散骨当日、海はかなり荒れていたがなんとか出航することが出来た。トウチャン指定の音楽を流しながら、水溶性の紙に包まれたお骨をみんなで一袋ずつ海に還す。お花を撒き、好きだった焼酎と日本酒を撒く。お骨の粉末は白い帯状になって海に消えていった。ひまわりの哀切な旋律も相まって感情が昂ぶった私は周囲を気にせず、海に向かって身を乗り出し、「トウチャーン」と叫び、滂沱の涙を流していた。海に飛び込むとでも思ったのか親友のMとKが背後からぎゅっと抱きしめてくれていた。
すべてが終わって、後日、トウチャンを海に還した場所の緯度と経度が示された証書が送られてきた。私が死んだらこの場所に骨を撒いてもらえばまた一緒になれるんだ、そう思って遺影の隣に証書を並べて供えた。そして、きょうだいや親しい友人には「私が死んだら散骨がいい」ということははっきり伝えている。「縁起でもない」と死の話を避ける傾向にあるが、こういうことは言い残したり書き残しておくことはやはり大事だと実感した。
その翌年、白川の担当編集者だった青年が雑誌の編集長に抜擢され、その創刊号をもってわざわざ平塚の海岸を訪れてくれたらしい。「散骨したのがどのポイントだかわからなかったのですが、海全体に白川さんがいると思って波打ち際で『白川さーん、編集長になりました!』って叫んだら、突然ちょっと大きな波が打ち寄せてきて、ずぶ濡れになっちゃいました。祝福の合図だったんでしょうかねぇ」と苦笑いしていた。海全体が墓標だと思えばどこでも白川に会える気がする。散骨にしてよかった、と海を見る度に思う。
特集記事で知ったが、最近はさらに「スマ墓(ぼ)」なんていうサービスもできたらしく、故人ゆかりの場所をGPS登録しておくと、その場所に行くと、自動的に画面に写真が浮かびあがり、あらかじめ登録しておいた言葉もかけてくれるんだそうだ。ほかにもDNAを採取して残しフォトスタンドにしておいておき、将来それを使っていろんな可能性が……なんていうことも考えられているようだ。死は変わらないが、儀式や墓のあり方は変わる。私の散骨は自分で決められても、問題はそれまで誰とどう生きるか……。次なる運命のポイントをAIが教えてくれるわけもなく、ボツイチの迷走は続く。