写真家・長沢慎一郎さんの作品展「The Bonin Islanders」が5月11日から東京・新宿のニコンプラザ東京 ニコンサロンで開催される。長沢さんに聞いた。
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東京・浜松町にある竹芝桟橋から南へ約1000キロ。小笠原諸島・父島との間を結ぶ「おがさわら丸」は日本一長い航路の定期船で、およそ6日間かけて島を往復する。感覚的には南米やアフリカを訪れるのと同じくらい遠いところ。そんな島に長沢さんは13年間も通い続けてきた。
その理由について、写真展案内にこう書いている。
<無人島だった小笠原諸島父島に1830年に最初に定住した欧米系先住民の事を知り、また彼らのロマンに惹かれ、私は島に渡った>
小笠原諸島は「ボニン諸島(Bonin Islands)」とも呼ばれ、江戸時代から欧米人と太平洋諸島民が暮してきた。
作品は彼らの末裔である欧米系島民を写したものという。
■「小笠原人」の出生証明書
私は最初、この作品を絶海の孤島の歴史を題材にしたフォトストーリーと思い込んでいた。興味深い話ではあるけれど、単なる「言い伝え」くらいに思っていた。何しろ200年ちかく前にさかのぼる古い話だ。もう、確かなことを知る人は誰もいまい。
そんな気持ちが伝わったのだろう。インタビューが始まると、私の質問に長沢さんは少しイライラした表情で答えていた。
ところが、作品を見ていくうちに衝撃を受けた。長沢さんの話は口伝のようなあやふやなものではなく、まぎれもない事実だったのだ。
欧米系島民の姿とともに写っていたのは米軍統治下でつくられた詳細な家系図。さらに「人種:ボニンアイランダー(Bonin Islander、小笠原人)」と記載された出生証明書。それらの書類が彼らのポートレート写真と結びついたとき、私は自分の無知を恥じた。
そんな気持ちを伝え、わびると、実は長沢さんもこの出生証明書を目にするまでは、彼らがどんな思いで「ボニンアイランダー」「小笠原人」と名乗っているのか、よく分からず、違和感を持ちながら撮影を続けてきたという。
「だいぶ仲よくなった人から、『じゃあ、見せてあげるよ』と、出生証明書を見せてもらったんです。それを目にした瞬間、『あっ、彼らのアイデンティティーはこれだ! 自分たちを小笠原人と言っているのは、このことだったんだ』と、腹にストンと落ちた。これで作品をまとめられると思いましたね。それが撮影を始めてから8年目」