場した元テレビ局勤務の女性(当時33)の発言が元になった。 「人生を考えれば、就職活動よりむしろ結婚活動のほうが大事だと思うんですよね」  夜中12時スタートの合コンに化粧を直して日参するなど、1年間で約60人の男性と見合いや合コンで会った。27歳で3歳上の男性と結婚、転職した。 「いつか結婚するもの」と思っているだけでは結婚できない、高スペック男性を手に入れるならなおさら……というテーマは予想以上に女性の心をつかみ、その後婚活イベントなど新しいサービスも生まれた。  このブームの裏には、世代による女性の結婚観の格差が潜んでいた。「40代vs.20代の婚活闘争」(09年5月4日号)では、大学生のうちに結婚を予定している女性(当時22)のこんな発言を紹介している。 〈美人で仕事もできる知り合いの外資系勤務の独身女性(43)は普段凛としているのに、彼に別れを切り出された時、すがりついていた。「私が独身でアラフォーを迎えたら、彼女から美人だけを取り除いたようなもの。考えただけで恐怖です」〉  プライベートを犠牲にしても職場の一線で戦ってきた雇均法第一世代は時に「負け犬」呼ばわりされ、その後もどうしても幸せそうに見えない。そんな姿を目の当たりにしてきた若年層世代が「婚活」に走った。マーケティングライターの牛窪恵さんは若い女性の結婚相手への条件を「三平」と名付けた。 「『平均的な年収』『平凡な外見』『平穏な性格』を備えた男性と、共働きでよいから安定した生活を送りたい、と願っています」 ※AERA 2014年1月20日号より抜粋
婚活
AERA 2014/01/24 07:00
マニア増殖中「知的書評合戦」 ビブリオバトルの魅力とは?
マニア増殖中「知的書評合戦」 ビブリオバトルの魅力とは?
紀伊國屋書店新宿南店では、1~2カ月に1回ほどビブリオバトルを開いている。選んだお薦め本を5分間で熱烈にプレゼンする(撮影/高井正彦) 各地のビブリオバトルチャンプ本獲得者たち紀伊國屋書店新宿南店。安村正也さん(右)。創価大学1年生の武藤広行さん(中)は『チョコレート・アンダーグラウンド』、鈴木貴三さんは『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』を推薦(撮影/高井正彦) 各地のビブリオバトルチャンプ本獲得者たち向日市立西ノ岡中学校。3年生の上出梨乃さんは『夢をかなえるゾウ』を推薦。「人にはいろいろ目標がある。今は高校受験に向けがんばっている。きっとみんな同じ気持ち。夢をかなえるという内容が共感を得たのでは」(撮影/藤岡みきこ) 各地のビブリオバトルチャンプ本獲得者たち高円寺のまんまみじんこ洞。氷厘亭氷泉さん(左)は『南島口承文芸研究叙説』。漫画家のしげおか秀満さん(40)は『妖怪横丁』で、9回目の出場で初チャンプ本を獲得(撮影/高井正彦) 各地のビブリオバトルチャンプ本獲得者たち室蘭工業大学。ネパールからの留学生スレスタ・スリ・クリスナさんは『日本語擬態語辞典』を推薦。「みなさん日本語がぺらぺらですね。ぺらぺらは擬態語です」と問いかけるようにプレゼンした(撮影/工藤了) 各地のビブリオバトルチャンプ本獲得者たち琉球光和。桑木茉里南さん(左)は『何者』、伊波由里絵さんは『75年目のラブレター』を「本の中の人間味あふれる医師を知ると、儀礼的なおつきあいが多いドクターとの距離も縮まると思った」と推薦(撮影/高井正彦)  読書家の間でブームを巻き起こしている知的書評合戦。  お薦め本をプレゼンするだけのシンプルなゲームがとにかく楽しい。(ライター・柿崎明子) * * * 「生理痛は、睾丸をわしづかみにされる痛みに匹敵するというツイッターの書き込みを見て、衝撃を受けました」  会場に笑いが起こる。つかみは上々。昨秋、紀伊國屋書店新宿南店(東京都)で開かれたビブリオバトルの一コマだ。  ビブリオバトルとは「知的書評合戦」の異名を取る、本のプレゼンゲーム。4~6人程度のプレゼンターが5分ずつお薦め本を紹介する。約2分の質疑応答を経て、聴衆が読みたいと思った本に手をあげ、多数決で「チャンプ本」を選ぶ。  冒頭のプレゼンは、マーケティングリサーチ会社勤務の安村正也さん(45)による『生理用品の社会史』の紹介だ。「男の僕がこのような公の場でナプキン、タンポンと連呼するのも何ですが」と笑いをとりながら、「生理をタブー視するのではなく、その裏に女性の歴史があることを本を手にとって知ってほしい」と締めくくった。  安村さんはビブリオバトル出場55回を数えるベテラン。 「プレゼンの上手下手より、その本が好きだという思いが伝わらないとチャンプ本は取れません。聴衆は本に通じている人が多いので本を選ぶ時は平積みのものを避け、あまり知られていない、でもちょっと興味を引きそうな内容をチョイスします」 ●ソーシャルリーディング  同店では、2年前から1~2カ月に1回、大会を開く。この日は50人ほど聴衆が集まり、3ゲームで3人の勝者が生まれた。2ゲーム目は初出場の創価大学1年生の武藤広行さんがチャンプ本を獲得。「人前に立つのが苦手。克服のためにも出場を決意しました。