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「頭に来てもアホとは戦うな」
時間もエネルギーもタイミングも、たった一度の人生を思い切り謳歌するための、限られた財産だ。それを「アホと戦う」というマイナスにしかならない使い方で浪費するな。
そう断言するのは、元政治家であり、現在はシンガポール・リークワンユー政治大学院で教鞭を執る田村耕太郎さんだ。著書『頭に来てもアホとは戦うな』(朝日新聞出版)では、アホと戦うことの不毛さ、無駄さを説いている。それにしても、なぜ日本ではムダに攻撃的なアホや、マウンティングをしてくるアホが多いのだろうか? 今はシンガポールに拠点を移した田村さんがその理由を分析した。
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最近アホに囲まれていないことに気づいた。アメリカにもシンガポールにもヨーロッパにもアホがあまりいない。もちろんゼロではないが、本当に少ないと思う。それは基本的に非日本人は他人にあんまり関心がないからだ。裏を返せば「日本人ほど他人に関心がある人種は他にいない」と思う。それはなぜか? ぶっちゃけ言ってしまえば、「日本人は暇」なのだ。たぶん日本人は「忙しいふりをして実は頑張っていなくてそれでも何とかなる余裕が今のところある」のだ。
先進国から新興国まで世界の人たちはそうはいかない。他人のことを気にしたり、他人に無駄に絡んだりする余裕などないのだ。自分の人生を生きるので精一杯なのだ。日本人は自分の人生を精一杯生きることを怠っても大丈夫なくらい何とか生きていける、いい社会なのだ。これからはそうでもなくなると思うが。
自分の右左くらいしかみない日本人は、「少しでも給料を上げたい」「資産を増やしたい」「いい仕事に移りたい」、とかあまり強く思わない。もしそう思ったなら、無駄に他人に絡んだり、干渉したりする暇はない。全力で目の前の仕事を頑張って次のチャンスをつかむしかない。
自分の人生を精一杯生きていれば、利用できるものは猫の手でも利用しようとなる。そうなればうまくいっている人の足を引っ張るなんてとんでもないことだとおのずとわかる。うまくいっている人はそのままの形で利用する対象なのだ。成功している人はうまく称えて、仲間になって、おすそ分けをもらったり、力を借りたりして一緒にさらに成功する方がよほど自分の人生にプラスであることは一目瞭然だ。