店主のおばちゃんが渡してくれた日本語メニューを見て、フォー・ボー(牛肉の米麺スープ、700円)を注文。たっぷりの野菜とハーブが添えられて出てきた熱々のフォーは、まだ肌寒かったこともあってか、本場ベトナムで食べるよりもおいしく感じた。ベトナム名物のフランスパンサンド(500円)や生春巻き(600円)などなど、メニューも充実していて、団地在住のベトナム人だけでなくエスニックファンの日本人客も多い。
「団地の中にはルールを守らない外国人もいる」
と、あるラオス人が言う。ゴミ出しをきちんとやらない、地域の清掃の日に出てこない。団地はいまインドシナ諸国だけでなく、中南米の人々が多い。そして中国人も急増している。「昔に比べると本当に外国人が増えた。なかには良くない人もいる。子供の教育が不安で」と団地を離れたラオス人も少なくない。多人種共生は、さまざまな問題もはらんでいる。
神奈川に住むラオス人の悩みは、子供たちの世代のことだ。日本で生まれ育った「2世」はいま、日本の学校に日本の子供たちと同じように通う。言葉も含めて日本人とまったく変わらない。ラオス語のわからない子供も多い。インドシナの血は、日本に溶け込んでいったのだ。
「それはいいことです。だけどラオスの文化や言葉も学んでほしい」と新岡さんは言う。そのための日本ラオス文化センターでもある。センターでは子供たちを対象に、月に2度ほどラオス語教室を開催している。
時代は変わり、インドシナは平和になった。難民申請をする人はいなくなり、代わりに留学生がやってくる。2世も日本社会で活躍しつつある。そして難民世代は、もうすぐ年金生活に入る。
神奈川県の藤沢市には、インドシナ3国の共同墓地がある。主に難民の遺骨が眠るが、もう納骨堂がいっぱいだ。
「拡張工事をしなくちゃならない。だから3カ国の在日コミュニティーで資金を集めています」(新岡さん)
神奈川に根を下ろしたラオス人たちは、いま新しい世代にバトンを渡そうとしている。
(文・写真/室橋裕和)