この部活顧問と同様、生徒の心がすさんでいることは、どうやらほかの教師たちの眼にも見えていなかったようです。「この学年は問題がなくて、いい学年だ」と、しきりに言う教員たちに対して、彼は不信感を募らせていきました。
昨年9月、彼は「もう学校へ行かない」と不登校を始めます。しかし、ネットで目につく不登校情報は「不登校の治し方」ばかり。「やっぱり自分がおかしいのか」と責められるような気になりました。ネットだけでなく、周囲には彼の味方をしてくれる人は、ほとんどいません。だんだんと「この世界に自分が存在してはいけない」という思いにもなり、死のうと決めた日もありました。当たり前のことですが、そんなことは怖くてできません。
だから彼の希望は「通り魔に刺されて死ぬこと」なのです。
■なぜ「通り魔」なのか
通り魔のような「見ず知らずの誰か」によって人生を終えたいという思いは、私もよくわかります。なぜなら私も彼と同じような経緯をたどって不登校になり、同じような気持ちを持っていたからです。
私だけでなく同様のことを訴える当事者も少なくありません。
なぜ「見ず知らずの誰か」を求めてしまうのか。当時の私をふり返って考えてみると、学校の理不尽さが影響していたのだろうと思っています。
私たちには生まれてきたときから学校が用意されていました。小・中・高・大と学校へ行き会社へ行く。誰かが決めたレールがあり、そこから外れたら「人生はない」「用無しになる」と思わされてきました。自分の意思など、まったく入るすき間がありません。
「勝手に決められたレールからは降りる。そのせいで生きている価値がないなら勝手に殺してくれ」、そう私は思っていました。
当時の私と彼がちがうのは、彼は、すでに別の希望も見つけていたことでした。
「通り魔に会う以外で、もう一つだけ希望を挙げるならば、楽しんでいる大人に出会いたい」
それが彼のもう一つの希望です。