僕の話を聞いてくれてうれしかった」  3ゲーム目の勝者は鈴木貴三さん(38)。 「ビブリオはブログよりリアルに反応が返るのが楽しい」  同店は、バトル開催後数日間、紹介された本の展示コーナーを設ける。推進チームの瀬部貴行さんはこう話す。 「ネットの発達で、本屋で紙の媒体を売るのが難しい時代。本屋に足を運ぶ楽しさをアピールしたい。ビブリオは一般の人が一般の人に本を薦める、今までなかったソーシャルリーディング。本来、読書は孤独な営みですが、ビブリオは本を通してコミュニケーションを図る楽しさがある」  この日、バトルに立ち寄ったさいたま市在住の会社員の感想は、「初めてビブリオを見ましたが、パワーポイントを使わないのがいいですね。本の内容をいかに解釈して自分の言葉だけで伝えていくか、そこが面白い」。 ●生みの親は理系人間  ビブリオバトルの生みの親は、立命館大学情報理工学部の谷口忠大准教授。現在、ビブリオバトル普及委員会の理事・代表も務めている。谷口准教授は、根っからの理系人間。京都大学大学院工学研究科でコミュニケーション能力の研究を行った後、2007年に情報学研究科に移り、組織のコミュニケーションについて勉強会を始め、使用する本を探すために考え出された方法がビブリオバトルだった。谷口准教授は立命館大学に移ったが、口コミや動画サイト、ウェブページを通じてじわじわ広がった。谷口准教授は話す。 「年に8万以上、本が洪水のように出版される時代。以前はランキングや著名人の推薦といった、ある意味での権威を信じて読む本を決めてればよかったわけですが、今は読者が能動的に本を選んでいく時代だと思ってます。またウェブなどで、消費者が自分の考えを発信するようになった。そんな変化が、普通の人が面白いと思った本を紹介する、ビブリオバトルというゲームが広がる素地になったのではないか」 ●ルールはシンプル  ビブリオバトルのルールは、いたってシンプルだ。配布資料やスクリーンは使わず、話だけで5分間ひたすら本の面白さを伝える。大学生対象のビブリオバトル首都決戦から、有志数人が居酒屋で開くものまで規模や形式はさまざまだ。学校、図書館、会社、書店などで広がっている。話す訓練になり、プレゼン力は仕事にも役立つと感じる人が多い。  留学生の日本語力向上のために取り入れているのが、室蘭工業大学国際交流センター(北海道)だ。指導する山路奈保子准教授は「普段の会話は相手が手助けするが、ビブリオは5分間、自分一人で発表せざるを得ない。日本語の良い訓練になる」と話す。  勝者になったネパールからの留学生スレスタ・スリ・クリスナさん(27)は、海外の学会で英語発表する時も、ビブリオで培ったプレゼンのノウハウが生きたという。  授業の一環として取り入れているのは、京都府の向日市立西ノ岡中学校だ。4分の短縮版で、班などの単位で行う。 「自分の考えを言葉できちんと伝えることは非常に大切な勉強。ビブリオはその一環として全校で取り組んでいる」(三輪秀文校長) 「当社はビブリオバトルを取り入れた企業第1号だと思う」と言うのは、医療機器などを扱う琉球光和(那覇市)の秦一社長。 「ビブリオバトルはバリアフリーの格闘技。最近は仕事も娯楽も細分化され、専門性が高まって老若男女が一緒にできるものがない。その点ビブリオは、業種も年もベテランも若手も関係ない」  若手社員が中心になり、月1回開く。普段読まない分野にもチャレンジしてほしいと、毎回テーマが決められている。伊波由里絵さん(24)は恋愛のテーマで勝者になった。異業種のテーマで勝者になった桑木茉里南さん(25)は「最初は軽いノリでしたが、今では出るからにはチャンプ本を取りたいと欲が出てきました」と話す。 ●居酒屋で妖怪本バトル  ちょっと変わったバトルも繰り広げられている。  妖怪伝承スポットを訪ねたり、古書店を巡って妖怪に関する本を探したりと妖怪をこよなく愛するメンバーが、イベントの一つとして開く「妖怪ビブリオバトル」。実行委員の稲川綾乃さんは、ビブリオバトルの普及委員も兼ねている。 「妖怪は目で見えるものではなく本で知識を得ますから、妖怪の愛好家は読書好きが多い。ビブリオとも親和性がいいんです」  東京・高円寺の居酒屋まんまみじんこ洞で開かれた会をのぞいた。狭い店に20人ほど集まり、熱気がこもる。毎回偉人の名前が冠名に付けられ、今回は植物病理学者の白井光太郎杯。実行委員でイラストレーターの氷厘亭氷泉(こおりんていひょーせん)さん(29)が副賞の巻き尺を、式水下流さんが光太郎の胸像を手作りし、チャンプ本獲得者に贈呈するといった念の入れよう。  この日の最初のゲームで勝者になった氷厘亭氷泉さんは、「中学から妖怪に関心を持ち始めた。ビブリオでは、守備範囲にない幅広い本を知ることができるから楽しいですね」と話した。メンバーたちはグラスを片手に本を語り合い、夜遅くまで盛り上がった。  さてあなたなら、どの本に1票入れますか? ※AERA  2014年1月27日号
AERA 2014/01/20 00:00
スパガ 「アジアの純真」のMVで、よゐこ濱口が体を張って熱演!?
