杉山奈津子(すぎやま・なつこ) 1982年、静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業後、うつによりしばらく実家で休養。厚生労働省管轄医療財団勤務を経て、現在、講演・執筆など医療の啓発活動に努める。1児の母。著書に『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』『偏差値29でも東大に合格できた! 「捨てる」記憶術』『「うつ」と上手につきあう本 少しずつ、ゆっくりと元気になるヒント』など (写真/本人提供)
杉山奈津子(すぎやま・なつこ) 1982年、静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業後、うつによりしばらく実家で休養。厚生労働省管轄医療財団勤務を経て、現在、講演・執筆など医療の啓発活動に努める。1児の母。著書に『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』『偏差値29でも東大に合格できた! 「捨てる」記憶術』『「うつ」と上手につきあう本 少しずつ、ゆっくりと元気になるヒント』など (写真/本人提供)
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 うつ病を克服し、偏差値29から東大に合格。ベストセラー『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』の著者・杉山奈津子さんが、今や3歳児母。日々子育てに奮闘する中で見えてきた“なっちゃん流教育論”をお届けします。

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3歳の息子(まこと)の子育て真っ最中の、杉山奈津子です。中高時代の私は勉強が大嫌いで、髪を染めたりスカート丈を短くしたり、授業をサボったり。校長と面接すること3回、さらにその面接をサボること1回。遅刻は1年間で150回を超え、土日や夏休みを考えると2日に1回以上遅刻していることになります。我が校では、一つの授業につき全体数の1/3以上休むと留年になる規則でした。そんな中で私が身に着けた技は、「いかに効率的にラクをしてサボるか」。

すべての教科で1年間の授業回数を書いた紙を作り、1回休むたびにチェックを入れサボり方を調整していったのです。たとえば1限が現代国語ならば、遅刻ばかりする私は比較的休みが多くなるので、1限以外にある現国はなるべく出るようにしました。学校を早退することも多かったので、遅い時間の授業も同様に、まんべんなくギリギリまでサボる。ハッキリ言ってしまえば、姑息な技を使う問題児だったのです。

今、実際に親という立場になってみると「うわぁ……、うちの子がこんなになったら死ぬほど面倒くさいわ」と心の底から思います。2歳から始まる「お口あけて」「いやっ! 自分で食べる」というイヤイヤ期は大変ながらも多少の可愛げがありますが、高校生のイヤイヤは絶望的に可愛さが見いだせません……、当時の父と母には謝りたい気持ちでいっぱいです。

加えて、私は中3からうつ病を患っていました。今日も明日も将来もずっと真っ暗闇だと感じていた私を救ってくれたのが、保健室でサボっていた時に読んだ「うつの本」です。どこかの製薬メーカーが作ったと思われるその小冊子には、「うつにはこういう特徴があって」「こういう治療をすると治りやすい」といった内容が書かれていました。自分の沈んでばかりの精神状態はうつという病気であり、それが治るかもしれないということを教えてくれたわけです。向き合っている悩みや問題に関し、その対処法を知ることで、人はどれほど助けられるかわかりません。

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