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あの日を忘れない

あの日を忘れない

どんな人にも「忘れられない1日」がある。それはどんな著名な芸能人でも変わらない。人との出会い、別れ、挫折、後悔、歓喜…AERA dot.だけに語ってくれた珠玉のエピソード。
お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」
お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」 今から30年前の1990年代。強烈な個性で大ブレークしたお笑いコンビがいた。「松本ハウス」だ。ボケ担当のハウス加賀谷(49)は、丸刈り頭にピチピチの白いシャツと紫のパンツという奇抜な格好で、独特のポーズを決めながら「か・が・や・でーっす!!」と叫び体を張る。勢いがあるだけでなく、頭の回転が速い。絶妙な間で冷静な発言をして爆笑をかっさらうことも。バラエティー番組「電波少年」「ボキャブラ天国」に出演したのをきっかけにメディアに引っ張りだこになったが、人気絶頂の99年に表舞台から突如姿を消す。加賀谷の「統合失調症」の症状が悪化し、コンビでの活動を休止したからだ。精神科病院の閉鎖病棟で入院生活を送り、自宅療養を経て、2009年に相方の松本キック(54)と活動を再開。現在もアルバイト活動の傍らで芸人活動を続けている。活動休止までの経緯、復帰してから芸人引退を考えていた時期があったことなどをインタビューで明かしてくれた。
三上博史「あの頃、ドラマは“実験場”だった」 スタッフと悪だくみ、“母の遺言”で目指した俳優像とは
三上博史「あの頃、ドラマは“実験場”だった」 スタッフと悪だくみ、“母の遺言”で目指した俳優像とは 「君の瞳をタイホする!」(1988年)、「君が嘘をついた」(1988年)、「世界で一番君が好き!」(1990年)など、フジテレビ「月9」をはじめ人気ドラマに出演、端正なマスクで、三上博史さんはかつて“トレンディードラマのエース”と呼ばれた。だが、華やかなラブストーリーから一転、「あなただけ見えない」(1992年)では多重人格者を、「この世の果て」(1994年)では覚せい剤に溺れるピアニストを演じ、強烈な印象を残した。そのギャップに度肝を抜かれた人も多いのではないか。
熊本でシングルマザー「スザンヌ」が明かす理想の再婚相手 「3年に1回しか会えない距離感の人がいい」
熊本でシングルマザー「スザンヌ」が明かす理想の再婚相手 「3年に1回しか会えない距離感の人がいい」 かつて「おバカタレント」として大ブレークしたスザンヌさん(37)。【前編】では、再入学を果たした高校や大学での生活、起業したきっかけなどを話してくれた。【後編】では、熊本に移住した理由やヘキサゴンメンバーとの交流、今後の再婚の可能性などについて話を聞いた。
スザンヌ「34歳の高校生」で思ったこと 17歳下の同級生から“無視”されるも「すごくかわいい」 
スザンヌ「34歳の高校生」で思ったこと 17歳下の同級生から“無視”されるも「すごくかわいい」  2007年ごろに「おバカタレント」として大ブレークしたスザンヌさん(37)。現在は故郷の熊本で小学4年生の息子と2人で暮らしている。21年には中退していた母校の高校に再入学し、昨年無事に卒業。さらに大学に進学し、今年は会社を起業した。タレント活動以外に、シングルマザーをしながら学び直し、起業までするバイタリティーは一体どこからくるのか。その刺激的な日々の暮らしぶりを話してくれた。
酒井若菜が30代で「まつげエクステ」をやめた理由 「自分の加齢を見せていけるようにならなきゃと思った」
酒井若菜が30代で「まつげエクステ」をやめた理由 「自分の加齢を見せていけるようにならなきゃと思った」 グラビアアイドルから俳優、作家として活動の幅を広げ、芸能界でも独自の存在感を放ち続けている酒井若菜さん(43)。【前編】では、さまざまな分野で挑戦し続けることの苦労や、その過程でたどり着いた仕事への価値観などを聞いた。【後編】では、「毎日メイク。」や「40代になってやめたこと。」などで早くも話題を集めているYouTubeチャンネル開設の経緯や、これまでの人生で忘れられない一日などをうかがった。
酒井若菜が振り返る「グラビアアイドル」からの転換点 「エキストラでもいいから演技の現場に」と決めた日
酒井若菜が振り返る「グラビアアイドル」からの転換点 「エキストラでもいいから演技の現場に」と決めた日 1990年代後半から2000年代にグラビアアイドルとして人気を博し、その後は俳優、作家としても活躍してきた酒井若菜さん(43)。今でこそグラビアから俳優へとキャリアチェンジをする人も珍しくないが、酒井さんはその“パイオニア”ともいえる。グラビアアイドルが俳優や作家に挑戦するには大きなハードルがある時代において、酒井さん自身はさまざまな苦悩を乗り越えてきた。40代になった今、芸能界でのキャリアを振り返ってもらうとともに、どうやって困難を乗り越えてきたのかを聞いた。
奥山佳恵さんがダウン症児を育てながら発信する「生きてるだけで100点」という言葉の真意
奥山佳恵さんがダウン症児を育てながら発信する「生きてるだけで100点」という言葉の真意 ダウン症の子ども、美良生(みらい)くんを育てる俳優の奥山佳恵さん(49)。【中編】では、初めは受け入れてもらえなかった義父との出来事や、新型出生前診断への疑問などについて語ってもらった。【後編】では、美良生くんが通常学級で学ぶ様子や、子どもたちの将来への思いなどについて聞いた。
ダウン症児を育てる奥山佳恵さんが「新型出生前診断」に抱く違和感 「誰も幸せになっていない」
ダウン症児を育てる奥山佳恵さんが「新型出生前診断」に抱く違和感 「誰も幸せになっていない」 ダウン症の子ども、美良生(みらい)くんを育てる俳優の奥山佳恵さん(49)。【前編】では、ダウン症の告知を受けたときの心情や受け入れるまでの苦しみなどについて語ってもらった。【中編】では、初めは受け入れてもらえなかった義父とのエピソードや、世間に広がってきた「新型出生前診断」への思いなどを聞いた。
ダウン症児を育てる奥山佳恵さん「モンスター化」してしまった過去 だからこそ“誤解”をなくしたい
ダウン症児を育てる奥山佳恵さん「モンスター化」してしまった過去 だからこそ“誤解”をなくしたい ダウン症の子ども、美良生(みらい)くんを育てる俳優の奥山佳恵さん(49)。これまでブログや新聞の連載などで、美良生くんの子育ての日々や気持ちの揺らぎを率直につづってきた。だが、それでもダウン症児に対しては世間の誤解も多い。改めて、奥山さんにダウン症の告知を受けたときの心情や、受け入れるまでの苦しい日々などについて語ってもらった。
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