スパガ 「アジアの純真」のMVで、よゐこ濱口が体を張って熱演!?
スパガ 「アジアの純真」のMVで、よゐこ濱口が体を張って熱演!?  ソフトバンクモバイルのスマートフォン向け総合エンタメアプリ『UULA』にて、明日1月10日よりSUPER☆GiRLSのオリジナルユニットによるカバーソング「アジアの純真」のミュージックビデオが独占配信される。スパガ&よゐこ濱口 その他の写真など  『UULA』では、SUPER☆GiRLSがファン投票によって決まった2つのオリジナルユニットに分かれ、“1990年代の女性ボーカルヒットソング”のカバーに挑戦。今回のPUFFYの代表曲「アジアの純真」では、志村理佳、宮崎理奈、荒井玲良、田中美麗、前島亜美の5人が参加し、MVは木村ひさし監督を迎えて撮影が行われた。  MVの内容はは記憶喪失になってしまった前島演じる“あみた”の記憶を呼び起こそうと、友達が様々な形でアプローチしていく姿を描いたドラマ仕立ての作品。今回のストーリーの鍵をにぎる兄役として、よゐこの濱口優も特別出演している。収録現場では終始スパガのメンバーと和やかに過ごし、作品の見所の1つであるあみたが兄を殴るシーンでは、前島が空手の経験者であることを知り、「やばいな。。骨、折れちゃうかもな」と笑いを誘った。  また、『UULA』ではもう1つのオリジナルユニットによる『BELIEVE IN LOVE』(原曲アーティスト LINDBERG)のミュージックビデオなども絶賛配信中。「アジアの純真」の配信に合わせて、スパガメンバーのサイン入りグッズが当たるプレゼント企画も予定されている。 ◎各出演者のコメント ・志村理佳 Q:撮影を終えての感想をお願いします。 A:長丁場だったんですけど、スタッフの皆さんも頑張ってくださってたので、私たちも弱音を吐けないなぁって思ってました。「アジアの純真」は小さい時から知っている曲だし、なによりお母さんが喜んでくれているのがすごく嬉しかったです。撮影はほんとに楽しかったし、今までのSUPER☆GiRLSにはないミュージックビデオなんじゃないかなって思います。セリフもあったんですけど、それが吹き出しで表現されてたりするのが新しいなって思うので、そういったところも楽しんでいただけたらなって思います。 Q:濱口さんとの共演はいかがでしたか。 A:ラジオとかバラエティ番組でご一緒させていただいたことがあるんですけど、その時も今もほんっとに優しくて、SUPER☆GiRLSになる前にテレビで見てた時の印象そのまんまの方でした。それが嬉しかったっていうのもあって、私はああいう大人になりたいなって思いますね。また共演できたらいいなと思います。 ・宮崎理奈 Q:撮影を終えての感想をお願いします。 A:夏は海辺でミュージックビデオを撮るということが多かったんですけど、今回は冬の海辺で撮るということで、どんな感じになるのかなって楽しみにしてました。でも私たちの子供の頃の役をやってくれた小学生の子たちが海辺ではしゃいでる姿を見て「あー、若いっていいな」って思って、今日1日で自分の体力の衰えをすごい感じました(笑)夜になるにつれて「眠い!」ってなっちゃって、「これはちょっとヤバいな」と思いましたね。SUPER☆GiRLSはもう4年目になるんですけど、4年も経つとコンディションが変わってくるんだなって改めて思いました。今回のミュージックビデオはリップシーンはほとんど無くてずっとお芝居が続くものだったんですけど、そういうミュージックビデオはスパガにとって初めてだったと思います。それに監督さんは私の大好きなドラマや映画を作られてる監督さんだったので、すごい楽しかったです。 Q:濱口さんとの共演はいかがでしたか。 A:濱口さんとは1回深夜のバラエティ番組でご一緒したことがあって、朝の4時から6時くらいまでの生放送だったんですけど、その時からすごくレディーファーストで優しい方という印象でした。今回も暖房を私たちに使わせてくださったりして、ほんとに気さくで思いやりのある方だなと思いました。それがお芝居にも表れていて、ほんとに人柄も良くてお芝居も最高の芸人さんでした。 ・荒井玲良 Q:撮影を終えての感想をお願いします。 A:今日は1日長丁場だったんですけど、いつもとはちょっと違うような雰囲気の撮影でした。スゴい監督に撮っていただいたんですけど、気さくで周りが和むようなオーラを持っている方だったので現場がすごく楽しかったです。ケータリングのカレーもすごくおいしくて一日中楽しく撮影できました。どんなふうに完成するのか楽しみです。 Q:濱口さんとの共演はいかがでしたか。 A:私は濱口さんを小さい頃からテレビ番組で見ていたのですが、普段もそのままのとても面白い方でした。お会いした時から本当に気さくに話しかけてくださったり、メンバーの悪ふざけに一緒に乗ってくれたりして、良い方というのがオーラに出てるなぁと思いました。今後も一緒にお仕事できればいいなって思います。