大橋妃菜さん(撮影/写真部・小山幸佑)
大橋妃菜さん(撮影/写真部・小山幸佑)
妃菜さん(左)と名古屋に旅行したときの唯さん=2015年5月(写真:大橋妃菜さん提供)
妃菜さん(左)と名古屋に旅行したときの唯さん=2015年5月(写真:大橋妃菜さん提供)

 中学3年生のときに小児がんを発症し、その影響で右足を切断。それでも、「花やしき少女歌劇団」のステージで歌い続けた木村唯さん。惜しくも2015年10月14日に、18歳の若さでこの世を去った。その軌跡を追った『生きて、もっと歌いたい』(芳垣文子著)にも登場する歌劇団のメンバー・大橋妃菜(ひな)さんは、唯さんと姉妹のように仲良しだったという。現在、高校2年生になった大橋さんは、時折あふれ出る涙を抑えながらも、唯さんとの思い出を振り返った。改めて「生きる」ことの意味を噛み締めている。

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――妃菜さんは唯さんと一緒に過ごしてきて、考え方や生き方が変わったというところはありますか。

 唯ちゃんの生き方を見て、「つらいことがあっても、前向きでいるってかっこいいな」「私も強い人になりたい」と思うようになりました。あと、唯ちゃんの車椅子を押していたこともあって、「前を横切られたら危ない」「エレベーターのドアを押さえてくれると助かるな」という経験をして。私も車椅子の方を見かけたら、無意識のうちに気を配ることができるようになりました。これも唯ちゃんのおかげだと思います。

 学校で車椅子を押す体験授業があったんです。やっぱり、実際に人がたくさん歩いていたり、車が走っていたりするところで押すのとは違うことを実感しました。横断歩道を渡っている途中で信号が点滅したら焦るし、駅のホームでは何かの拍子でブレーキが外れたら危ないし……。車椅子がホームから落ちないように、横向きに止めないといけません。考えることがいろいろあるんです。

――人通りが多い渋谷に買い物に行くのも、妃菜さんが車椅子を押していったんですね。

 渋谷は急な坂が多くて、「唯ちゃん、ちょっとつらいんだけど」って言ったことがあります。唯ちゃんは笑いながら「がんばれ、がんばれ」って(笑)。わざと手を私の脇の下に回してくすぐったりもするんですよ。そしたら、車椅子ごと建物にぶつかりそうになって、「危ないよ」って。ふざけてばっかり(笑)。夜は、知らない男の人に「押してあげようか」と声をかけられて怖い思いをしたこともありました。車椅子は遅すぎても周りに気を遣うし、速すぎても危ない。私はふだん歩くペースで押していたから、「妃菜はちょうどいい」って、唯ちゃんは言っていました。

――若くてがんになった唯さんを、妃菜さんは友人としてどのように受け止めたのでしょうか。

 唯ちゃんと出会って、「生きる」ことについても考えるようになりました。若い子って、よく冗談で、「死ね」とか「死にたい」って言葉を割と簡単に使うと思うんです。私の周りにも、そういう言葉を使う子がいます。

 でも、あまり考えずに軽い気持ちで、「死にたい」って言葉を言う人を見ると、やっぱり腹が立ちます。「じゃ、唯ちゃんと代わってよ」と思うこともありました。唯ちゃんも口には出さなかったけど、そういう言葉を聞くと、悲しかったと思います。だから、簡単に「死ね」とか「死にたい」なんて言葉を言ってほしくないし、使ってほしくないです。

「生きたくても生きられない人」がいることを考えてほしいし、もっと知ってほしいと思います。

――妃菜さんもまだ高校2年生。悩み事や嫌なこともいろいろとあって、本当に死にたいわけでなくてもふと「死にたい」とつぶやいてしまうような瞬間があるのではないでしょうか。

 前にお母さんにものすごく怒られたとき、「もう嫌だ、死にたい」と一人でぶつぶつ言ってしまったことがありました。そのとき、私の部屋の唯ちゃんとの思い出の写真や物を飾ってあるコーナーが目に入って……。「私、何を言ってるんだろう」とすごく後悔しましたし、唯ちゃんに「ごめんね、そういうことを言ってごめんね」と心の中で謝って。それきり「死にたい」とも「死ね」とも言っていないです。

――10月に唯さんについての本が出ました。周囲から何か反響はありましたか。

 唯ちゃんの本が出て、読んでくれた友だちが「唯ちゃんってすごいね」「妃菜の気持ちもわかったよ」と言ってくれました。唯ちゃんをずっと応援してくれたファンの方も、「本を読んで初めて知ったこともたくさんあった」と言ってくれて。唯ちゃんのことを知ってもらえて、うれしかったです。

 唯ちゃんは、「アイドルとして有名になりたい」とよく言っていました。少しでも多くの人に唯ちゃんの存在を知ってほしい。私も唯ちゃんのためにできることはしたい、という気持ちです。

――唯さんが亡くなって2年が経ちました。月命日の14日には唯さんのご自宅にお友達が集まるそうですね。

 唯ちゃんの中学校時代の友だちや、親戚たちがたくさん集まります。毎回、10人以上います。座る場所がないくらい(笑)。行ったらしんみりとした話はあまりしなくて、みんなで楽しくごはんを食べます。テーブルに置かれた唯ちゃんの写真の前にも同じごはんがあって、「そうだよね、唯ちゃん」って写真に話しかけたり、「いまここに唯ちゃんがいたらこう言うよね」って、みんなで言ったりしています。唯ちゃんがその場にいるみたいな、にぎやかな感じです。みんなの中に、唯ちゃんは生きているんだなと実感しています。

――妃菜さんは今後どのような道を進もうと考えていますか。

 歌やダンスが大好きで小学2年生のときから続けてきました。私が歌うことを止めたら、唯ちゃんの活動も一緒に止めてしまうことになる気がするので、歌とダンスは続けたいと思っているんです。でも、もうひとつ、「看護の専門学校に行く」夢があって。受験勉強もがんばるつもりです。唯ちゃんが看護師さんのことをすごく慕っていた様子を実際に見て、「看護師さんっていいな」と思うようになったんです。唯ちゃんは私の人生を変えた人。つらいことがあっても、唯ちゃんが見守ってくれてると思うと、がんばれる自分がいるんです。

(取材・構成/安楽由紀子)