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大友博

大友博

プロフィール

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

大友博の記事一覧

第55回 NEIL YOUNG INTERNATIONAL HARVESTERS/ A TREASURE
第55回 NEIL YOUNG INTERNATIONAL HARVESTERS/ A TREASURE 1980年代は、制作環境や音楽メディアなどの劇的な変化もあり、難しい時代だった。ニールは、信頼していたデイヴィッド・ゲフィンとの意見対立という問題も抱え、最終的にこの問題は法廷に持ち込まれる寸前まで行ってしまっている。82年、テクノと呼んでもいい『トランス』でそのゲフィン時代をスタートさせた彼は、つづいて、カントリー色を前面に打ち出した『オールド・ウェイズ』というタイトルのアルバムを仕上げていた。しかし、ゲフィン側が発売に難色を示したため、ロカビリーの『エヴリバディーズ・ロッキン』(リーゼントにピンクのスーツ!)を短期間で仕上げると彼は、ナッシュヴィル系のミュージシャンたちと長いツアーに出たのだった。
第54回 NEIL YOUNG / LE NOISE
第54回 NEIL YOUNG / LE NOISE 長いキャリアを通じてニール・ヤングは、徹底してホームグロウン的な創作スタイルを貫いてきた。デイヴィッド・ブリッグスが亡くなるまでは、ほぼすべての作品を彼との協働態勢で仕上げてきたことからもわかるとおり、プロデュースを最先端の有名クリエイターに任せるなどということもなかった。参加ミュージシャンに関しても同様のことがいえる。なにせ、あのクレイジー・ホースとの関係をずっと、なによりも大切にしてきた人なのだから。
第53回 NEIL YOUNG / FORK IN THE ROAD
第53回 NEIL YOUNG / FORK IN THE ROAD 21世紀最初のディケイドも後半に差しかかったあたりからニール・ヤングが精力的に取り組んできたプロジェクトに、リンクヴォルトがある。簡単に説明すると、戦後北米文化の象徴でもある巨大なアメリカン・カーをいわゆるエコカーとして甦らせること。具体的な素材として選んだのは、彼自身の愛車でもある59年製のリンカーン。究極の目標は、流麗なフォルムとトランクから突き出たタイアハウスが印象的なあの美しい、超重量級の車を、ガロン100マイルで走らせること。日本風にいえば、リッター約40キロ。とてつもない、夢のような目標だが、周囲の人たちから無謀といわれても、夢を追求するのがニールの、ニールらしいところだ。
第52回 NEIL YOUNG / CHROME DREAMS II
第52回 NEIL YOUNG / CHROME DREAMS II 強く、具体的なメッセージを込めたアルバム『リヴィング・ウィズ・ウォー』と、その想いをより直接的に伝えるために実現させたCSNとのツアーを終え、2007年を迎えると、ニールはふたたび親しい音楽仲間たちとスタジオに入った。このとき彼が声をかけたのは、ベン・キース、ラルフ・モリーナ(ドラムス)、リック・ロサス(ベース)の3人。クレイジー・ホースからモリーナだけを呼び、80年代後半からニールのサークルに加わったロサスと組ませた、興味深いラインナップだ。プロデュースは、ニールとニコ・ボラスとのザ・ヴォリューム・ブラザーズ。サウンドやビートの方向性を限定せず、思いつくままに現在の自分(つまり60代になった自分)を描くことが目的だったという。
第51回 CSNY / DEJA VU LIVE
第51回 CSNY / DEJA VU LIVE 2006年5月にアルバム『リヴィング・ウィズ・ウォー』をリリースするとすぐ、ニールはツアーの準備に入った。もちろんレコーディングに参加したミュージシャンたちとそのままツアーに出てもよかったわけだが、大切なメッセージを込めたアルバムであり、その想いをより広く伝える必要がある。大統領選挙も間近に迫っていた。おそらくそのように考えてのことだと思うが、ニールはクロスビー、スティルス、ナッシュの3人に声をかけ、CSNYとしてのツアーを実現させてしまう。  さらにはそのドキュメンタリー映像を制作し、サウンドトラック盤という扱いで、CSNYとしては『4ウェイ・ストリート』(71年発表)より約10年ぶりとなるライヴ・アルバムをつくり上げたのだった。