今回濱口さんはあみたのお兄ちゃん役だったんですけど、殴られ方とかもすごい上手でした。また是非ミュージックビデオに出てほしいですし、またどこかでお会いしたいなって思います。 ・田中美麗 Q:撮影を終えての感想をお願いします。 A:この5人のメンバーでカバーさせていただくというのは珍しい感じでした。「アジアの純真」はもともと知っている曲だったし家族全員が大好きな曲なんですけど、それをカバーさせていただくということでレコーディングの時からすごいウキウキでした。ミュージックビデオの撮影は、今までに無いような斬新な撮り方で、終始勉強しながらも楽しく撮影できたんじゃないかなって思います。それに一流の有名な監督さんに撮っていただいたので、いい仕上がりになるんじゃないかなって思ってます。 Q:濱口さんとの共演はいかがでしたか。 A:私は人見知りなので、話しかけるのに勇気がいるなと思ってたんですけど、いざ濱口さんに挨拶をしたあとは濱口さんの方から声をかけてきてくださって、すごい気さくな方で心の広い優しい方だと思いました。児嶋さんよりも優しかったです(笑)殴られ方とかのアクションも上手で、今日初めてお会いしたんですけど第一印象がめちゃくちゃいいです! ・前島亜美 Q:撮影を終えての感想をお願いします。 A:今までミュージックビデオではいつも、多少の演技があっても歌とダンスがメインだったんですけど、今回はUULA限定ということですごくスペシャル感が溢れたミュージックビデオでした。演技のシーンがほとんどで、ドラマの撮影のようにいろいろな演技をやらせていただきました。私は記憶喪失の子の役だったんですけど、すごく楽しかったです。 Q:濱口さんとの共演はいかがでしたか。 A:濱口さんとは今日初めてお会いしたんですけど、すごい気さくな方でした。今回私たちはきょうだい役で共演だったんですけど、すごい人見知りの私は最初どうお話ししたらいいのかなって思ってました。でも濱口さんから「元気ー?」と話しかけてくださってすぐ打ち解けることができて、素晴らしい方だなって思いました。私が濱口さんをパンッと殴って、濱口さんが「わー!」って言いながらクルッと倒れるという演技があったんですけど、それがすごい身軽で、スタッフさんからも大好評でした。 ・濱口優 Q:撮影を終えての感想をお願いします。 A:非常に楽しかったです。台詞らしい台詞はほとんど無くて、殴られてのリアクションがあったくらいで、あとは全部アドリブでした。非常にサクサクと、あっという間に終わったっていう印象です。 Q:SUPER☆GiRLSとの共演はいかがでしたか。 A:元気!(笑)とにかく元気、朝から。ロケバスが一緒でメイクする場所も一緒だったんですけど、僕があくびとかしてたら話しかけてくれて、そこからだいぶ打ち解けていっぱい話しました。明るくて元気で、一緒にいて楽しいです。 Q:ミュージックビデオをこれから見る方にメッセージをお願いします。 A:「あっ、濱口出たんや」っていうふうに驚いてもらったりしてくれると嬉しいですね。この曲は僕も大好きな曲なんですけど、それをスパガがカバーしてるということでまた違う感じで聞けたり見れたりするんじゃないでしょうか。是非カラオケで歌ってみてください。奥田民生の役が僕でした。…軽くスベりましたね(笑)楽しみにしといてください! ◎UULAオリジナルミュージックビデオ「アジアの純真」 1月10日(金)0時~配信予定 出演メンバー SUPER☆GiRLS(志村理佳、宮崎理奈、荒井玲良、田中美麗、前島亜美) 特別出演 よゐこ濱口優 監督 木村ひさし プロデューサー 近藤大輔、原祐樹、中沢晋 制作 オフィスクレッシェンド 公式サイト http://uula.jp/
billboardnews 2014/01/09 00:00
リアルに「家政婦は見た」はあるのか? プロに聞いてみた
リアルに「家政婦は見た」はあるのか? プロに聞いてみた
川崎康子さんの徹底した仕事ぶり(撮影/山本倫子)  今、「家事代行サービス」が急成長しているという。実際にどんなものなのか、家事代行業者「ベアーズ」(東京都)に協力してもらい、記者の自宅を掃除してもらった。同社の一番人気という「デラックスプラン」2時間7830円を頼んだところ、来てくれたのは「ベアーズレディ」と呼ばれる専任スタッフ川崎康子さん(68)。掃除をお願いしながら、話を聞いた。  広報担当者によると、スタッフは時給制で4300人。平均年齢53歳で定年はなく、現在の最高齢は83歳だ。同社は主婦の経験が生かせる仕事として、働いた経験が少ない女性たちや中高年層の雇用の受け皿になるのを企業理念の一つに掲げる。川崎さんも長年勤めた事務パートを退職後、60歳でこの仕事に就いている。  ところで、ドラマに登場する家政婦といえば、その家の複雑な事情を垣間見て、というのが定番。そんなこと、あったりします? 「限られた時間で仕事をこなすのに必死で、そんな余裕はありません(笑)。