先日の「AERA」でもそうだったが最近、墓に関する特集記事をよく目にする。父の墓をどうするかがまだ決まっていないので気になっていることもあるが、世の中的に「墓じまい」という言葉が流行ったり、未婚率は少子化の影響で無縁墓の急増も問題になっている。
宗派に従って近くのお寺を想定してはいるものの、私たち3きょうだい全員に子どもがいないので、母に「海洋散骨か樹木葬にしたら?」と提案したが、秒速で一蹴された。「墓がないなんてありえない」という考えらしいが、私たちの世代で墓守がいなくなることを考えると高野山などに永代供養してもらう選択なども頭をよぎる。
パートナーの白川を散骨でしたことは以前にこのコラムでも触れたが、それは白川の強い意向を生前から聞いていたので、迷うことなしにその選択ができた。
「俺が死んだら、葬式はするな。墓は要らない、誰も呼ばなくていいからおまえひとりで俺の故郷の湘南の海に撒いてくれ。その時に『ひまわり』と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のテーマ曲を必ずかけてくれよ」。
大好きなこの2本の映画音楽をトウチャンはこよなく愛していて、ピアノバーなどで必ずリクエストしていたものだ。
その約束を守り、亡くなって半年お骨を手元においたあと、彼があれほど迎えるのを嫌がっていた70歳の誕生日の直前に湘南の海に撒いた。約束はちょっとだけやぶって、友人や仲良しの担当編集者など10人余りをのせて散骨専門の業者に頼んで貸切ったクルーザーで海に出た。遺骨は前もってパウダー状にするため散骨の数日前に預けたのだが、手放すときはさすがに辛くて、しばらく遺骨の上に手のひらを押し当てて泣いた。なぜかほんのりとあたたかかった。急激にすべてを海に還してお別れするのがつらくてほんの少しだけ手元に残し、その一部をペンダントに入れた。そして2年前に旅立った猫のトニオの遺骨を自宅に保管していたのだが、その骨も一緒に散骨するように手筈を整えた。トニオはトウチャンが生涯で一番愛した猫だったのでお供してもらうことにしたのだ。