「家が倒壊してな。兵庫区やったんやけど。お父ちゃんも即死やってん。それで半分壊れた家やけど、やっぱり自分の家やから。でも、ずっとここに住んでたら危ないといわれて、震災後から4日くらい経ってから、被災所に行ったんや」

 だが震災後、すこし時間を置いて被災所に行くと、親しくしていた近隣住民のひとりから「いまさら、何しに来た?」という心無い声を浴びせられたという。

「人数がひとり増えると、食事の割り当てが減るからなのかな。それに寝る場所も何となく決まっていて…。行くところないから夜は遺体安置所で、お父ちゃんの横で寝ててん。他人様のご遺体も別に怖くなかったわ」(コズエさん)

 震災よりも、むしろ震災後の数日の苦い思い出から、コズエさんは生活が落ち着いてから生まれ育った兵庫区から、神戸市内でも少し離れた土地でそれからを過ごすことにした。混乱していた震災直後の嫌な思い出を一刻でも早く忘れたかった。今でもヘリコプターの音を聞くと震災後、数日間の辛い経験が脳裏に蘇るという。

「震災後、みんなが助け合っていた――そういうきれいな話しか表にでてけえへんね。だけど私が経験したことこれも震災の真実なんや。そういうのに耐えている人、私だけやない思うよ」(同)

 あれから21年。震災の記憶は神戸でも薄れつつある。だが、あの“悲劇”とは何だったのか、逃げずに向かいあっていくのが、残された者の使命である。

※本文中、カタカナ表記名は仮名。

(フリーランス・ライター・秋山謙一郎)

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