日本ハムの大沢啓二監督が、放棄試合も辞さない覚悟で怒りを爆発させたのが93年9月8日の近鉄戦(東京ドーム)

 1対1で迎えた9回裏、日本ハムは先頭のウインタースが四球で出塁。次打者・片岡篤史のとき、初球にエンドランのサインが出て、赤堀元之のワンバウンド投球を空振りしたように見えた。捕手・光山英和が後逸したのを見たウインタースは、一気に三塁を陥れた。

 ところが、近鉄・鈴木啓示監督が「ファウルではないか?」と抗議すると、判定は空振りからファウルに覆った。

 当然、大沢監督は収まらない。そして、抗議が受け入れられないとみるや、試合放棄を口にして、「ダメだ、帰れ。冗談じゃねえ。オレはやらねえ。やらねえってんだよ、オレは!」と審判団の説得にも耳を貸さない。試合は33分中断。最後は持田三郎球団社長が出てきて、「球団として放棄試合はできない」と説得したため、さすがの大沢親分も折れ、「オレが至らなくて申し訳ない。納得してやってくれるか」とナインに頭を下げて、試合再開となった。

 だが、その苦しい胸中は“可愛い子分”たちに痛いほど伝わり、「親分のためにも」と闘志を奮い立たせる。

 時間切れ引き分け寸前の延長10回2死、選手会長の白井一幸が右越えに「生まれて初めて」というサヨナラ弾を放ち、この日敗れた首位・西武に0.5ゲーム差まで迫ったのである。

 サヨナラの瞬間、感極まって目を潤ませた大沢親分は「チーム一丸という意味じゃ、今年1番のゲームじゃないか」とナインの奮起をたたえた。

 成績不振の責任を取り、シーズン途中で辞任を表明した監督が、よりによってラスト采配の日に退場処分を受ける珍事が起きたのが、95年6月2日の中日vs阪神甲子園)。

 前年、巨人と“国民的行事”の10・8決戦を演じた末、惜しくもV逸となった中日だったが、「V奪回」を合言葉に臨んだ翌95年は、開幕から2カ月で13勝25敗、首位・ヤクルトに13ゲーム差の最下位と低迷。そんななか、成績不振に加え、体調も崩していた高木守道監督は6月2日、「今年は楽しみにシーズンを迎えたが、ファンのイライラも限界だと思う。こういう形で責任を取ることは容易かもしれないが、監督失格の烙印を押されるわけで、自分にとっては厳しい決断だった」とシーズン途中での辞任を発表。この日の阪神戦がラスト采配となった。

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「あのジャッジはない!」