中日の木下雄介投手(C)朝日新聞社
中日の木下雄介投手(C)朝日新聞社

 中日の木下雄介投手が8月3日に亡くなった。27歳だった。木下さんは7月6日、トレーニング室で休憩中に突然意識を失ったという。心肺停止状態だったためトレーナーが自動体外式除細動器(AED)で処置をし、午前11時30分ごろに救急車で名古屋市内の病院に搬送された。入院後も意識不明の状態が続き、帰らぬ人となった。報道によると、ナゴヤ球場で取材に応じた加藤球団代表は死因などについて「家族の意向もあるので言えない」と説明したという。

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 木下さんは何度も苦難を味わったが、「不屈の闘志」ではい上がってきた。大阪で生まれ育ち、高校は徳島県の生光学園へ。甲子園出場はならなかったが、四国屈指の好投手として知られていた。だが、駒澤大学に進学して右肘を故障して1年途中で中退。大阪に戻ってアルバイト、フィットネスジムのトレーナー、不動産会社で営業として働くなど野球から一時離れていた。

 転機は高校四国選抜でチームメートだった増田大輝(巨人)の存在だった。四国アイランドリーグplusで活躍していることに刺激を受け、2015年に練習生として同リーグの徳島に入団。持ち味の直球で評価を高めて16年の育成ドラフト1位で中日に入団。18年3月に支配下契約を勝ち取り、1軍で14試合に登板した。19年に父・隆さんを交通事故で亡くす不幸があり、昨年は左足首手術と試練が続いた。それでも心は折れない。今年は150キロを超える直球を武器にセットアッパーとして期待された。

 だが試練はまだ続いた。開幕1軍入りを目前にしていた3月1日の日本ハムとのオープン戦)で右肩を脱臼。右肩脱臼修復術、右肘内側側副じん帯の再建手術を受け、リハビリに励んでいた。神様はこれ以上の試練を与えることはない。誰もが明るい未来を思い描いていた。

「辛いことがあっても決して弱音を吐かない選手でした。後輩からの人望が厚く、先輩からもかわいがられていた。面識のない楽天田中将大投手にスプリットの投げ方を教わったと聞いた時は木下雄介らしいなと思いました。野球が大好きなんですよ。プロになるまで苦労を重ねていたからでしょう。うまくなりたいと誰よりも貪欲でした。地に足ついた選手でコツコツ努力する。首脳陣の期待も高く将来の守護神として期待された選手なのに、まさか命を落とすことになるなんて…。残酷すぎますよ」(スポーツ紙遊軍記者)

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