でも素敵な思い出ならいくつもあります」(川崎さん)  例えば、通っている家の飼い犬に懐かれ、あまりに可愛くなり、自宅でも犬を飼い始めた。利用客が心を込めて感謝をつづった手紙をもらったこともある。“出会い”と“言葉”が、何よりのやりがいだそうだ。質問に答えつつ、片時も手を休めることなく、キッチンのシンクやコンロ周りをピカピカに磨き上げる川崎さん。リビングに掃除機をかけ、床の汚れやすい場所を見つけて拭き上げる。その合間に、頼んでもいないテレビとその周辺機器に積もっていたホコリまで、そっと拭い取っていた。すごい!  最後に、トイレやキッチンに無造作に掛かっているタオルを、ホテルのようにきれいに三つ折りにして掛け直し、作業は終了した。  その晩は、ピカピカの台所で食事の支度をし、入浴した。なんて気持ちがいいんだろう! 夜更けになって、洗面台の鏡がピカピカ輝いているのに気付いた。昼まではうろこ状の水垢だらけで、川崎さんも時間切れで手が付けられなかったはずなのに、いつの間に拭いてくれたのだろう。しかも、掃除に使った洗剤を見ると、ほとんど減っていない。卓越した“プロの技”に衝撃を受けた。 ※週刊朝日  2013年12月27日号
週刊朝日 2013/12/24 11:30
人気記事年間ランキング 社会、芸能、スポーツそして大人の話題
人気記事年間ランキング 社会、芸能、スポーツそして大人の話題
 今年も残すところあと少し。この1年を通して、多く読まれた記事をジャンル別に集計してみました。「社会」「スポーツ」「芸能」そして「大人の話題」。それぞれ注目を集めたのはどんな話題? * * * ●社会  自民党が圧勝したのが昨年末。そのせいか政治関係のニュースは上位になく、いじめや性犯罪などのニュースが目立ちました。「母と娘の関係」、「訪日外国人の動向」などが新しく目立った話題。 1.いじめで集団レイプ、携帯で撮影 小学生の間でも 〈AERA〉 2.月給40万? 大阪・母子餓死事件の深まるナゾ 〈週刊朝日〉 3.男性保育士ショック 女児対応で保護者からクレーム 〈AERA〉 4.中年ひきこもりの「絶望のプラン」 40歳が分岐点 〈AERA〉 5.使えない東大生が急増中!? 社会で東大卒が通用しないワケ 〈dot.〉 6.「ヒンヌー教」も登場 貧乳ブームついに到来か 〈AERA〉 7.セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度 〈週刊朝日〉 8.外国人が「歩くだけで幸せ」と絶賛する日本の街 〈AERA〉 9.子どもに罵声あびせる「毒親」 その胸の内は 〈AERA〉 10.NHK人気女性キャスター 民主党議員と結婚していた 〈週刊朝日〉 ●スポーツ プロ野球は楽天関連の話題が人気。「長島」ではなく「野村」。「田中」ではなく「斎藤」の記事がランク上位にあるのが特徴。スケートの安藤は私生活で話題に。内村、石川などライバルに追い上げられる第一人者の記事も人気。 1.激励かと思ったら「辞めてください」 野村克也が語る楽天監督時代 〈週刊朝日〉 2.斎藤佑樹 日ハム入団前から分かっていた「欠点」 〈AERA〉 3.モロゾフ氏「安藤美姫と結婚考えた」発言の裏事情 〈週刊朝日〉 4.「恐れ多くてビールかけられなかった」星野仙一の変化 〈AERA〉 5.落合博満がコミッショナーなら実現…? 「3リーグ制」が球界を救う 〈週刊朝日〉 6.野村克也が楽天マー君の起用法に苦言「日本シリーズなのに…」 〈週刊朝日〉 7.47歳・中日の山本昌 球団に2度引退打診も断られる 〈AERA〉 8.安藤美姫にソチ五輪は無理? 専門家が分析 〈週刊朝日〉 9.男子体操・内村航平 試合の最中に入れている観客への「ツッコミ」 〈週刊朝日〉 10.予選落ちの石川遼 先輩が「甘さ」を指摘 〈週刊朝日〉 ●芸能 全ジャンル総合でも年間第一位はビックダディで有名になった美奈子さんのこの記事。見出しは「ドン引き」だが集客力はピカイチ。大流行の「あまちゃん」、「半沢」関連の記事は意外と少なく、「八重の桜」の綾瀬はるかさん強し。 1.美奈子さん「コンドーム」発言で記者ドン引き 〈週刊朝日〉 2.誰が見ても危ない状態だった」 藤圭子さん最後の映像 〈週刊朝日〉 3.いま芸能マスコミが狙うは綾瀬はるか でも○○が優秀すぎて…… 〈週刊朝日〉 4.矢口真里の「不倫」情報がダダ漏れした理由 〈週刊朝日〉 5.壇蜜、綾瀬はるかを抜いた! 「一緒に温泉に行きたい芸能人」ランキング1位は意外なあの人 〈dot.〉 6.元オセロ中島、尋常じゃない「愛敬」の振りまき 〈週刊朝日〉 7.上戸彩「いつもはツイッターで悪いことを書かれても平気だけど…」 〈週刊朝日〉 8.嫌いな芸能人 何かと話題のあの人が1位独走 〈週刊朝日〉 9.『あまちゃん』でも実証? 古田新太が撮影現場で必ずやってしまうこと 〈週刊朝日〉 10.壮絶死の坂口良子 死の5日前まで仕事の契約に 〈週刊朝日〉 ●大人の話題 「セックスレス」、「中高年の性生活」「ED」など気になる話題はコンスタントにランキングの上位に。