マリ北部紛争のために外国からの来訪者が激減した今、この船に乗っている外国人は私のみ。私としてはジロジロ見られることには慣れているが、乗客にとっては、私の存在が気になってならない感じが伝わってくる。チラリ、チラリとこちらを見るものの、どう話しかけていいものかわからない様子。周囲の人たちに私から声をかけると、目を細めてあいさつをしてくれた。

 聞くと、乗客のほとんどが、ヤフンケをはじめとする、マリ北部の村々に住む人々だった。結婚式に出席した帰りの人、ヤフンケでは銀行業務が停止してしまっているため金をおろしに来た人、里帰りする人、日用品の買い物帰りの人、出稼ぎを終えていったん帰宅する人など、北部ではできない用事を足した帰り道の乗客が多い。船室内には、リラックスした雰囲気が醸成されていた。

 男性客の多くは、サヘル地域(サハラ砂漠周辺域)で広く見られる長い布を頭にまとっている。北へ、サハラへと近づこうとしていることを、船内で感じた。

 普段ならこちらが黙っていても状況説明を続けてくれるハミドゥだが、彼もまた、船の上では完全リラックスモードだ。私も、ニジェール川の岸辺の風景を、ひたすら、ぼうっと眺め続けることにした。岸辺から遠く離れた大河の上を吹く風は、涼しく、心地いい。青い空と川の流れと、岸辺に点在するフラニ族の集落を眺め続けるだけでも、退屈には感じない。時々すれ違う、こちらと同様の客船や小舟に手を振ると、おぉっと声が返ってくる。

 それにしても積み荷が多い。ほぼ隙間なく、マリで目にするあらゆるものが積まれている。水入りペットボトル、缶詰、鍋、竹かご、生野菜、自転車、自動車用オイル、ジャガイモ、炭、鶏、反物、バイク、ヤギ、そして、人。荷も客も扱いはほぼ同じ。1等の1等たるゆえんは、そこが人間だけのスペースであるところなのだろう。

 船は、途中で荷を下ろしながら、時々人が乗り降りしながら、進んでいく。川岸に着くと、荷役の青年たちが岸辺に飛び降り、腰まで水につかりながら、背に麻袋を背負って荷を下ろしていた。荷を下ろし終わった青年に話を聞くと、大きな袋のほとんどは、ミレットと呼ばれる雑穀か米だという。ひと袋あたりちょうど100キロもあるらしい。着岸と荷下ろしを繰り返しているうちに、ゆっくりと日が暮れてきた。乗客の誰もが、濃いオレンジ色の夕日を見つめていた。

「さて、夕飯を食べよう」

 ハミドゥはそう言うと、モプチで買い込んできたパンをちぎり、オイルサーディンの缶詰を開けた。空腹だった私は、そのすべてを掻き込みたかったが、ここはアフリカ。自分の持てるものは隣人とわけあうことは、暗黙の了解のうちだ。心の中では泣きながら、「ご一緒にどうぞ」と隣り合った乗客に声をかけた。私は、食べるのが遅い。みるみる無くなっていく缶詰を、若干の恨めしさを抱きつつ見つめながら、手元のパンを噛み締める。

 多分に空腹感を引きずったまま食事を終えると間も無く、調理場から乗客乗員すべてに夕飯が届けられた。これは運賃に含まれたものだ。直径1メートル弱ほどの大きなたらいに、味付けご飯がみしっと詰められたものが、供される。銘々皿はなく、これも乗客どうしでともに分けあって食べることが前提とされたものだ。食いっぱぐれてはならないと、必死に頬張った。

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