ドラマ「西郷どん」の人気復活なるか? (※写真はイメージ)
ドラマ「西郷どん」の人気復活なるか? (※写真はイメージ)

 俳優の鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ「西郷どん」。ドラマの節目となるのは、俳優・渡辺謙が抜群の演技力で存在感を示す名君・島津斉彬の「最期」ではないだろうか。『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。名君・島津斉彬を「診断」する。

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 落語やテレビドラマに馬鹿殿様はよく出てくるが、名君はなかなかドラマになりにくい。天下太平が続いた江戸時代には、際立った能力を発揮する機会は多くなかったであろうし、大胆な経済政策をすすめた田沼意次や尾張侯徳川宗春は同時代にも後世も世間では評判が悪い。

 しかし、天下動乱の時期がくると名君の出番である。

 260余年の江戸時代も終わりに近づき、黒船来航や尊王攘夷騒ぎが世間を賑わせていたころ、諸大名の中で四賢侯とうたわれた殿様がいた。越前侯松平慶永(春嶽)、土佐侯山内豊信(容堂)、宇和島侯伊達宗城、そして薩摩侯島津斉彬である。

 彼らは果敢な藩政改革を行ったのみならず積極的に幕政に参画したが、将軍後継問題で一橋慶喜を推して、紀州慶福を推す井伊直弼と対立。安政の大獄で政治権力を奪われ隠居に追い込まれる。その直前、精強な薩摩武士を率いて上京しようとした島津斉彬は病に倒れて急逝する。

 彼が藩主の座に就いたのは43歳の時であり、その統治は7年間に過ぎなかった。英邁な祖父重豪にならい、蘭学の奨励や鉱工業の推進、藩兵の洋式訓練を進めたことが守旧派の家臣や実父島津斉興と対立していたこと、父はもともと愛妾の生んだ島津三郎(久光)に跡を継がせようとしていたこと、その死が反対派や井伊直弼らにとってあまりにタイミングが良すぎることから当時から暗殺説が囁かれていた。

 その実はどうだったのか。

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早川智

早川智

早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に戦国武将を診る(朝日新聞出版)など

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