週刊朝日のサイトといえば「『70才以上の性生活』の記事がのっているサイトですね。」と言われてしまうのは、喜んでいいのか…。複雑な気分です 1.AV依存世代、若者の変なセックス 〈週刊朝日〉 2.「9割は好みじゃない」AV男優の現実 〈AERA〉 3.セックスレス男性が「妻とだけ」できない理由 〈AERA〉 4.70歳からの「愛と性」 忘れられない禁断の夜 〈週刊朝日〉 5.ただの友達「ただトモ夫婦」増殖中 〈週刊朝日〉 6.女性の半数以上はセックスしたくない? 日本の性事情調査で明らかに 〈週刊朝日〉 7.中高年に増えるエイズ 「生涯現役」に潜む危険 〈AERA〉 8.熟年セックス事情 日本で最多回数は○○地方 〈週刊朝日〉 9.女性はいつまで性行為可能? 大岡越前の母の答え 〈AERA〉 10.50歳以上男女に「恋愛」調査 「セックスしたいと思うか」の答えは? 〈週刊朝日〉
年末年始
dot. 2013/12/22 00:00
「年度末最後の営業日」で共感 海外で問われる交渉力
「年度末最後の営業日」で共感 海外で問われる交渉力
三菱商事新エネルギー・電力事業本部欧州事業部長代行鈴木圭一さん(44)1992年に東京大学を卒業し、三菱商事入社。金融事業本部で企業買収事業などに携わり、マサチューセッツ工科大学でMBA取得。13年4月から現職(撮影/今村拓馬) 交渉力(撮影/写真部・岡田晃奈、切り絵/辻恵子)  海外進出する企業が増え、それとともにグローバルな能力も求められるようになった。国が違う相手に思いを伝え、仕事をしていくために必要になるのは交渉力。しかしそれは必ずしも、語学力に頼ったものばかりではないようだ。 三菱商事新エネルギー・電力事業本部の鈴木圭一さん(44)はこれまでに、欧州の部品メーカーのバイアウトや日本企業による米国企業買収のアドバイザリー業務など数々の案件を手掛けてきた。いまの部署では、海外での再生可能エネルギーや火力発電の事業投資を推進している。常に4、5カ国の関係者と交渉をしながらの仕事。突破力が求められることもあれば、人脈を張り巡らす浸透力が勝負のカギを握ることもある。  そして最後の詰めは「交渉力」がモノを言うと感じている。それは単に語学力の問題ではない。 「交渉相手に刺さるのは語彙力や比喩力。そしてある意味ちょっと鈍感になって、ストレートに思いを伝えること。相手がストンと腹落ちする言葉を投げかけて、相手をその気にさせることが大切です」 難航したフランスの電力会社との価格交渉。年度末ぎりぎりまで長引いた交渉の最後に、 「今日が3月末最後の営業日だ。俺は今夜のフライトで東京に帰る。このディールをお前とやりたいが、こればかりはどうしようもない」  相手もディールを成立させたい。同じサラリーマンとして、「年度末最後の営業日」の意味もよくわかる。大企業ならではの時間的な制約や年度ごとの予算配分の仕方について共感もある。「お前とやりたい」と投げかけて連帯感を持たせる。そうした要素を積み重ね、価格交渉をまとめあげた。 「失敗したディールもたくさんあります。グローバルに活躍するにはさまざまな能力が必要ですが、自分のスタイルに合わないものもある。常に好奇心を持って新しいことに挑戦し、その実戦の繰り返しのなかで、自分なりに磨いていった」(鈴木さん) ※AERA  2013年12月2日号より抜粋
仕事
AERA 2013/12/06 16:00
シトロバルさん 素潜りでとらえる多様な水中世界
シトロバルさん 素潜りでとらえる多様な水中世界
水中撮影で愛用しているオリンパスμ710と専用ハウジングPT-032。素潜りの際、片手で操作するのでとにかく小型というのが選定の理由だ。刻印がかなりすり減っており、相当使い込んでいるのがわかる。オリンパスE-410には25ミリF2.8をつけ、街のスナップや自宅から夜景などを撮っている 沖縄・池間島で海上に浮かび、親子を点景に自分の足(フィン)を入れて広角で撮影。抜けるような青空と透明感のある海が美しい、南国ムードたっぷりの写真だ これがの得意ワザのバブルリング。上昇するに従い大きく広がっていく。「口の中に空気をためて、水の流れを読んでパっと吐く」のが形よくつくるコツだという 自分でつくったバブルリングの中をくぐり抜けるシトロバルさん。悠々と泳ぐ姿はマーメイドのようにも見える。沖縄・宮古島八重干瀬で(撮影・白鳥岳朋) ――ダイビングにハマったのがきっかけだそうですが。  はい。2003年から素潜りを始めました。海の中がすごくキレイ!って感激して、すぐに撮りたいと思ったんです。最初は、レンズ付きフィルムの防水タイプとフィルム式の防水カメラを使っていました。それで南伊豆の海中を撮っていたんですが、もっとたくさん撮りたくなって、オリンパスμ710と専用のハウジングを購入しました。  海の世界に出合って、すぐスキューバのライセンスも取りましたが、不幸なことに500ダイブに1人という減圧症にかかってしまいました。