ルネサンス期の性的奔放さは、上流階級でも梅毒の流行をもたらした。ローマ教皇アレッサンドロ6世、その息子で教皇軍総司令官チェーザレ・ボルジア、英国王ヘンリー8世、フランス国王フランソワ1世など当時の最上流階級が梅毒に罹患したという。
日本において梅毒は「唐瘡」として永正9(1512年)に初めて記載された。ヨーロッパに伝来して20年を経ず、聖フランシスコ・ザビエルを追い抜き火縄銃を追い越しての渡来である。折しもルネサンスに比すべき日本の戦国時代、梅毒は社会の上下を問わず広がった。
20世紀のペニシリン普及以降、梅毒は劇的に減少したが、21世紀になって、多くの国々で再び感染が増加している。性的接触がある限り性感染症はなくならないが、性の自由化とコンドームの不使用、社会的格差の拡大などがその背景にある。16世紀の梅毒を20世紀のHIV感染・AIDSがそのまま追っているのも皮肉である。
【出典】
1 杉浦守邦『武将の死因(カルテ拝見)』東山書房、2000
2 服部敏良『室町安土桃山時代医学史の研究』吉川弘文館、1971
3 Harper KN, Ocampo PS, Steiner BM, et al. On the Origin of the Treponematoses: A Phylogenetic Approach. PLoS Negl Trop Dis. 2008 Jan;2(1):e148.
4 Grieco MH. The voyage of Columbus led to the spread of syphilis to Europe. Allergy Proc. 1992 Sep-Oct;13(5):233-5.
5 Glickman FS. Syphilus. J Am Acad Dermatol. 1985 Mar;12(3):593-6.
6 Panconesi E, Mazzi MS. The Day Syphilis Came. Int J Dermatol. 1984 May;23(4):284-6.
7 クロード・ケテル『梅毒の歴史』藤原書店、1996