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大友博

大友博

プロフィール

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

大友博の記事一覧

第14回 NEIL YOUNG / LIVE AT MASSEY HALL 1971
第14回 NEIL YOUNG / LIVE AT MASSEY HALL 1971 ソロ第3弾『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』とCSNYの一員として録音した『デジャ・ヴ』の成功によって、ニール・ヤングのファン/支持層は一気に拡大した。周囲からの期待は飛躍的に高まっていく。だが、CSNYが新作の録音に向かう可能性はほとんどない。ニール自身にも、その気はなかった。誘われたとしても、断っていただろう。
第13回 CSNY / 4 WAY STREET
第13回 CSNY / 4 WAY STREET 1971年春、2枚組作品として発表された『4ウェイ・ストリート』は、CSNY初のライヴ・レコーディング・アルバムだ。『デジャ・ヴ』発表後に行なわれた全米ツアーのドキュメンタリーとも呼べるものであり、クレジットによれば、70の年6月2日から7月5日にかけて、ニューヨークのフィルモア・イースト、シカゴ・オーディトリアム、ロサンゼルス・フォーラムで録音された音源が収められている。プロデューサーはCSNYの4人。リズム隊は、『デジャ・ヴ』に貢献したダラス・テイラーとグレッグ・リーヴスから、元タートルズのジョニー・バルバータとスティルスのソロ作にも参加していたカルヴィン・サミュエルズに替わっている。
第12回 NEIL YOUNG / DECADE
第12回 NEIL YOUNG / DECADE ニール・ヤングがこれまでに発表した公式作品のすべてを、制作が開始された順に紹介していく。それがこの連載コラムの基本スタイルなのだが、今回は例外。1977年に発売された、ニール自身の選曲によるコンピレーション・アルバム、3枚組(アナログ盤当時。CDでは2枚組)の『ディケイド』を取り上げる。70年5月録音のシングル「オハイオ」(名義はCSNY)を最初に正式な形で収めたニールのアルバム、ということがその理由だ。
第11回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / LIVE AT THE FILLMORE EAST 1970
第11回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / LIVE AT THE FILLMORE EAST 1970 少し時間的な流れを整理しておこう。クレイジー・ホースと名乗ることになる3人のミュージシャンとの運命的な出会いをへて、1969年5月に『エヴリバディ・ノウズ・ディス・イズ・ノーホエア』を発表したニールは、その直後、CSNと合流。ウッドストックへの出演などをはさんで、しばらくアルバム制作に専念することとなる。並行してソロ3作目の制作も行なわれていたわけだが、その間に彼は、クレイジー・ホースのギタリスト、ダニー・ホイットゥンの深刻なドラッグ依存という問題も抱えることとなったのだった。
第10回 NEIL YOUNG / AFTER THE GOLD RUSH
第10回 NEIL YOUNG / AFTER THE GOLD RUSH ニール・ヤングの最高傑作は? 古くからの信奉者の答は、『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』と『ハーヴェスト』に、ほぼ二分されるはずだ。参考までに紹介しておくと、米ローリングストーン誌が2003年に編んだ名盤500にニール作品は5枚選ばれていて、『ゴールド・ラッシュ』が最高位の71位、『ハーヴェスト』が次点の78位。筆者の友人のあいだでも、前者がやや優勢。僅差ではあるが、つまり、ソラリゼーションのジャケットも印象的なあのアルバムこそが、ニールの最高傑作ということになるだろう。
第9回 CROSBY, STILLS, NASH & YOUNG / DEJA VU
第9回 CROSBY, STILLS, NASH & YOUNG / DEJA VU スティーヴン・スティルスと、元バーズのデイヴィッド・クロスビー、元ホリーズのグレアム・ナッシュがグループを組むことを決めたのは、1968年の夏。LAのサロン的存在だったといわれるママ・キャスの家でのことだった。ジョニ・ミッチェルも深く絡んでいたと思われるが、それはともかく、即興で声をあわせたときに生じた魔法的なケミストリーがCSNを誕生させたのだった。
第8回 NEIL YOUNG / LIVE AT THE RIVERBOAT 1969
第8回 NEIL YOUNG / LIVE AT THE RIVERBOAT 1969 ザ・リヴァーボート。正確には、ザ・リヴァーボート・コーヒーハウス。トロントのグリニッジヴィレッジとも呼ばれたヨークヴィル地区にあったキャパ120人ほどのクラブだ。1964年にオープンしたこの店は、わずか数年で北米大陸フォーク・シーンのメッカのひとつなった。ゴードン・ライトフット、ジョニ・ミッチェル、ブルース・コバーンといったカナダ人アーティストだけでなく、ジェイムス・テイラーやアーロ・ガスリーもここで歌った。ステージにこそ立たなかったが、ディランやクラプトンも客として訪れたという。ニール・ヤングも一時期ここで腕を磨いていた(後年、「アンビュランス・ブルース」でリヴァーボートを歌っている)。ジョニ・ミッチェルと知りあったのも、そのころだったらしい。

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