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大友博

大友博

プロフィール

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

大友博の記事一覧

第35回 NEIL YOUNG / HARVEST MOON
第35回 NEIL YOUNG / HARVEST MOON パール・ジャムのデビュー作『TEN』。《スメルズ・ライク・ティーン・スピリット》を含むニルヴァーナのセカンド・アルバム『ネヴァーマインド』。バブル的なトレンドに音楽界全体が翻弄された80年代は去り、新たなロックの時代が幕を開けたのだということを明確に伝えてくれた2枚の傑作は、91年の夏から秋にかけて相次いでリリースされている。ニール・ヤングの「復活」と時期が重なるわけだが、シアトル地区から登場した2つのバンドは、彼からの影響を認めていた。パール・ジャムはこのあと何度もニールと共演しているし、94年の春に自殺したニルヴァーナのカート・コベインは、よく知られているとおり、その遺書に彼の歌から抜粋したものと思われる言葉を残している。  そういった状況から、グランジのグランドファーザー、ゴッドファーザーなどと呼ばれるようになったニールは、しかし、『ラグド・グローリー』ツアーとライヴ盤『WELD』の制作を終えると、180度方向を変え、ナッシュヴィル系のミュージシャンたちとアコースティック・サウンドに徹したアルバムをつくり上げている。92年秋発表の『ハーヴェスト・ムーン』だ。  そのタイトルは、ちょうど20年前に発表され、ニール・ヤングというアーティストを頂点へと押し上げるとともに、苦悩も与えることとなった『ハーヴェスト』とダイレクトに重なるもの。ベン・キース、ケニー・バットリィ、ティム・ドラモンド、ジェイムス・テイラー、リンダ・ロンシュタットなど、参加アーティストの顔ぶれはほぼ重なっていて、ジャック・ニッチェもストリングス・アレンジで協力している。ただし、『ハーヴェスト』のハイライトでもあった「ワーズ」や「アラバマ」のように力強くエレクトリック・ギターを弾きまくる曲は、ここにはない。じつは、ニールは『WELD』の制作などで耳を痛めていたらしく、「轟音はしばらく」という気分にもなっていたようだ。  20年前のアルバムとのつながりは彼自身も強く意識していたはずだが、背景にあるものとしてそれ以上に大きかったのは、障害を持って生まれた息子との共生がいろいろな意味で軌道に乗ったことと、その過程でより深いものとなっていった妻ペギへの愛だと思う。
第34回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / ARC
第34回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / ARC ニール・ヤング&クレイジー・ホースは、1991年1月から4月にかけて大規模な北米ツアーを行なっている。そこからライヴ盤『WELD』を送り出しているわけだが、アルバム『ラグド・グローリー』の制作とそのツアーを通じて彼は、新システムによってさらにパワーアップしたレスポールの音に、強い手応えを感じていた。計算されたフィードバック(アンプのスピーカーから出た音をギターのピックアップで拾い、循環させること)だけではなく、予期せぬタイミングで発生したハウリングやノイズからも、ポジティヴのメッセージを受け止めていたようだ。
第33回 WELD / NEIL YOUNG & CRAZY HORSE
第33回 WELD / NEIL YOUNG & CRAZY HORSE 1990年秋発表の『ラグド・グローリー』は、ニール・ヤングの完全復活を強く印象づける作品だった(復活という表現は失礼かもしれないが)。レコーディングを通じて彼は、クレイジー・ホースとの絆を再確認してもいる。また、新たに手にしたシステムによってレスポール+フェンダー・ツイード・デラックスの音をさらにスケールアップさせてもいた。
第32回 YOUNG & CRAZY HORSE / RAGGED GLORY
第32回 YOUNG & CRAZY HORSE / RAGGED GLORY 約10年にわたり、周囲からは「迷走」とも受け取られかねない動きをつづけてきたニール・ヤングは、『ディス・ノーツ・フォー・ユー』や『フリーダム』でたしかな手応えをつかんだ。《ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド》という名曲も手にした。メディアやファンだけではなく、若いアーティストからの評価もあらためて高まりをみせ、89夏にはソニック・ユース、ソウル・アサイラムらが参加したトリビュート・アルバム『ザ・ブリッジ』がリリースされている。
第31回 NEIL YOUNG / ELDORADO、NEIL YOUNG / FREEDOM