第50回 NEIL YOUNG / LIVING WITH WAR
第50回 NEIL YOUNG / LIVING WITH WAR 2006年5月に発表された『リヴィング・ウィズ・ウォー』は、ニール・ヤングがこれまで送り出してきたアルバムのなかで、もっとも直接的、かつ具体的な形で世界の動きに言及した作品といっていいだろう。ターゲットはいうまでもなく、イラク戦争を主導するブッシュ政権。そして、さまざまな利権を求めてそこに群がる人々。1970年の春、オハイオ州立ケント大学で州兵の発砲を受けて4人の学生が亡くなった事件に衝き動かされてCSNY名義で緊急発表した《オハイオ》同様、反応も速かった。
第49回 NEIL YOUNG / PRAIRIE WIND
第49回 NEIL YOUNG / PRAIRIE WIND アルバム『グリーンデイル』、その全曲を聞かせるツアー、そして同名映画の制作。2002年から04年にかけて、架空の町を舞台にした作品に、呆れてしまうほど熱心に取り組んだニール・ヤングは、翌05年春、ハンクと命名された愛器マーティンD-28を抱えて、ベン・キースらとともにナッシュヴィルに向かっている。このとき、彼は59歳。11月には還暦を迎える。それまでに歩んできた道、出会い、人生の大きな節目といったことを意識した作品を、カントリー音楽の聖地を拠点につくり上げたい。そんなことを考えていたようだ。
第48回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / GREENDALE
第48回 NEIL YOUNG & CRAZY HORSE / GREENDALE 『シルヴァー&ゴールド』から『ロード・ロック』、『アー・ユー・パッショネイト?』へとつながる一連のプロジェクトを終えたニール・ヤングは、2002年の夏、ふたたびクレイジー・ホースと合流し、新作のレコーディングを開始している。ただしこのときは、ギターは一人だけの編成をとり、ほぼライヴに近いシンプルな形で仕上げることにニールがこだわったため、フランク・サンペドロは参加しなかった(彼としてみれば複雑な想いだったとは思うが、作品のコンセプトを聞いて納得したらしい)。その成果が、翌年秋発表の『グリーンデイル』だ。
第47回 NEIL YOUNG / ARE YOU PASSIONATE ?
第47回 NEIL YOUNG / ARE YOU PASSIONATE ? 1992年の秋、ボブ・ディランの30周年記念コンサートで共演して以来、ニール・ヤングはブッカーT&ザ・MGsとの関係を深めていった。翌年夏には彼らとのツアーを実現させ、オーティス・レディングの名曲≪ドック・オブ・ザ・ベイ≫も歌っている。ベースのドナルド・ダック・ダンは『シルヴァー&ゴールド』とそのあとのツアーにも参加した。そして、21世紀最初の年2001年を迎えるとニールは、ブッカー/ドナルドとスタジオに入った。スティーヴ・クロッパーは参加しなかったが、実質的にはヤング&MGsの作品を目指したわけである。ドラムスはMGsのオリジナル・メンバー、アル・ジャクソンの従兄弟スティーヴ・ポッツ。ほかにフランク・サンペドロ、ペギとアストリッドらが参加した(クレイジー・ホースがバックを務めた≪ゴー・ホーム≫も収録)。
第46回 NEIL YOUNG / ROAD ROCK VOL.1
第46回 NEIL YOUNG / ROAD ROCK VOL.1 2000年8月から10月にかけて、ニール・ヤングは、アメリカン・ロックの聖地の一つレッド・ロック・アンフィシアター(デンヴァー)での連続公演を含む北米ツアーを行なっている。  バックを務めたのは、「フレンズ&レラティヴズ」と名づけられたユニット。同年春発表の『シルヴァー&ゴールド』に参加していた4人のベテラン・ミュージシャン、ベン・キース、ジム・ケルトナー、ドナルド・ダック・ダン、スプーナー・オールダムに、妻ペギと異母妹アストリッドを加えたラインナップだ(参考までに書いておくと、ペギはこのころから、おそらくニールに背中を押されてステージに立つようになり、07年に最初のソロ・アルバムを完成させている)。

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