――それまで自覚症状は、特になかったのでしょうか。

 自覚症状はまったくありませんでしたね。ただ、いま振り返ってみると、ラグビーであちこちケガをしていたせいで、痛みに対して鈍感になっていたかもしれません。「また筋肉痛だ」「また打撲だ」といった感じで、深刻にとらえてなかっただけかもしれません。

――医師からの診断を聞いたとき、どのように思いましたか。

 医師からの診断を聞いて、ショックで涙が止まらなかったのを覚えています。一晩中泣いて、泣き疲れて朝を迎えました。しかし、その次の日には手術です。一刻も早く手術する必要があったので、迷う余地はありませんでした。

 手術後もなかなか現実が受け入れられず、母には愚痴やわがままをけっこう言ってしまいました。でも、母は黙って聞いてくれました。両親や兄、妹も毎日のように病院に来てくれて、今振り返っても本当に感謝しています。

――友人のお見舞いを最初は断っていた、とうかがいました。

 友人は「見舞いに来たい」と言っていましたが、断っていました。足を失った自分の姿を他人に見られるのに、抵抗があったんです。でも、しばらくして母が「もう断るのはやめたら」と言うので、しぶしぶ来てもらうことにしたんです。

 どういう態度で会えばいいかわからず、気まずい感じで「久しぶり……」とあいさつを交わしたんですが、他愛もない話をして笑っているうちに、普段どおりの感覚になりました。「どうして『会いたくない』なんて思ったんだろう」と不思議に思うくらいにです(笑)。

 その後も毎日のように見舞いに来てくれて、授業のノートを持ってきてくれたり、千羽鶴を折ってくれたり。特に励ましの言葉があったわけではないのですが、わいわい楽しくしゃべったことが印象に残っています。高校3年だったので、みんな受験勉強で忙しかったはずなのに、ありがたかったです。

 友人のおかげで、前向きにもなれたと思います。

――退院後はどのような生活になったのでしょうか。

 11月に退院して高校生活に戻りました。はじめのうちは父が車で送り迎えをしてくれたんですが、途中から松葉杖と義足を使ってバスで通学するようになりました。

 大学にも行きたかったので、一浪して進学しました。このとき、大学受験という目標に向かって、勉強に夢中になれたのもよかったと思います。

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