第31回 NEIL YOUNG / ELDORADO、NEIL YOUNG / FREEDOM 1980年代最後の年が明けるとすぐ、ニールは、チャド・クロムウェル、リック・ロサスの二人と小規模なUSツアーを行ない、ここで《ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド》をデビューさせている。4月には、チャド/リックにベン・キースとポンチョも加わったザ・ロスト・ドッグスを従えて、豪州で12回ステージに立ち、そこでは毎日「ロッキン~」を歌った。その直後に実現した二度目の来日公演(横浜、東京、大阪、名古屋、計6回)でも彼は、やがて永遠のロック・アンセムとなる曲を、連日、歌っている。まだ録音作品としては誰も聴いていなかったわけだが、記憶が正しければ、僕が観た4月29日のNHKホールではアコースティックとエレクトリックの両ヴァージョンを聞かせてくれた。未知の曲にぐいぐいと引き込まれていくあの感覚は、今も忘れられずにいる。
第30回 NEIL YOUNG & THE BLUENOTES / THIS NOTE’S FOR YOU
第30回 NEIL YOUNG & THE BLUENOTES / THIS NOTE’S FOR YOU 85年夏発表の『オールド・ウェイズ』を最後に、ニールはゲフィン・レコードと決別。ふたたびワーナー系リプリーズと契約し、CSNYのリユニオン・アルバム『アメリカン・ドリーム』の制作と並行して、次のディケイドに向けた一歩を踏み出している。その第一弾が、管楽器奏者6人を含むユニット、ニール・ヤング&ザ・ブルーノーツの名義で88年春に発表した『ディス・ノーツ・フォー・ユー』。マイケル・ブルームフィールドからの影響を感じさせるブルージィなギターもたっぷりと聞かせてくれる、ニール版ブルース・アルバムだ。
第29回 NEIL YOUNG INTERNATIONAL HARVESTERS / A TREASURE、CSNY / AMERICAN DREAM
第29回 NEIL YOUNG INTERNATIONAL HARVESTERS / A TREASURE、CSNY / AMERICAN DREAM 1980年代のニールの活動は「迷走」と受け止められることも多かった。前回のコラムでそんなことを書いた。そのとおりなのかもしれないし、実際、ファンのひとりとして頭を抱えることも少なくなかったが、冷静に振り返ってみれば、音楽の方向性にしても、政治的なスタンスにしても、結局のところニールは、自分が信じるものを正直に追い求めていただけなのだろう。
第28回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / RE-AC-TOR NEIL YOUNG ほか4作品
第28回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / RE-AC-TOR NEIL YOUNG ほか4作品 いわゆる「エイティーズ」を、ロック/ポップスの黄金期として懐かしく振り返る人たちがいる。エイティーズをテーマにしたコンピレーション・アルバムやボックス・セットが飛ぶように売れ、同テーマの番組がいくつも制作されて人気を集めるという時期もあった。しかし、日本でいえばバブル期とも重なるこの時代は、60年代からこだわりの活動をつづけてきた本物のロック・アーティストたちにとっては苦しいディケイドだった。苦々しく思い返す人もいるはず。「迷走」と受け止められる活動をつづけた人も少なくない。ニール・ヤングもそのひとりだった。
第27回 HAWKS & DOVES / NEIL YOUNG
第27回 HAWKS & DOVES / NEIL YOUNG 『ラスト・ネヴァー・スリープス』と『ライヴ・ラスト』を生んだ1978年秋のツアー終えると、ニール・ヤングはしばらく、ステージに立っていない。記録によれば、79年から81年の3年間で、ゲスト参加も含めてわずか2回。彼がずっとこだわってきた創作スタイルを考えると、ちょっと信じがたい数字だが、それには大きな理由があった。
第26回 LIVE RUST / NEIL YOUNG & CRAZY HORSE
第26回 LIVE RUST / NEIL YOUNG & CRAZY HORSE 1978年9月半ばから10月末まで、ニール・ヤングはクレイジー・ホースと全米ツアーを行なっている。タイトルは「ラスト・ネヴァー・スリープス」。すでに書いたとおり、翌年夏にリリースされたアルバム『ラスト・ネヴァー・スリープス』の後半は、そこで残された音源にオーディエンス・ノイズ除去や若干のオーヴァーダブなどの処理を施したものだった。これもまたすでに何度か書いてきたことだが、ニールは、誰も知らない曲でも臆することなく、もちろん遠慮することもなく、コンサートで聞かせてしまう。ロード・テストといった感覚ではなく、彼は、きちんとしたヴィジョンを持ち、確信的にそういう姿勢やスタイルを貫いてきた。しかも、あらためて書くまでもなく、インターネットはまだ想像のはるか彼方にあった時代のことなのである。

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