だけど潜ることと撮ることは諦めきれず、再発の心配もない本来の素潜りスタイルに戻りました。安全に潜ることに関して周囲に呼びかけてもいますね。 ――素潜りとスキューバだと撮れるものが違うとか?  スキューバは一カ所に長くとどまることができるから、じっくりとねらうような撮り方に向いていますよね。素潜りは息を止めている間、気泡が出ないので上手に潜れば魚が逃げないんですよ。だからすぐそばまで寄って、迫力のある写真が撮れます。海中植物も、そっと寄れば花房を閉じないのでいい瞬間をねらうことができます。 ――今じゃかなりの深さまで潜るそうですね。  素潜りで、今年は最深24メートルまでいきました。フリーダイビングのトレーニングもしてます。 ――写真もたくさん撮ったと聞きました。  そう、最初はだれもがハマるクマノミ(笑)。まずは素潜りでマクロでねらってたくさん撮ったんですが、できあがってみると全然ダメ。逃げちゃうしピンボケだし。息も続かなかったですね。「深いけど、そこに撮りたいものがある」と思う気持ちから、素潜りが上達していきました。ウエートを3キロ前後腰につけて体をしっかり固定させ、落ち着いて撮れるようになってから、自分でも納得のいく写真になっていったように思います。もうクマノミは全種制覇しました(笑)。今はワイドの時代かな。マクロも面白いですが、広角で広がりのある写真が面白いですね。南伊豆で調教されているイルカと一緒に潜って撮影もしていました。海外では野生のクジラに出合ったこともあります。生き物たちにはいつも感動します。 ――なぜオリンパスμ710を?  私けっこう凝り性で。ネットで丹念に調べたりして、やはり素潜りで撮るには小さなサイズがいいと思ってオリンパスにしました。当時オリンパスはダイビング仲間に使っている人が多かったので。ソニーのサイバーショットも気になったし、フジのファインピクスも「いい色だなぁ」なんて思っています。 ――オリンパスのCMソングを作曲したそうですね?  はい、偶然なんですが、お仕事の依頼がきて、07年に発売された一眼レフ、E-410の店頭VP(ビデオパッケージ)の曲を作りました。海や旅をイメージしながら、宮崎あおいさんに似合う雰囲気で、自分が旅行するときに羽田へ行くまでの気持ちや旅愁なんかを盛り込みました。最近友人から、そのE-410を借りて地上の写真も撮っています。こちらもハマってます(笑)。曲はホームページの「myspace」から試聴できますので、ぜひ! ――水中撮影のモデルもされてますね。  やはりお仕事を通じて写真家の白鳥岳朋さんと知り合い、ときどき撮ってもらうようになりました。撮られるとわかることもあるんですね。撮る人にとっての撮りやすい位置や光の加減なんかを考えるようになりました。あと、バブルリング。コツを得るまで大変でしたが、最近は自信があります。二重三重につくって下から眺めていると別世界の気分にひたれます。つくった人にしか見られない特等席から撮っています。 ※このインタビューは「アサヒカメラ 2009年12月号」に掲載されたものです
2013/12/03 00:00
第17回 さよならルー・リード
第17回 さよならルー・リード
新たな『ベルリン』 『愛と勇気のロック50』  ルー・リードが他界した。  まだ言葉がみつからない。  以下に、拙著『愛と勇気のロック50』(小学館文庫:2009)に書いた一文を、追悼の意を込めて転載させていただく。  さよならルー・リード。 ●「ロックは肉体」  ルー・リードは2009年現在、66歳になる。ここに掲げたアルバム『ベルリン:ライヴ・アット・セント・アンズ・ウェアハウス』は08年に発売されたものだが、ジャケットを飾るルー・リードの写真は06年に撮影された。63歳のルー・リードということになるが、ギターを構えた精悍な表情そして腕をご覧いただきたい。見事にシェイプアップされた筋肉美はとても63歳とは思えない。急いでつけ加えればこの肉体美は3年後の現在もまったく変わっていない。  ルー・リードといえば、なにしろ《ヘロイン》という曲があるくらい、その道ではヴェテランとされる。ステージ上で腕を突き出し、ヘロインを打つ写真は、ある意味でルー・リードのヴィジュアル・ロゴのようになっている(筆者にはいまだにわからないのだが、あの写真は「やらせ」なのだろうか、あるいはほんとうに打っているのだろうか)。さらにルー・リードといえば「退廃・暴力・幻想」といった決して健康的とはいいがたい言葉とセットで語られることが多い。  しかしルー・リードもまたザ・フーのロジャー・ダルトリー同様、「愛すべき裏切り者」なのかもしれない。かつてのヘロインと現在の肉体は相容れるものでなく、その解明に乗り出したところ、太極拳に行き着く。ルー・リードは80年代に太極拳に出会い、以来欠かさずトレーニングをつづけているという。なるほどこの肉体はそのようなことでもなければつくり上げることのできない「完成度」を誇っている。  