「お寺がある暮らしは安心するんです」
とラオスの人々は口々に言う。ラオスだけでなく、タイやカンボジア、ミャンマーなど東南アジアは敬虔(けいけん)な仏教国。宗教というよりも、生活習慣すべての基礎だ。
そこで仲間同士で、寺をつくるために寄付を集めはじめた。日本人もたくさん協力してくれた。
2003年6月、日本ラオス文化センターとしてオープン。ラオスから本尊を取り寄せた。僧侶は3カ月交代でラオスからやってくる。
僧侶に悩みを相談したり、仲間同士くつろいだりするだけでなく、ラオス新年(4月)などの大きなイベントも催す。地域の日本人も顔を出す。
「愛川町に来てから、役所には本当に良くしてもらっています。駐車場を提供してくれたりね。だから私たちも、市民祭りや商工会祭りなどに、なるべく参加するようにしています。日本で暮らしていて差別はほとんど感じないですね」(新岡さん)
1980年~96年のインドシナ難民事業では、ラオスも含めてベトナム、カンボジア人合わせて1万1000人の人々が日本にやってきた。そんな彼らがいまでも多く暮らすのが、横浜市と大和市にまたがる巨大公営住宅、いちょう団地だ。
最寄り駅の小田急電鉄・高座渋谷駅を出ると、郊外のどこにでもあるような新興住宅街が広がる。外国人の姿が多いが、とりわけ目立つのが子どもたちだ。彫りが深く浅黒で、いかにも東南アジアの顔立ちをした子どもたちが、制服を着て、友達と日本語で談笑している。
駅から15分ほどで団地が見えてくる。2000世帯以上が暮らす神奈川最大の公営住宅だが、うち2~3割が外国人だという。案内表示、ごみ捨て場、看板、至るところに外国語の案内があるが、クメール(カンボジア)語やラオス語、ベトナム語が確かに多い。
団地内だけでもいくつものアジア系食材店がある。カンボジア食材店を営む男性は「米麺や調味料が人気。カンボジアの食材を売る店は日本ではほかにないかも」と話す。
日本人にもひそかな人気となっているのが、ベトナム系の食材店「タンハー」だ。こちらは食事もできる。店内に入ると、日曜ということもあってかすでに大量のビール缶を並べたベトナム人の若いグループが陽気に飲み会をしている。食材を大量に買っていく人々もひっきりなしに行き来する。店内メニューはベトナム語のみ。いきなりアジアの雑ぱくな空気の中に放り込まれた気分だ。