「夏の京都」といえば、なんといっても「祇園祭」。7月17日に行われる山鉾巡行が有名だが、実は、祇園祭は、7月1日から始まって、31日まで行われているお祭り。1カ月を通して楽しめるのだ。
その祇園祭、別名「鱧(はも)まつり」と異名をとるほどに、ハモ料理と結びつきが強い。なぜ、海のない京都で「ハモ」が名物となったのか。祇園祭の見所とともに、生粋の京都人であり、歯科医師、かつ作家で、『できる人の「京都」術』の著者でもある柏井壽氏にきいてみた。
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ニュースなどで報道されるのは、7月17日に行われる「山鉾巡行」が中心になるので、「祇園祭」はこの日だけの行事だと思い込んでいる人も少なくないことでしょう。
ですが実際は、7月1日の「吉符入り」から始まり、7月31日に八坂神社の境内摂社「疫神社」で行われる「夏越祭」まで、1カ月の長きに渡って行われる祭なのです。だから7月の京都は祇園祭一色に染まります。
とはいえ、観光客の多くのお目当てはやはり「山鉾巡行」と、その前日の「宵山」でしょう。ただ、実は「祇園祭」の真髄が見られるのは、「山鉾巡行」が終わってからといえます。
そもそも「祇園祭」とは、「八坂神社」に祀られた三柱の神さまが神輿に乗り、祇園の街を見回られることが主たる行事です。「山鉾巡行」が終わったあと、夜6時から始まる「神幸祭」と呼ばれる「神輿渡御」がそれです。「山鉾巡行」はその露払いとしての役割を果たしているのです。
つまり、「山鉾巡行」だけを見て帰ってしまうのは、前座だけで、真打を見ずに帰ってしまうようなものなのです。「山鉾巡行」を見に行ったなら、ぜひ「神幸祭」も見ることをおすすめします。
さて、祇園祭といえば、別名「鱧まつり」と異名をとるくらいハモ料理と結びつきが強いものです。
なぜ、海のない京都で「ハモ」が名物となったのでしょうか。
内陸盆地である京都でハモが獲れるはずはありません。したがって、ハモは、瀬戸内や玄界灘など西の海から京都へと届けられます。
そのハモを、なぜ、夏一番のご馳走としたのでしょうか。
大きく2つの理由があります。
1つ目は、ハモが極めて強い生命力を持ち、海から遠い京の都まで運ばれてきても鮮度を保つことができたからです。そしてその強靭な生命力の源は、海の魚にしては珍しく皮膚呼吸ができることにありました。
2つ目に、小骨の多いハモを細かく骨切りし、さまざまなハモ料理を作り上げる、京都の料理人の存在です。夏の割烹では、シャリッシャリッと、リズミカルにハモの骨切りをする包丁の音が絶えることはありません。この骨切りを巧くしなければ、美味しいハモ料理はできないのです。
熟達の料理人でなければできない技は、かつて京の料理人が天領日田(大分県日田市)に赴いた際、漁師から教わり、都に持ち帰って広めたと言われています。
食材も京都で獲れるわけではない。その技術もまた遠国で学び伝わってきたもの。それがいつしか京名物となり、全国各地はおろか、世界中から求められるに至ったのは、なんとも不思議なことでもあります。