ルー・リードがもともと健康志向の強い人物だったのか、いいかえれば「ヘロインと退廃」はイメージ戦略としての演出だったのか、あるいは「不健康な生活を送っていた者ほど健康に目覚めた場合、極端に走る傾向にある」という一般論にあてはまるだけなのか。ともあれルー・リードの肉体は、前述のロジャー・ダルトリーやミック・ジャガー、さらにはリンゴ・スター(意外に映るかもしれないが、ポール・マッカートニーと並んだとき、リンゴの肉体が鍛え抜かれたものであることがわかる)と並んで「ヴェテラン・ロッカーに必要な条件」を示しているように思われる。  ルー・リードはほぼ毎日、約5時間を費やして太極拳のトレーニングに励んでいるという。ただし「ブート・キャンプ」のようなものではなく、生活のなかに太極拳を取り入れていると考えたほうが実態に近いかもしれない。リードはそれを「楽しい」という言葉で表現しているが、素人考えながら、やはり楽しくなければつづかないものなのだろう。とはいえ集中してトレーニングに臨むときは、いわゆる太極拳よりも速い動作が必要となるという。リードはこのトレーニングを日課としている(来日公演で、ステージで中国人が太極拳をする演出があったことを覚えているファンもいるだろう。また07年には『ハドソン・リヴァー・ウィンド・メディテイションズ』という太極拳のBGMを目的としたアルバムも発表している。ジャケットには「瞑想と整体と太極拳のために」と書かれたステッカーが貼られている)。  かりに「ロックは肉体」と規定するなら、ルー・リードほど「ロック」を体現しているミュージシャンはいないかもしれない。そして太極拳に対するストイックなまでの取り組みは、リードの音楽とそのままつながっているようにも思われる。しかしそれはただたんい「健康的」ということではない。しなやかさ、瞬発力、強度といった言葉に置き換えられる肉体的官能美を発散させている。73年に発表された『ベルリン』の再現ライヴは、そのような肉体と精神があって初めて可能になった禁断の領域に属する試みに映る。 ●新たな『ベルリン』のために用意された声とパワー  ルー・リードに関してもう一点。前述のヘロイン注射の写真やヴェルヴェット・アンダーグラウンドのイメージが強いせいだろう、リードがドゥー・ワップが好きであること(とくにディオンのファン)、加えて「ふつうのポップスを書いていた時代」があったことは、純粋にミュージシャンとしてのリードの幅を知る上で押さえておいてもいいように思う。ちなみにリードは初期について次のように語っている。  「歌は12歳のときから歌っていた。 いや実際は9歳のときからだった。初めてレコードを出したのは14歳のときだった。そのころから場末のバーで歌っていた。 大学を卒業するまではずっとそんな生活だった。そのあとは安っぽいポップスを書く仕事にありついた」(Mojo:2003/2)  リードの言葉を補足すれば、「ありついた仕事」とはブリル・ビルディングの一室で依頼主の求めに応じて曲を書くことを指す。当時はビーチ・ボーイズやジャン&ディーンのサーフィン・ソングが人気を呼び、リードもその種の曲を書いている。また架空のグループをでっち上げ、1枚99セントで販売される廉価レコードを制作、自らも演奏に加わっている。そのころ書かれた曲のひとつ、《ザ・ウェディング・ベルズ・リング》というタイトルにリードがどのような仕事をしていたか、うかがい知れるように思う。  『ベルリン』は、一般的に「東西に分断されたベルリンの夜を舞台に、バイセクシャル、ドラッグ、暴力に彩られた背徳の愛を綴った野心的なアルバム」と評され、しかし「ショッキングな歌詞が問題視され、ファンからも支持されず、それによってルー・リード自身が封印した」とされてきた。その「封印」が33年の時を経て解かれた。  純然たるライヴ・レコーディングではなくドキュメンタリー・フィルムとしての記録性がリードを決断させた要因に思える。換言すれば、それ以外に『ベルリン』を再現する意味は少なくともリードにはなかったろう。ドキュメンタリー・フィルムは『ベルリン』の再現を主題とし、監督にはジュリアン・シュナーベル(『バスキア』『潜水服は蝶の夢を見る』)があたる。かねてから映像に関心を寄せていたリードにとって、あえて断る理由もなかったのではないだろうか。  圧倒的といっていいだろう。リードの声とパワーは、衰えを知らない云々といった次元を超えて、新たな『ベルリン』を表現するために用意され蓄積されていたとすら感じさせるほど、長い眠りから目覚めた『ベルリン』と一体となっている。「再現」が「再創造」にまで高められている。「再現」とは、「封印を解く」とはどういうことか。この『ベルリン』がそのことを示している。そしてルー・リードは「ロックは肉体」であることを高らかに歌い上げる。[次回更新11月25日(月)予定]」
2013/11/11 00:00
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